第6話 勾留されている男 【10月12日】
『琢磨』での会議を終えた山部は、
「おやっさん、少しいいですか?」と、河野に呼び止められた。
河野が案内したのは、取調べの全面可視化に伴って設置されたモニター室で、ここでは全ての取調べの様子を録画する機器が稼働している。
いくつかの部屋で取り調べが行われている中、河野が見て欲しいと言ったのは七号室だった。そこでは山部も知っている捜査第四課(マル暴担当)の刑事がいて、ひとりの黒人男性を尋問していた。
「彼は千歳烏山で、腕から血を流して歩いているところを職質されました。その際、様子がおかしいので手荷物を調べると、ショルダーバッグの中から大型のナイフと薬物を発見した為、現行犯逮捕となりました」
刑事が机を叩いて厳しく尋問していても、男は動ぜず大げさに手振りを交えながら首を振っていた。
「話を聞くと、自分は騙されて薬を売らされていたが、金をもらえなかった事で腹をたて、その地区を総括している男と喧嘩になったというんです。もっともケンカ相手の男は見つかっていません」
「所轄の世田谷署でなく、こっちで調べてるわけは?」
「上からの命令です。男は自分がブルキナファソの人間で、パスポートは組織に取り上げられたと言っていますが、当該大使館に問い合わせた処、職員は彼が自国の人間ではなく所持していたナイフもブルンガ人が用いる物だと教えてくれました。その情報を受け、羽田空港の記録とモニターを調査した処、彼がブルンガ島を出て、観光目的で日本に入って来た事が確認されたのです」
「となると、あの男は合法的に島から出て、世田谷で薬物の売買をしていたという事か? 大型のナイフをどうやって持ち出せたのかは謎だが、日本国内に既に彼らの麻薬組織があるのかもしれんな」
「実はそれだけではないんですよ。島では、少年を含むブルンガ人十数名が行方不明になっているという情報があります。私は不法移民を斡旋する組織まで出来ている気がするんです。そういう疑いもあって、こちらに移送されて来たのではないかと思うんです」
「つまり現在取り調べているのは四課だが、公安が注目しているという事件という訳か」
それはそうかもしれない。東京湾に浮かぶ自国領の浮島に行けば給料が倍もらえると聞いてやって来たブルンガ人も、目の前に見える日本に脱出さえすればその何倍も稼げるということが分かればメキシコ人がアメリカを目指す以上の騒ぎになる事は目に見えている。
治安維持という面で見れば公安にとっても由々しき事態だろう。
それにあの男は、自ら麻薬の売人だったと言ったという。山部の知る限り犯罪者は皆、自分の罪を軽くしようと一段低い犯罪を自供するものだ。それなのに国籍まで誤魔化そうとした男が正直に吐露するだろうか。もしこの男が麻薬の売人等とは格の違う犯罪者だとしたら相当注意深く取り調べを行わなければならない。
政府としては、東京湾のど真ん中に労賃の安い外国を切り取って持ってくるというのを妙案と考えたのだろうが、人間の心理を無視した奇策など、うまくいくはずがない……
山部はそう思った。
政府としては東京湾のど真ん中に労賃の安い外国を切り取って持ってくるというのを妙案と考えたのだろうが、人間の心理を無視した奇策など、うまくいくはずがない……
と、山部は思った。
「つまりこれからは不法移民を斡旋する組織の事まで考えないといけないのか」
「取り締まり方を間違えると人権問題にもなりますしね」
「日本がアフリカ人を騙して狭い島に閉じ込め安い給料で強制的に働かせているってか」
「そりゃあ聞こえが良くないですね」
河野が苦笑いしたところで、部屋のドアが開く音がした。
「先程は突然会議にお呼び立てして失礼いたしました」
そう言いながら入ってきたのは森倉だった。
「あ、警視監!」
河野が慌てて立ち上がり敬礼をする。河野に続いて山部も立ち上がろうとするのを押し止めた森倉は、今回の依頼について、警察としての立ち位置を話しはじめた。
「実は会議では山部さんにあまり詳しく話せなかったんですが、ブルンガ共和国は現在もなお政情不安で、国政の主導権を握るハミ族と、旧王国系のクマ族の間で暗殺合戦が繰り広げられているそうです」
「つまり治安があまり良くないと?」
「その通りです。日本政府は何故かそういった事情を無視する形で東京湾の浮島をブルンガ共和国に貸し与えました。もし今回の事が殺人事件と断定されると、各方面で波風が立つことから、羽島局次長としては穏便に事故として片付けたいという意図が垣間見えます。つまり、外務省が山部さんに期待するのは、やはり事故であったという穏便な結果報告です。実は、我々警察もその意向に沿って動くということで内諾しております」
「穏便にですか」
「はい、極めて穏便な報告をお願いしたいということです」
森倉は椅子を引いて山部の向かいに座った。
「なるほど……」
外務省はマスコミにこの件で騒がれる事を極度に恐れている。だから日本側の調査でも教授が亡くなったのは酒に酔って転落したと考えられるという報告書が欲しいのだろう。
「ご不満のようですね」
「というわけでは、ありませんが。そういった微妙な報告をまとめるのが目的であれば、やはり私よりも他の方が適任だったのではないかなとも思います」
「さすがは山部さん。私の人選に狂いはありませんでした」
怪訝そうな表情の山部に対して、森倉が真剣な眼差しで本当の目的を告げた。
「釈迦に説法でしょうが、我々は日本の安全を託されています。真相を解明し犯罪を抑止する義務があるんです。今回の事案が例え殺人事件であっても犯人の逮捕は不可能ですが、できればホシを特定して頂きたい。さらには、島内にあるであろう犯罪組織の概要を掴んでもらいたいのです」
「すると、外務省の意向は?」
「無視して下さって結構です。我々はあくまで警察として動きましょう。問題が起きた場合の責任は、全て私が取らせていただきます」
森倉の意気込みに山部は少し驚いた。
「正直に申しますと、私は外務省から相談を受けた時点で、調査員の候補は山部さん以外、頭に浮かびませんでした。彼らは、警視庁の現役警察官ではなくOBを、それもなるべく刑事らしからぬ風貌と、穏やかな物腰の人物との条件を付けて来ました。ブルンガ政府に疑念を持たれぬ為との説明がありましたが、ありきたりの調査が行えればそれで良しとの意図が透けて見えます。ならばこれを逆手にとってやろうと山部さんにお願いした訳です」
「確かに私は刑事らしからぬ面構えですからね」
「いやいや、そのようなことは。勿論、警視庁OBには、他にも捜査に秀いでた人材は多くいるでしょう。しかし、地取りの名人にして、胆力も兼ね備えた人物は私の知る限り山部さんだけです」
「なるほど。良く分かりました」
「山部さんには、無理なお願いを引き受けて頂き感謝しております」
そう言って森倉が深く礼をした。
山部は心中、これはますます大変な事になったと、簡単に引き受けてしまった事を後悔した一方で、久々の大きな仕事に高揚感もあった。
モニターには、今も取調の刑事と麻薬密売の容疑者である黒人のやり取りが映されているが、山部の目にはその黒人の鋭い眼光やストイックに短く刈り揃えられた髪の毛から、単なる金目当ての売人とは映らず、むしろ過激思想を持った政治犯のように見えていた。
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