第10話 京沖(けいちゅう)ホテル 【10月15日】

 それはホテルというより、田園調布や芦屋に建つ豪邸という感じだった。

先程富永から、その名前を教えてもらったシアの木に立て掛けた質素な案内板がなければ宿泊施設だとは誰も思わないだろう。

「ブルンガ島に観光に来られる方はまだあまりいないんですが、ウチの社長や、政府関係者が来られた時の宿舎として、よく利用されているんですよ」

 富永が、そう説明しながら呼び鈴を押すと、エレガントな黒いカットソーのセットアップを着た40歳位の上品な婦人が玄関に出てきて、「よくいらっしゃいました。私、このホテルの支配人で間宮と申します。と言いましても吉浦電気の社員なんですけどね。ホホホ」

 と、笑いながら山部達を中に招いた。

「では、私はこれで。何かありましたら工場の管理事務所におりますので」

 富永はホテルの中には入らず、後を間宮に任せて立ち去った。

 玄関を入ると、すぐにそこにあったのは、座り心地の良さそうな椅子の並んだロビーで、右側にある大きな窓からは美しいイングリッシュ・ガーデンが見えた。

「ホテルというより、会社の別荘の様ですね」

 桧坂が山部に耳打ちした。

「落ち着かれましたら、こちらのロビーで、お茶にいたしましょう。その前にお部屋を、ご案内いたします」

 間宮は山部と桧坂を二階に案内した。どの部屋のドア左横に、高さ50cmほどの台座に据えられたインパラやヒヒといった動物の彫像が置かれ、その動物が部屋の名称になっていた。

 山部にはコビトカバの間が桧坂にはジャッカルの間がそれぞれ割り振られた。それらの部屋はセミスィートルームタイプで、結構広い。ベッドの他、書類整理のできる机も置かれていて、使い勝手も良さそうだった。

 一方、ルカ・ベンはブルンガ人宿舎に住んでいるので、ここには泊まらないらしいが、「住民に配るお土産は、山部さんの部屋にお願いします」と言って、コビトカバの間に荷物を下ろした。

 他に泊り客は見当たらなかった。

 山部と桧坂はそれぞれ部屋に入りバスルームやトイレの配置等を確認すると、桧坂の携帯した簡易式の盗聴盗撮発見機を使い、異常が無いかをチェックした。 しかし、チェッカーは全く反応せず、安全は確認できた。

 二人が持ってきた荷物を置いて下に降りるとロビーのテーブルには、お茶が用意がされていて、ルカと間宮がすでに席に着いていた。

 ティーバッグ入れたものではなく、本格的に茶筅で泡立てた抹茶だった。

「けっこうなお手前で」

 どこで習ったのか、ルカ・ベンが茶の作法に従って湯呑を回し、日本人でも苦い茶をうまそうに飲んだ。

 東京の目の前にありながらも異国という地で飲む日本茶に山部は不思議な感動を覚えた。

 しかもロビーにあったテレビは日本の放送局の番組ではなく、ブルンガの放送局が制作したと思われる番組を流していた。日本で言えば時代劇の様な作品らしく、服装が古風だ。強欲そうな西洋人が誠実そうなブルンガ人の青年を足蹴にしているシーンが映し出されているが、おそらく最後は西洋人がこっぴどくやられる展開なのだろう。

「ほう、こちらではブルンガ国の番組が放送されているんですね」

「というより、この島にあるテレビは全てケーブルテレビで、そのテーブル局は日本の番組を流さないんですよ」

「アンテナを立てれば横浜から電波が届くんじゃないですか?」

 と、聞いたのは桧坂だった。しかし、それに対する答えは……、

「ブルンガと日本の取り決めでそれはできないらしいですよ」

 何故だろう? 確かにここではNHKも受信料を徴収できないだろうが、元々海外向けの放送では受信料を徴収しないはずだ。また海外の客船が日本のテレビを見てもそれを問題にするとは思えない。となればブルンガ国の方が他国から入る文化を嫌がっているのだろうか。

「ところで支配人、友久教授はここに泊まっておられなかったらしいですね」

「間宮と呼んでくださいな。ええ、先生は研究のためにブルンガ人のアパートを借りて住んでおられました。その場所は、ええっと」

「そっちのアパートはコーバンが現在鍵を保管してるはずです。ブルンガ島役場では近々部屋の中の荷物を引き渡すように学者先生、所属先の東都大学と交渉を行ってる最中みたいなんで」

間宮の答をルカ・ベンが受け継いた。

「さて、滞在期間は今日を入れても三日間。観光気分でいるとすぐに予定が過ぎてしまう。もし教授の部屋を見させてもらえるなら、今すぐにでも行きたいんだが」

「山部さんなら、そう言いはると思うてました。既にコーバンとは話をつけてますんで、キーをもらいに行きましょう」

 ルカ・ベンはそう言って立ち上がった。これまた手回しの良い話だった。やはり誰もが形式上の調査のみを期待していて、今回の件に関し深く詮索して欲しくは無いのという事だろうかと山部は勘ぐった。

 京沖ホテルは日本式でチップは受け取らず、お茶もサービスだった。山部は間宮に「夕方には戻ります」と言い残してホテルを出た。

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