交際3周年記念

いとうみこと

第1話



「ちょっと、また溜息ついてるよ。うるさいんだけど、何かあったの?」


 タンクトップに短パンでベッドに寝そべってスマホをいじっている風呂上がりの女。無駄に手足が長くスタイルはいい。顔もまあそんなに悪くない。長い髪を団子にした後ろ姿の後れ毛が色っぽいと言う人もいるだろう。連れて歩くにはそこそこだろうが、性格はまるで男。ガサツで大雑把。俺よりも男らしい女、それが目の前の姉だ。時々起き上がってはあぐらをかき、あたりめを齧りながら俺の缶ビールを次々と空にしている。こんな女を嫁にする男の気が知れない。


 贔屓にするアイドルの公演のために田舎から出てきて俺の部屋に泊まるのはいつものことだ。二世帯住宅入り婿の義理の兄は全く口出しせず、一緒に住んでくれることを選んだ娘を母も甘やかし放題。そのたび俺のベッドを占拠して俺は床で寝ることになる。もちろん手ぶらで土産のひとつもない(母の手作り惣菜だけは山と持って来るが)。なかなか実家に帰らない俺の様子を母に報告する代わりに、交通費を負担してもらっていることを俺が知らないとでも思っているのか。


 とは言え、役に立たないこともない。身近に気安い女友だちがいない俺にとって、ほぼおっさんとはいえ、一応女である姉の意見は貴重なのだ。実際、これまで何度も助けてもらっている。

 そして今日も、俺は溜息をつかないではいられない状況にある。


「どうしたのよ。また例の彼女?」


 俺は空になった缶ビールを見つめたままもうひとつ溜息をついた。


 俺には付き合って3年になる彼女がいる。俺より7つ年下の23歳だ。姉と違って見た目も中身も今時の女子といった感じで可愛いし、性格だって悪くない。俺なんかには勿体無いくらいの彼女だ。だが、ひとつだけ厄介なところがある。異常な記念日好きなのだ。交際1ヶ月記念から始まって、2ヶ月、3ヶ月と毎月の記念日、1年経った時には誕生日でもないのに高価な指輪を買わされた。それだけじゃない、初デート記念、初プレゼント記念、初ドライブ記念に初キス記念等等、数え上げたらきりが無い。その度に彼女への思いの丈を伝えなければ、私のことなんかと拗ねられた。うっかり約束を忘れたりすると泣いて喚いて厄介だったから、専用のスケジュール管理アプリを使い始めた。最近では言われる前にこちらから提示するから、責められることもなくなった。しかし、もう俺も若くはないし、面倒臭いとしか思えなくなってきた。


「じゃあ別れたら?」


 姉は5本目の缶ビールを開けながらいともたやすく口にする。そんな簡単にいくもんか。別れるなんて言った日には泣き叫んで手がつけられなくなるに決まってる。


「そうかなあ。意外と冷めてるかもよ?自分の気持ちを奮い立たせるために記念日にこだわってたりして。」


 チップスの袋を開けながら、薄笑いを浮かべて姉が言う。その笑い方はかなり気持ち悪いが今日は黙っておこう。いや、しかし、彼女に限って冷めてるなんてことはあり得ない。つい先週だって、デート100回記念を祝ったばかりだ。


「何をそんなにムキになってるのよ。別れたいって思ってたんじゃないの?」


 別に別れたいわけじゃない。何度も言うようだが、記念日好き以外は十分満足しているんだ。それさえ直してくれたら結婚してもいい。


「だったら簡単じゃないの。彼女にそのことを伝えたらいいだけよ。」


 だから、簡単に言うなって!


 ……いや、待てよ。姉の言う通りかもしれないな。記念日は増えることはあっても減ることはない。このままエスカレートしていったらお互いに苦しくなるばっかりだ。ここらで一旦清算しなければ。


「善は急げよ。今すぐ電話しなさい。」


 俺は意を決して彼女に電話をかけた。姉のプレッシャーがある方が、腰砕けにならずに済みそうな気がした。


「もしもし、俺だけど。」

「どうしたの、こんな時間に。」

「えっと、実は、来週の交際3周年記念について話があるんだ。」

「まあ。実は私もそのことで話したいことがあったのよ。」

「え、じゃあ君から言えよ。」


 俺はつい自分の問題を先送りしてしまった。背中越しに姉の冷たい視線を感じる。


「え、ああ、そうね。じゃあそうするわ。」


 彼女はひとつ咳払いをした。


「ちょっと言いにくいんだけど、私ね、今度の3周年記念日を最後にもうお終いにしたいの。」


 え?


「今までたくさんイベントを企画してきてくれてありがとう。でも、私疲れちゃったの。もう終わりにしましょう。」


 ちょっと待って。どういうこと?


「最初は楽しかったのよ。でも、最近じゃ業務連絡みたいに、明日は〇〇の記念日で、明後日は△△の記念日ですってメールが来るでしょ?半ば義務みたいにこなしていくのが耐えられないのよ。」


 そんな。君から言い出したことじゃないか。


「そうよ、私から言い出したことだからやめようって言えなかったのよ。でももう無理なの。終わりにしましょう。」


 俺は長いこと黙っていた。心の中で色々な思いが渦巻いていたが、姉のあたりめを噛むくちゃくちゃという音のお陰で、辛うじて涙を流さずに済んだ。


「もしもし?」


 彼女の不安そうな声に、俺は自分を奮い立たせた。


「わかったよ。君の言う通りにしよう。」

「あー、良かったあ。怒られるかもしれないってドキドキしてたのよ!」


 そんなに明るい声を出すなよ。


「で、話ってなあに?」


 よくそんなに簡単に気持ちを切り替えられるよな。俺たちの3年間は君にとってそんなに軽いものだったのか。

 いや、これは言わずにおこう。女々しいにも程がある。


「実は俺も同じこと考えてたんだ。もう記念日を祝うのはうんざりだから、今度の3周年記念を最後にしたいって。」


 俺は精一杯の強がりを言った。


「え、そうなの?同じこと考えてたんだ!うふふ。なあんだ、だったらもっと早く言えば良かった。」


 何がうふふだよ。人の気も知らないで。


「でも、何にも記念日がなくなるのは寂しいわよね。ああ、でも、その分誕生日とかちゃんとすればいいかな。」


 へ?


「これまで色んな記念日に散財してた分をまとめたら、海外旅行とかも行けちゃうかもね。」


 何て?


「まさか誕生日やクリスマスまでイベント無しにはしないわよね?さすがにそれは寂しいから、そこは譲れないわよ。」


 はあ?

 どういうこと?


 え?もしかして、お終いって、記念日だけのこと?

 別れたいってことじゃなくて?

 何だよ、それ!

 びっくりさせんじゃねーよ!


「何よ、どうしたの?ねえ、何を笑ってるの?」


 俺は電話に向かって言った。


「結婚記念日は毎年盛大にやろうな。」


「え、それって…。」


 振り向くと、姉が親指を立てていた。ありがと、姉ちゃん。女としてはイマイチだが、人としてはなかなかだぜ。

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