第17話 日浦襲撃事件 【10月16日】
翌朝早く、山部はヘリコプターの騒がしいローター音で目が覚めた。
ズボンを履き、上着を手にしたまま部屋を出てロビーに移動すると、桧坂も慌てて出てきた様子で、上着はなんとか身につけていたが、スカートはたくし上げている最中だった。
しかも廊下においてあるジャッカルの置物にぶつかって転んだ。
彼女は明らかに視野狭窄がある。山部は桧坂が税関に示した目薬を思い浮かべた。キサラタン・・・・・・、それは亡き妻が使っていた緑内障患者の為の眼圧降下剤だった。
だが桧坂は何事もなかったように「何か起こったんでしょうか?」と険しい表情で言った。
ホテルを出て空を見上げると近くに見えるヘリポートにゆっくりと降りてくる東京消防庁航空隊所属のヘリが見えた。
「誰かが緊急搬送されるようだね。緊急事態が起こると日本の病院に運ぶようになっているのかな?」
「大使館や外国船籍の船から要請があった時と同じ扱いになると思われます」
桧坂が言った。
「おーい、聞きはりましたか?」
通信機器のページャを押したわけでもないのにタイミングよくルカ・ベンが駆けつけてきた。それだけ島は狭いということだろう。
「日本人が襲撃受けたみたいですわ」
「何!」
「ここの病院では対処でけへんので東京へ搬送するみたいです」
「じゃあ、私達もヘリポートへ行ってみましょう」
三人が見物に来た多くのブルンガ人を掻き分けながらヘリポートに入ると、そこではすでに消防隊員がヘリから降りてタンカの準備をしており、富永ら日本人数名が付き添っている。山部は刑事時代からの習慣で見物人の中に怪しい動きをする者がいないかと目をこらした。すると、以前どこかであった若いブルンガ人と目が合った。誰だったろう?
少し考えてから、それは昨日ビアホールで情報を聞こうとした時に、すっと給仕室に引っ込んだギャルソンだと思い立った。
程なく馴染みのある日本式のサイレンを鳴らしながらやってきた救急車は東京都からの払い下げで、東京消防庁のロゴの上に『ambyulensi』と上書きされてある。
救急車から降ろされ、ヘリに移されたのは山部が昨夜スナックで会ったばかりの男だった。全身が血まみれで意識も失っているようだ。
「襲撃されたというのはNGOの日浦か!」
「この事件が友久教授と関係があるかどうかは分かりませんが、現在島には私達以外に日本の警察関係者はいません。日本人がらみの事件ですから、ここは私達が調査しておく必要があるのではないでしょうか」
確かに山部達は友久教授の、事故もしくは事件を調査する為にここに派遣されたわけだが、日浦の事件も調査(あくまで捜査ではない)はしておくべきだろう。なぜなら山部達が派遣されたのは、友久教授という一邦人の死亡原因を探る為だけではない。東京湾に浮かぶ外国・ブルンガ島の治安状況等を報告するのも託された任務の一つだからだ。
それに友久教授の死について、穏便かつ形式的に終わらせたかった羽島ら外務省の意向に沿って計画されていた今回の調査で、日浦の襲撃事件は予想できなかった偶然の産物であったと思われる。(加えて桧坂の積極さとパソコンデーター処理能力の高さも彼らは見誤っていたのだろう)ならばこれは真相究明における一つの突破口になるかもしれない。
「そうだね。権限は無くとも一応調査だけはしておこう」
山部は河野を電話で呼び出し、昨夜、日浦という日本人が襲撃された事を報告し、現時点で分かっている事実を述べた上で、簡単な調査だけを行う旨を話した。
河野は、立て続けにブルンガ島で日本人が巻き込まれる事件もしくは事故が起きた事に驚いた様子だった。
「分かりました。ではよろしくお願いします。実はこちらからも伝えたい事があったんですが、これはもう少し調査が進んだ段階でお知らせします」
そう言って電話を切った。
山部はルカ・ベンに頼んで地元警察から事情が聞けるよう取り計らってもらった。
ルカ・ベンが日頃から人望があるせいか、警官たちは皆フレンドリーで、今回の事件に関して、山部が知りたい事を丁寧に説明してくれた。
その結果分かったことは……、
○ 山部とスナックで別れた後、日浦はこの島にいる恋人に会いに行き、その恋人の家の前で何者かに襲われ、かなりの深手を負った。救急車には男性の声で連絡があったそうだ。
(この男性が誰なのかは不明だが、声の印象は若々しかったという)
○ その恋人とはチーママの言っていた若い女性で、ブルンガ人の誰からも尊敬されている長老ロラン・チャタの養女・アミラ。職業は日浦も言っていたように、小学校の先生だ。(つまりルカ・ベンの同僚か?)
○ 日浦とアミラの交際はブルンガ人には良く思われていなかったらしく、これまでにもフランス語で書かれた脅迫の手紙等が日浦のNGO事務所に届いていて、日浦自身から被害届と捜査の依頼が出ていたそうだ
○ 襲撃に使われた武器は、ブルンガ人の成人男性なら誰でも持っているブルンガ・ナイフ。
(これは刀身が40センチもある巨大なナイフで、コーバンの警官が腰からぶら下げているものと同じもの)
○ 島のコーバンでは、ギャングによる金目当ての襲撃、仕事上のトラブル、嫉妬した恋敵、あるいは他民族との交際に否定的な集団による者等、多方面から捜査中という事だった。
山部は次に昨夜現場に駆けつけた救急隊員に直接聞いてみることにした。
ちょうど日本から飛んできたヘリに日浦を搬送し終えたブルンガ人の救急隊員がストレッチャー(車輪付きの搬送用ベット)を車に仕舞い込んでいる所だったので、山部はルカ・ベンに頼んで連絡を受けて駆けつけた時の様子を聞いてもらうことにした。
○ その救急隊員は、日本のような消防吏員(しょうぼうりいん)や非常備消防の地域における自治体職員ではなく、現場で治療行為に当たれる病院勤務の医師で、彼の見立てによれば大型のナイフと見られる刃物による創傷で、傷は数箇所。出血がひどく意識も無かったという。
○ 昨夜11時15分頃、病院にケンカで刺された男がいるとの緊急通報があり、すぐに警察に連絡すると共に宿直看護師と救急車で現場に駆けつけた処、血まみれで倒れている日浦を発見したという。
○ 日浦の側には若い女性が付き添っていたが、その女性は事件そのものは見ていなかったらしく、日浦がどういう状態でケガをしたのか答えられなかったらしい。
○ 救急隊員(医師)はすぐに病院に運び、できうる処置をしたが手術を施す必要があり、今朝早く設備の整っている日本の病院に搬送する事を要請したという。
ルカ・ベンが救急隊員の言葉を通訳している最中に東京消防庁のヘリが飛び立ったので救急隊員の最後の言葉は爆音で消された。
「横浜の方が近いのに、なんで東京からヘリが来るんですかね」
上昇するヘリを見ながら、ルカ・ベンが妙な感心をした。
工場内にある『カフェ武蔵』でモーニングセットを食べた際、山部はルカ・ベンに、「君は今回の襲撃事件をどう見る?」と、聞いてみた。
ルカ・ベンの推測では、「警察が言うように恋敵に刺されたか、仕事上のトラブルやないでしょうか」ということだった。さらにルカ・ベンは、
「昨日、船に乗る時には、本人がいてはったんで言えませんでしたが、あの人はブルンガ人の間では、すぐに若い女性に手を出す男と、あんまり評判が良うなかったんですわ」
と付け加えた。それはあり得る話かもしれない。
「ブルンガ島ではこの処、立て続けに事件や事故が起きているようだね。実は昨夜、スナックで日浦さんから、モカンゼという人も先日殺されたと聞いたんだが、一連の事件には関連性があると思うかい?」
と、話題を向けてみると、急に険しい表情になって、
「関連があるといえば、二人は共に評判が良くなかったという事ですね」
と、小声で吐き出すように言った。
「私が噂で知った限りでは、そのモカンゼさんも自分が上役やていう立場を利用して工場内で、えこひいきしてたとか。自分が気に入らん者は工場長に、有る事無い事告げ口して、クビにしとったという話です。それで恨まれとるとも聞きました」
という事は、モカンゼの件はクビにされた者の犯行という線だろうか。日浦は、ギャングによる犯行と見ていたが、ルカ・ベンの話では違うようだ。いずれにしても日浦の襲撃事件もモカンゼ殺害事件も友久教授の件とは直接的には関係がなさそうだ。
「悲しい事ですが、ブルンガでは僅かなトラブルで、殺される人が多いんです」
ルカ・ベンがそう言って嘆息し、話を打ち切った。
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