第11話 転落現場 【10月15日】
「アパートに行く前に友久教授が転落したという場所を見てみたいんだが」
「それやったら、すぐそこですわ」
一行はルカ・ベンの案内によって工場を出、島の東西を結ぶ中央通りを西に向かった。
ヤギの群れを追い払いながらしばらく歩くと防波堤上に海を眺められる広いデッキが設営されていて、そこに屋根があるビアホール施設があった。
数人のブルンガ人が昼間から酒を飲んでいる。Tokio Barと書かれた看板には『Pombe(ビール)\200』と書かれていた。
この島では日本円が使われているようだ。
海際には1m位の鉄柵がついていて、日本人が二人釣りを楽しんでいた。
覗き込むと海までは5m程。通常の防波堤よりも低く感じるが、浮島という構造から干満差は無視できるので、それ程高い防波堤は必要ないのかもしれない。
今日は少し風があって波が高い。陸にある防波堤ならテトラポットに白波が打ち付けるところだが、ここでは当然テトラポット等は見当たらないし、他にも特に目立った出っ張りは無いようだ。
となると、ここから転落して負傷したとみられる教授の右側頭部の陥没や幾つもの打撲はどう説明すれば良いのだろう?
山部は数枚の現場写真を撮ると、釣りをしている日本人に近づき、親しげに話しかけた。
「すみません。ここでは何が釣れるんですか」
「スズキだね。もっとも今日はまだ上がってないけど。夜になるとよく釣れるんですよ」
「そうですか。スズキ。時間が取れればぜひ狙いたいものです。釣り道具はこの島で手に入るんでしょうか? 海までは高さが5m位、ありそうなのでタモ網も必要そうですね」
「工場の購買部に行きゃあ簡単な物なら手に入るよ。新しく配属された方?」
「いえ実は私、ここから転落して亡くなった友久さんの調査をしてます保険会社の者で、居られるのも明日までなんですけどね。釣りは大好きでして。ところで10月6日の夜もここで釣りをされていましたか?」
「いや、騒ぎがあった日は覚えているが、大雨だったから社宅にいたよ。スズキは天気の悪い日の方が釣れるというけど、そこまで熱心じゃないからね」
もう一人の日本人も「さすがにその日は釣りをしていなかったよ」と言った。
そういえば10月7日に本牧で釣りをしていた時、水潮の影響で釣れなかった事を山部は思い出した。つまり10月6日はかなり雨が降ったのだ。
「でもそんな雨の日に、教授は何故こんな場所でお酒を飲んでいたんでしょうか」
桧坂は風に煽られながら鉄柵から大きく身を乗り出し、スマホで現場を動画撮影しつつ不思議そうに言った。
またしても彼女はスカートの乱れなど気にしてもおらず、ルカと釣り人の一人が桧坂を見て顔を崩している。
パンツを見せるのが趣味なのか? とは、セクハラになるので言えない。
「それより、落ちないでくれよ」
「ハイ、もう撮影は終わります」
桧坂はようやく裾を直した。
ビアホールから流れてくる音楽は風の向きによって大きくなったり小さくなったりしていた。
「ルカ、あそこのビアホールは、雨の夜も営業しているのか聞いてみてくれないか?」
「あそこは台風でもない限り夜遅くまでやってますよ。常連さんが飲んでるか、あたってみましょ」
山部達は、まず従業員に聴き込もうとしたが、ビールを運んできたギャルソン(ボーイ)は、ルカ・ベンが話しかける前に逃げるようにして調理場に引っ込んだ。仕方がないので、ルカはこの時間からラフな格好で酔いつぶれているブルンガ人に当日の様子を尋ねてみた。
「Je me souviens」
スワヒリ語ではなくフランス語だった。
「覚えていると彼は言っています」
ルカ・ベンが翻訳する前に桧坂が答えた。
「教授は酒に酔っていて上機嫌で雨の中を歩いていましたが、ふいに転落したそうです」
「初めから怪我をしていたかどうか分かるか?」
それを今度はルカ・ベンがスワヒリ語で尋ねた。ブルンガ人はフランス語も話すが、こちらの方が意思の疎通がしやすいのだと言う。その結果、この男は遠目に見ていただけで、歩いてきた教授は怪我をしているようには見えなかったという証言をした。
「だとすると、やはり教授の怪我は海に転落した時に付いた事になるな。しかし海は深い。
君はどう思う?」
山部はルカ・ベンにも意見を聞いた。
「釣ってる人が、根掛かりすると言うてはった事もあるんで、そうやとすると下に岩礁でもあるんやないでしょうか」
これはもっともな意見だった。深度がある海の中でも海中に岩があって、そこに乗り上げると座礁の危険がある場所がある。ブルンガ島は言うならば超巨大な船だが、底が平らであれば、喫水が浅いのかもしれない。だからこそ大型船の通る水路から外れた位置に設置できたのだろう。ただ、友久教授の傷が岩礁に当たった事で付いた傷ならば、警視庁も初めから海図を調べているはずだ。
山部はもう一人の酔った客にも聞き込みをしたが、こちらは当日かなり酔っていて騒ぎも覚えていないそうだ。
「この人達は働いていないのか?」
山部がふと疑問に思ったことをルカ・ベンに尋ねると、彼らは工場で働く人間ではなく商店の人達で、女房に店を任せて一日中飲んでいるということだった。
「ちょっと酷いですね」
桧坂がポツリと言った。
「残念やけど、そんな人も多いんですよ。ブルンガの伝統では、男は狩りと戦いが仕事で、子育てや市場での売買は女性の仕事とされていましたから」
ルカ・ベンがため息を付いた。
「まあ確かに日本でもお茶くみが女性の仕事と考えている中高年の男性もいますからね」
桧坂のようにアクティブな女性は保守的な警察組織の中では不満を覚えることも多いかもしれない。山部は矛先が自分に向かわないうちに話題を変えた。
「じゃあ、今度は教授が住んでいたアパートに行ってみるか」
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