第8話 ブルンガ島上陸 【10月15日】

 東京からブルンガ島行きの連絡船は、毎日正午に、羽田空港に隣接された特別埠頭から出ているということだった。

 距離的には本牧の方が近く、横浜税関の管轄でも良さそうなものだが、様々な事情が有るのだろう。

 山部と桧坂は、羽田空港の国際線ロビーで合流予定のガイドを待った。

 実は山部はこの朝、相棒の猫をペットホテルに預けるのに手間取って約束の時間には少し遅れたのだが、ブルンガ人のガイドはまだ来ていなかった。

「ガイドの人からは少し遅れるという電話が入っています」

 桧坂がそう伝えた。彼女の服装は一昨日のままだった。

「そのガイドの人だけど、どういう人なのかな? 外務省の人は信頼しているようだったけど、どこまで今回の目的を知ってるんだろう?」

「私は昨日、打ち合わせの為に外務省に呼ばれて会ってるんですが、伺ったところによるとブルンガ国内の日本大使館で、先の政権の頃から現地スタッフとして働いていた人らしく、今回の事は全て話してあるそうです」

「我々も信頼していいってことかな?」

「少なくとも羽島局次長は信頼している様でした。のんびりした表情の人ですが、出身のハミ族だけでなく、クマ族の人にも顔が利くので、けっこう頼りになるそうです」

「つまり、おしゃべりってことだな」

 それから数分後……、

「えらいスンマセン。待たしてしもうて」 

 両手に紙袋を下げ、息を切らせて走ってきたのは身長1m90cmはあろうかと思われる長身の痩せた黒人だった。

「紹介します。こちらが今回私達のガイドを努めてくださるブルンガ人のルカ・ベンさんです。彼は大阪の近西大学へ留学されていたので日本語が堪能でいらっしゃるんですよ」

「ハイ、私は日本語がペラペラです」

 そう言いながらルカ・ベンは荷物を降ろして汗を拭った。

 それにしても、公の捜査では無いとはいえ、一応、殺人事件の調査をするのだ。遊びではない。なのに、ユニクロやダイソー、マツモトキヨシ等の買い物袋をこんなに抱えて来るとは……。いったい、この男はどういうつもりなんだろうと、山部は少し不快に思った。

「あれは現地で聞き込みをする際に必要なものなんですよ」

 山部の表情を読んで桧坂が耳打ちした。

「島にいる日本人には必要ありませんが、初めて会うブルンガ人に何か尋ねる際に、お礼が必要なんです。だからルカ・ベンさんには予めブルンガで人気のある日本の商品を買い揃えてもらっていたんですよ」

 その説明を聞いて山部は納得し、いきなりどやしつけないで良かったと思った。

 東京湾の中にある人工の浮き島とはいえ、ブルンガ共和国の飛び地として扱われることから、そこに入るには出国手続きが必要となる。

 山部達が税関に検査されたのはカメラやスマホ、ノートパソコンとUSB類、手持ちの薬品(山部は血圧降下剤、桧坂は数種類の目薬)というところだが、ルカ・ベンが提示した品物は百均グッズの山。

 外国に持ち帰る土産にしてはチープで、しかも数が多い。その為、税関職員は一瞬怪訝そうな顔をしたが、桧坂が捜査に差し障りのない範囲で説明をすると納得したように頷き、テキパキと作業を終え、埠頭に向かう通路を指し示した。

 山部達はいったん建物を出て、空港職員が行き来する滑走路脇の道路を沖合に向かって十分程歩き、そこから工事現場にあるようなエレベーターを使って特別埠頭に降りた。


 埠頭にはすでにブルンガ島で暮らす八千人余の食料や生活物資を載せた小型貨客船が停泊しており、島で働く邦人の交代要員と思われる数名の日本人が乗船する所だった。

「おや、女性とは珍しい」

 桧坂を見てそう笑いかけたのは、三十代、茶髪のショートボブにピアス。よく日焼けしていてサーファーにも見えるがそれにしては下腹がポッコリと出ているアンバランスな体型の男だった。着込んでいるブルゾン等は有名なブランドもので、腕時計も高級品だ。山部の経験では、結婚詐欺や投資詐欺に分類されるタイプの人間だった。

「言い当てましょうか。スナック・ブルンガに新しく入るアルバイトの方でしょう?」

「いいえ違います。私達は企業関係の者です」

「企業関係? じゃあ、吉浦電気の事務員さんかな? それとも会計士の方か。まさか、桑山造船の波力発電施設の補修要因ってことはないよね」

「さあ、どうでしょうか」

 桧坂ニッコリと笑うと興味なさげに視線をそらし、話を打ち切った。

「あああ、失礼しました。私は日本ブルンガ友好協会のNGOハミクマ理事・日浦と申します。現地には一年近く住んでいます。困った事があったら何でもお尋ね下さい。私は、殆ど毎晩スナック・ブルンガにいますので」

日浦はそう言うと桧坂の頭越しに、山部とルカ・ベンにも頭を下げ、桧坂の手に自分の名刺を握らせた。

「それでは、また現地で」

 そう言うと、日浦はNGOの仲間と共に、船から下ろされている簡易タラップを登って行った。

 他の乗客を挟んで、山部達も船に乗り込む。小型貨客船のタラップは安作りで底板も無い、歩く度にギシギシと揺れるので気を付けなければ思った矢先に桧坂が足を引っ掛けた。

 中に入ると船室は結構広くて綺麗だったが、乗客はまばらで、九割以上が空席のようだ。

 全て自由席らしいので、山部達は後方窓際に並んで座った。

 前方に座っている日浦とはまだ、話すタイミングではないと思われたが、島の事情には詳しそうなので、いずれ聞き取りをしないといけないだろう。

 貨客船は『長声一発』、ブォーっと汽笛を鳴らすと、見慣れた東京湾の風景の中をゆっくりと滑り出した。

 山部は、まるで湾内を周回する観光船でも乗っている様な錯覚に陥った。

気を引き締める為に船内の自販機でミルク入のコーヒー缶を買おうとすると、そこにはTax Free¥100と書かれていた。ここではもう消費税がかからない事に、山部は新鮮な驚きを覚えつつ、桧坂とルカ・ベンの分も買って、彼らのもとに戻った。

 そういえば、今回通訳と案内をしてくれるルカ・ベンという男とはまだあまり話してはいなかった。僅か40分程の船旅だが何か興味深い事も聞けるかもしれない。山部はコーヒーを差し出しながら、おもむろに尋ねてみることにした。

「ええっつと、ルカ・ベンさんだっけ」

「ルカと呼んで下さい」

「じゃあルカ、君は亡くなった友久教授の事は以前から知ってたの?」

「そうですね。あまり知らへんのですが、教授は一人でブルンガ人の地区に住んではりました。他の日本人はみんな固まって日本人地区に住んではりますんで、そういう意味では、ブルンガ人の間では有名でした。何かの研究をしてはったようで」

「友久教授は文化人類学者でしたね」

 桧坂がメモを出しながら言った。

「ということは、かなりブルンガの人と接する機会も多かったということだね。何かトラブルがあったなんて聞いてない?」

「いやあ、それはたぶん無いですね」

 ルカは少し考えてから否定した。

そうこう話ているうちに、目の前にブルンガ島のそそり立つ壁が迫って来た。


 それは10m以上の高さが有り、泉質の窓から見上げると、まるで海上に浮かぶ、巨大な要塞に見えた。その壁の側面に貼り付く形で、島と同じだけの長さがある巨大な桟橋が設営されていた。

 そこに山部達を出迎える者が待っていた。メガネをかけ吉浦電気の作業用ユニホームにヘルメット、腕章を付けた50歳位の男だ。

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