第9話 ケセラセラ  【10月15日】

「お話は本社より伺っております。保険調査の為、三日間滞在を予定されている山部さんですね。私は吉浦電気・ブルンガ工場で管理部長をしております富永という者です」

 ブルンガ島における日本側責任者への連絡は全て上の方で行なってくれているようだ。おそらく富永も山部達の正体を聞いているだろう。

 こうした根回しに沿った形で調査を進めるのは楽だが、あまり流れに沿うと何も見えてこない。山部は一度咳払いをして、笑顔を作り直すと、迎えてくれた富永に話しかけた。

「わざわざお出迎え頂き、ありがとうございます。今回の件はこちらで働く日本人の方々にもショックでしたでしょう」

「そうですね。我々はブルンガ人とはビジネスでお付き合いしているわけですが、友久先生の興味はそこにはなかったようで」

 そう語る富永の声はしだいに小さくなった。

 人間は一言話すだけで、その性格や考え方が分かる。山部には富永が、民間の保険調査員を名乗る捜査官に対して、どこまで話して良いのか迷っているように思えた。

 突然、背後からブォーっと、先程とはまた違った野太さの汽笛が響いた。

 見ると、山部達が乗ってきた船の数百メートル後部から、もう少し大きなコンテナ船が、ちょうど桟橋に接岸するところだった。

「東京とブルンガ島を結ぶ貨客船は一隻と聞いていましたが、他にもあるんですか?」

「あれは工場で使う原材料を運び入れているリベリア船籍の貨物船ですよ。工場で作り上げた製品もあれに積み込まれます」

 富永の説明によれば、貨客船の定期便は山部達の利用した船のみだが、原材料や製品を運搬する貨物船は数隻あるという話だった。

「外国と日本を結ぶコンテナ船にしては少し小型なんじゃないですか?」

「あの船は5千トン級の船で、数万トンある普通のコンテナ船よりは小型なんですよ」

「水深が浅いんからですか?」

「いえ、確かにブルンガ島のある場所は航行を妨げない為に大型船の通る水路から少し外れた場所にありますが、それでも横浜沖の水深は十分にあります」

「確か明治時代に港として開発されたのも十分な水深があるからですよね」

桧坂が相槌を打った。

「そのとおりです。つまり水深の問題ではなく、この島の港湾施設がそれ程大きくない為なんです。島全体が浮いているので、あまり巨大なクレーンを設置できないんです。そういう理由で、あのコンテナ船も台湾の高雄港をハブ港にして、大型のコンテナ船と荷物の積み替えを行っているのです」

 となると、日本の羽田税関を経由せずにこの島に入って来る人や荷物もあるだろう。要するに、ブルンガ島を出入りする船を常時検問でもしない限り、犯罪を犯した者が第三国を経由して本国に逃げ帰ることも可能というわけだ。


 島に入る人間はヨーロッパの城門のような鉄扉をくぐって島内に入るようになっていた。

 桧坂が見上げていると、富永が、

「これは荒天の日の高波や津波から島を守る為の防波壁です。北側と南側の壁が特に高く、東西の壁は海が見えるように少し低くなっています。しかしブルンガ島はいざとなったら向きを変えることもできますので」

と詳しく説明してくれた。

 ブルンガ島へ上陸する入国審査はベージュの制服を来たブルンガ人職員にビザを提示するだけという簡単なものだけで手荷物検査も粗雑なものだった。山部達が富永の後に続いて入国審査所の建物を出ると、途端に視界が開けた。そこは結構な広さのある緑地帯になっている。

 日本ではあまり見かけない木があちこちに植えられていたので、山部が興味深そうに見ていると、「あれはシアの木といって、ブルンガでは国中に生えているそうです。シアバターの原料にもなる木ですよ」と富永が教えてくれた。

「それにしてもかなり余裕のある設計になっているんですね。私はまた長崎県の軍艦島の様に、隙間なく住居が建っているのかと思っていました」

「ブルンガ島は、縦横九百メートルあって、そこに約八千人ですからね。人口密度で言うと平方キロあたり九千九百人。これは川崎市と横浜市の中間位です。軍艦島は、最盛期の人口密度が平方キロあたり七万六千人以上でしたから比較になりません」

 富永の説明を聞いて、山部は改めてそんな広大な島が海に浮かんでいるのだと、このプロジェクトのすごさを実感した。  

「ここには日本人も70名以上住んでいると聞きましたが、皆ブルンガ人に混ざって住んでるんですか?」

「いいえ、日本人は東岸にあるヘリポートの近くに固まって住んでいます。壁に囲まれた一種の租界ですが、そこに島を訪れた日本人の為の京沖(けいちゅう)ホテルというのがあります。今からそちらまでご案内いたしますので」

 そう告げると富永は、緑地帯の中の遊歩道を歩き出した。

 どこからかノリの良い音楽が聞こえて来る。

 見ると緑地帯の隅にポールが立っていて、そこについているスピーカーから流れて来るものだった。日本で言えばここはラジオ体操広場のようなものだろうか。

 音楽はフランス語で歌われるレゲエのような感じで、重低音の男性歌手が語りかけるように歌っていた 

「あれはブルンガの歌?」

 山部が尋ねると、

「あれはブルンガで一番売れている歌手・トマが歌う『ケセラセラ』という曲ですよ」

 と、ルカ・ベンが答えてくれた。山部が知る『ケセラセラ』は1956年にドリス・ディが歌ったもので、日本語訳された歌を父親が「ケセラセラ。なるようになる~」と歌っていたものだ。しかしこれは全く違う曲だった。

「陽気な曲だねえ。お祭りとかで歌うもの?」

「違うようですよ。歌詞はけっこう深刻です」

 そう答えたのは桧坂だった。

 この島に派遣されたのは、わずか三人という調査団だが、そのうちの二人が通訳というのは便利なものだなと山部は思った。

「やつらがやって来て村を襲った。妻は殺され、若者達もみな死んでしまった。なんとか追い返したが、次に来たらどうしよう。ここにはもう守ってくれる兵士もいない。愛する娘をどうやって守ろう。そうだ呪術師に頼んで娘を隠してもらおう。そうすれば奴らに見つかる事もない。後は運命に任せればいい。というような内容です」

「この歌はブルンガ北部のヤルケ村が、隣国より侵入して来たペケハレムというイスラムのテロリスト集団に襲われたていう実話に基づいてできた歌なんですわ。ブルンガがキリスト教の国やから、よく襲われるんですわ」

 ルカ・ベンが深刻そうに言った。

 警視庁内で山部は森倉から、ブルンガ国では今でも国内で民族紛争が起きているという話は聞いていた。しかしそれに加えて、こうしたテロの被害まであるとすると、人が簡単に殺されるという環境下にある為、この国の人々は日本とは違った死生観を持っているに違いない。

「さあ、こちらです」

 ゆっくり歩いている山部達を急かせるかのように少し前方を歩いていた富永が声をかけた。富永は島の中を環状に走っているメインストリートへと山部達を誘導した。

 島内には約8千人以上の人が住んでいるということだが、見渡してもヤギばかりが目立ち、昼下がりの時間帯にメインストリートを歩いている人はまばらで、その多くが自転車で遊ぶ子供達だった。ブルンガ人の子供が乗っている自転車は、日本ではあまり見かけない鮮やかな原色で、それだけでも山部達にここが異国なのだと思い出させた。

「家族でこちらに移住している人もいるんですね」

 桧坂が少し意外そうに言った。その時、

「ムワリーン!(先生)」

 自転車で遊んでいた子ども達が通訳のルカを見つけて駆け寄ってきた。

「ここには学校もありますねん。そんで私は普段ここの学校の先生をやってますねん」

 ルカ・ベンがそう言いながらちょっと胸を張り、先程百円ショップで買ってきた文房具を子供達の手に一つずつ与えた。

「彼は子共達にやさしいので、ずいぶん親しまれていますよ」

 富永がそう言って笑った。どうやらルカ・ベンはこの島では結構な顔らしい。

 山部には外務省が彼を推薦した訳が分かるような気がした。

 富永は東端にある通りを北に山部達を案内し、広大な敷地を持った吉浦電気の門を入った。日本人街はこの工場の塀の中にあるらしかった。

 そこには一端が100m余りある建物が二列で、三棟あり、その向こうにも少し小ぶりの工場が並んでいたが、操業中というのに意外に静かである為、山部はこれらの工場では最新の半導体関係の生産でもしているのだろうと推察した。

 すこし歩くと再び緑地帯になり、その先に白い住宅が点在しているのが見えた。

「さあ着きました。ここが山部さん達の滞在中の宿舎となる京沖ホテルです」

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