どこに行っても、廃墟を夢想してしまう。煌びやかな場所も、甘美な空間も、一瞬だけ荒んだ光景が頭に過る。ディストピア、虚ろな世界。人間だけを切り抜いた人工物に、なんとも言えない哀愁を感じる。彼女もまた、そこに住んでいた。人の寄り付かない、半壊の心霊アパートで、慎ましやかな生活を送っていた。ある部屋の郵便受けには溢れんばかりの新聞が詰まっている。ある部屋のベランダには洗濯物が干しっぱなしだ。彼女曰く誰も住んでいないらしいのだが、今にも人が出てきそうな雰囲気に当時は酷く怯え、身震いしたものだ。そして、僕がそこに通い始めて数か月経ったある日。彼女は忽然と姿を消した。玄関の鍵は閉まっていて、キッチンにはまだ湯気の立ちのぼる温かいコーヒーがあり、テレビも電灯も扇風機もつけっ放しだったから、まるで彼女だけがその部屋から型抜きのように切り取られたようにしか感じられなかった。あの異様な空間に漂う空気の味。少しカビ臭いディストピアに、恋をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る