第15話 NGO理事・日浦という男 【10月15日】

「日浦さんはNGOの方とお伺いしましたが、島ではどんな活動をなさってるんですか?」

「生活相談全般ですよ。ブルンガと日本では気候もずいぶん違いますので戸惑われる方も多いんです。東京が想像以上に蒸し暑いので母国に帰りたいと望まれる方もいます」

「帰国を望まれる方のお世話ですか。それは雇い主がしてくれないんですか?」

「勿論、従業員の場合は、雇い主がお世話します。公務員も問題ありません。しかしここには一般人、つまり自主的に来られた商店主の方や伝統的な職業の方もいます。そうした方が、この島を引き上げる際には家財道具の処分等を手伝います。家は原則ブルンガ国の所有なので、そちらは役所で行います」

 日浦は活動内容を気さくに語ってくれた。

「後は女性の地位向上ですかね。ブルンガでは女性が学校に行くのを強制的に辞めさせようとする乱暴な人はいませんが、低所得者の中には女性に学習なんて必要ないと公言する人もいます。しかし、女性の学習は、経済的な自立の道を与え、伝統的な隷属的関係からの脱却が可能となります。だから私達は、少なくともこの島においては、女子児童全員が学校に行けるよう、説得して回っています」

「言ってる事だけは立派でしょう」

 チーママが口を挟んだ。

「何が? 僕はフェミニストだよ」

「はいはい」

 この二人の間も随分親しいなと山部は思った。とりあえず日浦はこの島の事情には詳しいようなので、ハミとクマ、二つの民族について聞いてみることにした。

「島に来て気づいたんですが、ブルンガの人達は民族間や宗教で、対立があるんですか? 通りを隔ててずいぶん雰囲気が違うようなんですが」

「強いて言えばハミ族は世俗的で、クマ族は伝統を重んじる保守的な民族といえますかね。でも日本人の僕から見れば、どちらも古い慣習に縛られた人々ですよ。言うならば東アジアの国々がどこも根底では儒教に縛られているようなものです」

「とはいえ、ブルンガ人の中では両者の文化にかなり違いがあるということでしょうか」

「ええ、だからハミとクマは一緒には住みたがりません。宗教的対立はあまり無いと思いますよ。宗主国の影響でどちらも現地信仰と結びついたキリスト教を信仰していますんでね。イスラムの人も本国には少なからずいるんだけど、この島ではハラル・フード(イスラム法上で食べることが許されている食材)が手に入りにくいのであまり来ていないようです」

「治安はどうなんですか?」

「工場の壁で囲まれた日本人街を除けば良いとはいえませんね。一歩外に出るとそれぞれの民族のギャング団が抗争を繰り返しているんですよ。つい先日もクマ族のモカンゼという男が殺されたところです」

「日浦さん、モカンゼは工場の作業主任ですよ。真面目な男でギャングじゃなかったです」

 こちらの話を盗み聞きしていたのか、テーブル席で飲んでいた五人組の一人が声を上げた。

 彼らは山部に「吉浦電気の関係者です」と名乗った。日浦は彼らに手で静止すると、

「言おうとしていた所ですよ。つまり、ここでは一般のブルンガ人でもギャングに殺される事があるんです。勿論、日本人もブルンガ人地域を一人で歩くのは危険です。例えば、あなたが調査しておられる学者先生も……」

「ギャングに殺された可能性があると?」

「いや勿論断定はできません。しかしあの人はブルンガ人の文化について調べていた為、他の日本人とは離れ、ブルンガ人のアパートに住んでいた。だとするとギャングの抗争に巻き込まれた可能性もあります。あなた方も、そこは気をつけてください。まあ、僕に言ってくれれば、知り合いも多いので安全に仕事ができますけどね」

「それは頼もしい。またそのせつは……」

 日浦は売り込みが成功したと思ったのか、上機嫌になって、

「ここは地面そのものが揺れていて、酔いが回りやすいんで深酒は禁物ですよ。それから明日はぜひ桧坂さんも呼んできて下さい。楽しみにしてますので」

と念を押して店を出た。

「日浦さん、これから若い恋人に会いに行くんですよ」

チーママ日浦をからかう様にして笑った。

「人聞きが悪い。僕はこの島の学校で先生をしているブルンガ人女性が、家族から仕事を辞めるように言われたというので、続けられるよう説得に行くんですよ」

 日浦がわざわざ戻ってきて、それを言い残すと、再び店を出た。

 山部は日浦を見送った後、手帳に今聞いた幾つかの重要そうな話をメモし、特にしばらく前に殺されたというブルンガ人『モカンゼ』の名には、二重丸で囲った。

「お仕事、ご熱心なこと。何か、お料理でも召し上がられますか?」

 チーママがビールを注ぎながら言った。

 山部はアタリメを注文すると、あまり酔わないうちにと、チーママや吉浦電気の社員に、友久教授や、先程名前の出たモカンゼという人物について、何か知っていることはないか尋ねた。

 狭いコミュニティーで、スナックも日本人向けの店はここしか無いということで本来は何の接点もない人間でも何か知っている可能性があった。

 スナックの他の従業員や、吉浦電気の社員らからは、先日殺されたモカンゼという人は、クマの人で、ブルンガ人で工場に働く人には元々クマ族が多く、公務員や商店主はハミ族が多いといった、話だけだったが、チーママからは友久教授に関する興味深いことを聞かされた。

「先生はたまーに飲みに来られてましたね。でも、あの人は忙しい人で、頻繁に日本に戻っておられましたから。ここにはそれほど」

「授業があるならしようがないだろうね」

「いいえ、あの人は研究専念で、ここ半年程授業は行なっていなかったとか聞きましたよ。そうじゃなくて、教授は奥さんが一番という人だから暇があれば金沢に帰ってたんですよ。あ、金沢と言っても金沢区のことですけどね」

「え、教授に奥さんがいたの?」

「そう聞きましたけど。あら、保険金の受取人は奥さんじゃなかったんですか?」

「ああ、いや今回のは大学側からのもので」

 実は自分は保険調査員ではなく警察から派遣された者ですとも言えないので適当に濁しておいた。それにしても山部の知る限り友久教授は独身であったはずで、遺留品は研究室のあった東都大学に運ばれることになっている。だが彼女は友久に妻がいたというのだ。それがどんな人で、金沢区のどこに住んでいたかという事までは知らなかったが、いずれにせよ、この事は河野に調べさせる必要がありそうだ。

 山部は河野に、この女性について教授の大学の同僚や友人が何か知っていないか、詳しく調べて欲しいと、携帯からメールを送っておいた。

 携帯電話をポケットに仕舞い込みながら山部は、自分がワクワクしている事に気づいた。

やはりこの仕事が自分には合っているのだ。今は亡き妻が、『前を向いて新しい事にチャレンジして下さいな』と心の中に働きかけても、元同僚が心配して就職先を斡旋してくれても、自分には他の仕事などはできないだろう。そう感じてフッとため息をついた。

 チーママから情報が取れたのははそのくらいで、島における教授の交友関係等についてはあまり知らなかった。

どうやら友久教授がブルンガ人の誰と接触していたかは日本人では日浦以上に知っている者はいないと思われる。

「やはり明日、桧坂から日浦に聞き出してもらおうか……」と山部は呟いた。

 だが、日浦とはその夜を最後にスナック・ブルンガで会える事は無かった。

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