第16話 友久教授の学術論文 【10月15日】
11時過ぎにホテルに戻った山部は、桧坂の処理能力の高さに驚かされることになった。
彼女は入手した友久のパソコンデーターの中から、この島で書いたとみられる文章ファイルを抜粋し、それを富永の管理人事務所でプリントアウトしていたのだ。
「何か面白そうなものは見つかった?」
「そうですね。タイトルも数字だけで、その内容も論文、日記、メモ帳とバラバラですが、この島で教授が何を研究していたのかは、少し分かってきました」
桧坂はそう言いながら、山部の前に何枚かのプリントを提示した。
「例えばこのファイルですが、〈クマ族とハミ族における古代ブルンガ王国に対するSD法による認識調査〉となっています。いわゆる学術論文で、この島に住むクマ族とハミ族、それぞれ50人にアンケートを取り、七世紀頃に最も栄えたと言われる古代ブルンガ王国をどのように捉えているかを調査したものです」
「古代ブルンガ王国?」
「伝説上の王国だそうで、西アフリカでガーナ帝国と覇を争っていたとされるとか書いてありました。これについては多くの歴史学者が存在性は薄いとしているそうです」
「その伝説的な王国を島に住んでいる二つの民族が、どういった認識で見ているかを教授は調査していたわけだね」
「そのとおりです。数年前にハミ族による政変で滅んだクマ王朝は、この古代ブルンガ王国との系譜を主張していたようです。国定教科書にも事実として記載していましたが、クマ族の人々はこの歴史をほぼ全員が信じていたのに対しハミ族の人々は創作だと考えていたようです。そこで時の政府は国民全体への啓蒙に力を入れるべく多額の予算を投入して遺跡の発掘を試みました。その際、ハミ族が暮らす地域の耕作地を強制的に摂取した事を発端に暴動が起こったのだそうです」
「そりゃあ、微妙なテーマだねえ」
「ええ、一つ質問の仕方を間違えると、どちらかの民族を怒らせることになります」
「船に乗った時、君にアピールしていた日浦とかいう男にスナックで出会ったんだけどね、あの男も言ってたよ。ハミ族は世俗的で、クマ族は伝統を重んじる保守的な民族だとか」
「はあ、あの人ですか」
桧坂はほんの一瞬だけ嫌悪の表情を見せた。
この様子だと明日スナックに行って彼から色々聞き出して欲しいと言うのは気が引ける。
「友久教授は、〈ハミ族とクマ族における宗教観の違い〉というタイトルがついた手記の中で、同じコプト教の流れを含むブルンガ聖教でもハミ族の教会はゴスペル風の賛美歌を歌って、現代的にアレンジした教義を教えるのに対し、クマ族の教会では神父が伝統の呪術を交えて教えに従わぬ者は皆、地獄に落ちると、恐ろしげに語るとかで、その違いが興味深いと書いていました」
「なるほど。人生観も生き方も、両民族では違うわけだ」
「8年前の政変で倒れたクマ王国についてもハミ族の人達は『過去の制度』と興味が無いのに対し、クマ族の人々は今でも亡くなられた王様に尊敬の念を持って語るそうです」
「友久教授はクマ族の集落の側にあるアパートに住んでいたんだっけね」
「文化人類学者の教授にとっては、クマ族の方がより興味深かったのでしょうね。面白いのは旧ブルンガ王国での教育では、初等科時点から厳格に王に対する忠誠を誓わせたにも関わらずハミ族にはまったく浸透しなかったということです。この点について教授はインターネット、民族的反発、国内のインフラ整備に関わった中国等外国の影響を上げています」
となると、ブルンガ王国ではインターネットの規制や中国等好ましくない国との交易を制限したことが推測される。逆にハミの人々は中国に信頼を寄せたはずだ。
「そういえば、旧ブルンガ王国でレアメタルや石油の権益を持っていた日本や西洋諸国も、現在のハミ族支配下ブルンガ共和国では影響力を失い、代わって中国やロシアに取って代わられたという話は聞いたことがあるな」
しかし、だとすれば日本はどうして裏切られたに等しいこの国をパートナーとして選んだのだろうかと山部は不思議に思った。ブルンガ王国の時代には東京の大使館を東アジアの窓口としていたのに、現在のブルンガ共和国は北京にある大使館に人員を配置しているではないか。
もし東京湾にどこかの人件費が安い国を呼んで来るなら、もっと友好的な国でも良かったはずだからだ。その回答がこれらのファイルの中にあるのだろうか。
「実はこうした論文だけでなく、直接今回の調査にとって重要な日記であろうと思われるファイルも見つけたんですが、これを開く為のキーワードが分かりません」
「キーワード?」
「隠しファイルの事です。明らかに何メガものファイルが存在しているんですが、それらはパスワードがないと開けないので何かヒントがないか探してるんです」
桧坂が少し目をこすりながら言った。
山部達が調査できるのは明後日までと定められている。だから桧坂がなんとかパスワードを見つけたいという気持も分かる。しかし、彼女の調査にかける情熱は単に日数が限られているという事以上のものがあると山部は感じた。それはもしかしたら……。
「そうか。まあ、あまり根を詰めずに、今日はもう休んでくれ」
そうでなくても彼女は目が疲れやすいはずだ。羽田の出国手続きの際、何本かの目薬を持ち込んだのはそのせいだ。だから休ませなければならない。山部は明日に備えて眠るようにと厳命して自室に入った。
ベッドに横たわると、心なしか天井がグルグル回っているように感じる。
ビールは酔うほども飲んでいなかったので、これはやはり島全体がゆっくりと波間に浮き沈みしているせいではないだろうか。
遠くから、まるで映画で観たフランス警察のパトカーのサイレンの様な音が聞こえていた。この島では毎晩何か騒乱が起こっているのかもしれない。そう思いながら眠りについた。
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