第17話 生命の危機
アリサの書いた記事が発端でというわけでもないが、仮面の男の話はたちまち街中を駆け巡り、目撃談もそれなりに上がっていた。
たくさんの人が住む街だ、あれだけあちこち走り回っていれば誰にも見られずにというのも無理な話だろうからな。あまり驚きはなかった。
ただ以前に比べれば、少しばかり行動しにくくなったというのは否定できない。
これまではもし姿を見られたとしても、遠目に仮装した頭のおかしい奴くらいにしか思われなかっただろうに、今ではざわついて注目を浴びてしまう。
この前なんか表通りまで逃がしてしまった犯罪者を取り押さえた後に人だかりが出来て大変な思いをしたことも。
とは言えインパクトが強かったのか、アリサが考えた「ナイトリンクス」という名前が人々に浸透して、有名になるのも悪い気がしなかったり。
……と、間違ってもそんな思いを顔や言葉に出したらメルリエルに雷を落とされるかもしれないな。
落雷に合うのは生涯に一度だけで十分だ。
だけどそんな男は今現在とてつもない窮地に追い込まれている。
それこそ命に関わるほどの。
自分の家の棚を開けてみればないのだ……食料が何一つ。
市場に食料品の買い出しに行く頻度はこれまで二、三日に一度だった。
両手に持てる量と保存方法の問題の為だ。
それがいつの間にか一日一回になり、ついには半日に一回になってしまった。
その原因は分かっている。とかくこの体はとてつもなく栄養を欲するのだ。
維持する為だけでもそうだが、リンクスとしての活動をしている時の激しい動きによってそれはさらに顕著になる。
日雇いの仕事のみで生計を立てていた俺はただでさえ金銭面で切迫していたのに、ここまで食費がかさむのは、もはや死活問題と言ってもいいだろう。
キッチンにある魔道具に設置する火の魔石と水の魔石、そして氷の魔石は街からレンタルしているのだけど、集金に応じないと新しいものと交換してもらえない。
効力を失えばもちろん使用することが出来なくなるが、手持ちがないからさっき役所の人が来た時につい居留守を使ってしまった。
どうあっても生活がままならないこの状況。それを打破する為に俺はある決意をした。
「就職活動するか……」
自分で聞いてなんと自信なさげなのかと感じられる独り言が狭い部屋に響き渡る。
◇
「で? 何か用か?」
その後、呼ばれてもないのにメルリエルの家を訪ねると明らかに歓迎されてない顔を向けられた。
「どうせ昼飯でもねだりに来たのだろう」という感じの。
だがそれは断じて……いや、半分だけ違う。
「ちょっと相談したいことがあって」
椅子に座るとテーブルに置かれたバスケットの中の果物に目がいく。
実験用だと言っていたが、よほど物欲しそうな目をしていたのか静かに差し出された。
「それで、相談とはなんだ?」
リンゴを一つ手に取ってかじりついていると向かい側にメルリエルが座ったので、そこで俺は定職に就くことを決めたと告げる。
「ほう、それは殊勝なことではないか」
てっきり興味がなさそうな返事が返ってくると思っていたけど、以外にも感心されてしまった。
だけどそれは前置きで、本当に相談したかった事とはここからだ。
「それでなんだけど、俺って今まで本格的な面接なんて受けたことがないから教えて欲しいんだ。悲しいことに鉄皇団の試験ではその段階まで行ったことがないし」
メルリエルは腕を組んで首を捻る。
何かまずいことでも聞いただろうか?
「いや、それを私に聞くのかと。人と接することなんてほとんどないのに、ましてや面接などに縁があると思っているのか?」
言われてみれば確かに言う通りなんだけど、その長い人生経験から実体験はなくても最適解を導き出せるんじゃないかと。
「そこまで期待されても困るが、最低限聞かれるであろうことを今から質問してやる」
ちょうど向かい合っている形であるしと、メルリエルは一つ咳払いをする。
何となく気乗りしているように見えるのは思い違いかな?
「では始めるぞ。なぜここに就職しようと思いましたか?」
「えっと……えー、そうですねぇ……」
「はい、もうダメだ」
まだ何も答えていないのにピシャリと遮られた。
メルリエルを見てみれば論外だという表情をしているし。
「まずは姿勢だ。ずっと猫背になってるぞ。何か疚しいことでもあるのか? それに聞かれそうな質問の答えくらい予め用意してスっと言えるようにしておけ。後はどうしても言葉に詰まった時には無理に繕わずいっそ正直に答えてしまえ。その方が与える印象も大分マシになるだろう」
いきなり怒涛のごときダメ出しを食らってしまった。
だが今の話で少しだけ要領を掴めたような気がするぞ。
言われたことを心の中で復唱して、それを踏まえてもう一度最初からお願いしてみる。
「ここに就職しようと思った理由は?」
――食いっぱぐれないようにとにかく働きたいんです。
「長所はなんですか?」
――なんでも食べられるし、寝付きがいいことです。
「では短所は?」
――よく居眠りをしてしまうところです。
「趣味は?」
――日向ぼっこです。
「生活信条は?」
――快眠快食です。
「ふざけてるのか!!」
両拳でテーブルを叩き怒号を飛ばすメルリエルに気圧されて思わず椅子ごとひっくり返りそうになる。
「一体なんなのだ!?その答えは!お前の人生は食うか寝るかしかないのか!?なんか、こう……聞いているこっちが不安になってくるぞ!」
いや、だって繕うなって言ったのはメルリエルだし……
「お前の場合は寧ろ全力で繕え!と言うより、もはや修復不可能なほどの惨状ではないか!」
全ての言葉を吐き出すとテーブルに手を付き肩を上下させるメルリエル。
そんなに息を切らすほど怒られるとすっかり自信も喪失してしまう。
「いや、すまない……不慣れだから練習をしていたのだったな。私も思わず言い過ぎたかもしれん。正直腑に落ちないところもあるが」
メルリエルはティーカップの中のお茶を飲んでから一息ついて気を落ち着かせ、意気消沈している俺に諭した。
「初めは上手くいかなくても恥じることなどない。何がいけなかったのか自分で考えて少しずつ学びながら場慣れしていけば、いつか必ず成功するだろう」
そう言いながら棚から謎の包みを持ってきて俺の目の前に置く。
元気づけてくれるのは心に染みるが、この脈略のない行動には首を傾げてしまう。
「ここまで来たついでに一つお使いを頼まれてはくれないか。この包みの中の物をこの紙に書かれた場所まで運んでほしい」
手渡されたメモに目を落としてみると、どうやら街まで届けなければいけないようだ。
本当に話の流れなど全く関係はなかったな。
それにこれ……試しに片手で持ってみたけど結構重いぞ。
「どうせ帰りに近くを通るのだから構わないだろう?それにこれはお前の為でもあるのだから」
「俺の……?どういうこと?」
「ふふ、それは後のお楽しみというやつだ。駄賃も出してやるから行ってこい」
うん、まぁ……自分の為だと言ってくれているのにその厚意を無下にするのも気が引けるし、そうでなくても普段から何かとお世話になっているんだからここで断るのはあまりにも不義理というものだろう。
だからその役目、この俺が確と承ろうではないか!
――もちろん貰うものはしっかりと貰うけど。
◇
書かれている通りの場所へ来て尚、俺は何度もメモを確認した。
辿り着いたのは工房と一体になっている「スティールフォート」という武具店だったからだ。
魔術師であるメルリエルのお使いだから、本当にここで合っているのかどうか不安になった。
扉を開けて中に入ると誰もいないので声をかけてみるが反応はない。
耳を澄ませるまでもなく、カウンターの奥の部屋から規則的なリズムで金属音が聞こえてくるから誰かはいるはずだ。
今度はドア枠に最も近いところから大声で呼んでみると音がピタリと止まり、間もなく顔を見せたのは上半身裸で汗だくになったドワーフだった。
「そういやソフィアのやつは買い出しに行ってたんだっけか。兄ちゃん、何か買い物か?」
「いや、メルリエルにこれを届けてほしいって頼まれて」
「あぁ、話は聞いてるぜ。するってぇとお前さんが例のか」
汗拭きで顔や体を拭いながら喋るその姿を見て、俺は心の中に何か引っかかるものを感じた。
この人……どこかで会ったような気がするな。
「そういや兄ちゃん、どっかで会わなかったか?」
向こうもそう感じているということはやっぱり実際に顔を合わせているはずだ。
俺は自分の記憶を辿ってみたが、ドワーフ族との接点があまりなかったこと、そして古い記憶ではなかったことが幸いしてすぐに思い出すことが出来た。
「そうだ!足場から石材を落としてた!」
俺の言葉にドワーフは右の掌を左の拳でポンと叩く。
「あの兄ちゃんか!ガッハッハッ、あん時は悪かったな。なんせ人手が足りないからって慣れない作業に駆り出されてよ」
いや、笑い事ではないと思うんだけど。
あれって俺が落雷に巻き込まれてなければアリサは確実に死んでたような……
「本当に悪かったって。その詫びとして今回の工賃はタダにしてやるから。山猫さんよ」
山猫って、この人は俺の秘密を知っているのか!?
人にバレるようなことをした覚えはないし、メルリエルが話したのだろうか?
「俺とメルリエルは古い付き合いでな。お互いに相手がすることへ干渉も詮索もしないって暗黙のルールがあんだよ。それに今回依頼されたものを見りゃ嫌でもお前さんが誰かなんて分かっちまうよ」
まだ不安げな顔をしている俺にドワーフは続ける。
「安心しな。エルフ族は好かねぇがあの姉さんは信頼してるし、決して裏切らねぇよ。実際に俺だって明るみに出りゃ無事に済まねぇような仕事を何度もやってるしな」
そう言って腰に手を当てて豪快に笑っているところを見ると、隠れて邪なことに手を出しているものの悪い人という感じではなさそうだ。
何よりあのメルリエルが信頼しているというのなら間違いはないだろう。
「俺はドーインだ。よろしくな」
「ファリス・ラドフォードです」
握手を交わしながらちょっと遅めの自己紹介をして、預かった荷物を手渡しから店を後にしようとすると、ふと壁に貼られていた紙が視界に入る。
従業員募集の貼り紙だった。
仕事の内容は倉庫や工房、店舗の清掃や片付け、それと品物や材料の配達、その他様々な雑務だ。
「あの、これってまだ募集してますか?」
「ん? あぁ、これまで何人か雇ってみたがどいつもこいつも辞めちまってよ。他の店が始めたから差をつけられねぇようにこっちも配達のサービスを取り入れてみたけど、武具を何個も担いで走り回るから体がキツいって――」
そこまで言ってドーインは立派な髭を撫でながらニヤリと笑う。
「そうか、配達に関しちゃお前だったら適任かもしれねぇな。今日はしばらく事務の姉ちゃんが戻らねぇから、よかったら明日出直してくれや。俺は構わねぇんだけど、面接やら何やら必要らしいしな」
降って湧いたようなこのチャンス。そして自分の能力を活かせそうな仕事。是非とも上手くいってほしいものだ。
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