第13話 路地裏の小さな声

 翌日、俺は背負袋に入れた自分の仮面と衣装を持ってメルリエルの家へとやって来ていた。

 本来の要件は薬が切れそうだったから新しいのを貰う為であったが、次に訪問する際には持参するようにと言われていたからだ。


 暇だから棚にあった本を適当に選んで読み始めたが、さっぱり内容が分からないし全く時間潰しにもならなかったのでメルリエルの作業を横から覗いてみる。


 どんな素材なのかは分からない薄い金属板を、形を整えながら仮面の下半分だけに慎重に貼っているが、テーブルの上にこれ以前に失敗したと思われる同じ物がいくつか乱雑に置かれていた。


 真剣な目つきのメルリエル。

 なんだかこういうのを見るとちょっかいを出したくなるけど後が怖いのでここは自重しておく。


 余った部分を形に沿って切っていき、何度か角度を変えて確認してから椅子の背もたれに体を預け、一度大きく息を吐いた。

 どうやらこれで完成のようだ。


「ほら、これを着けて何か喋ってみろ」


 メルリエルの言葉に従ってみたがこれは驚いた。

 仮面を通して発せられる自分の声が少し低くなっている。くぐもった感じと合わせれば随分と元の声からはかけ離れるだろう。


「口元の特殊な金属板が振動を微妙に変化させるから、人の耳に入るお前の声も違って聞こえるのだ。これで今までよりも正体がバレる心配はなくなる」


 なんだか面白くなってきて無駄に声を出しているとメルリエルが自分の手で首筋を摩っているのを目にしたので、とりあえず感謝の意を込めながら肩を揉んであげた。



 ◇



 その後はせっかく外出したのにこのまま帰るのも勿体なかったので、夕暮れ時の街中を宛もなく彷徨ってみた。

 もう少しすればもっと賑やかになるであろう繁華街を歩いていると、人波の隙間から馴染みのある後ろ姿を見つけた。


「アリサ!」


 最初は声をかけるか迷ったけど、見なかったふりをするのも何となく気が咎めるので後ろから肩を叩いて呼び止めた。


「あら、ファリスじゃない。そんな大声出さなくても聞こえるわよ」


 当たり前だけど振り返ったアリサの顔はいつも通りだった。

 だけど1ヶ月前にあの言葉を向けられてから変に意識してしまうんだ。

 あれが俺だなんてアリサは知る由もないんだから関係ない事とは分かっていても。


「仕事の帰り?」


「えぇ、そうよ。あ! そういえばお父さんと飲みに行ったんだって? ここ最近は随分と気を張ってたみたいだけど、昨晩は気分よさそうに帰ってきたわよ」


 昨日聞いた一件のせいだろうけど、それを聞く限りだと少しはおじさんの役に立てたようで何よりだ。


「お父さんとはどんな話をしたの? 私について変なこと言ってなかったでしょうね?」


 アリサが腰に手を当て、据わった目を向けてくるのでつい動揺してしまった。

 とても本人に教えられる内容ではないからな。


「あれだよ……男同志の語らい……みたいな?」


「何それ? もしかしてイヤらしい感じのやつ?」


 濁したつもりが逆効果だったみたいで、アリサがちょっと引いた感じになったので慌てて否定した。


「まぁ、そういうのが分からない歳でもないからいいんだけど。それよりせっかく顔合わせたんだし、今日は私と夕飯食べに行こうよ」


 結局誤解されたままだけど、当初の目的は果たされたのでとりあえずは良しとすることにして、俺はアリサも頭に浮かべているであろう店へと向かうことにした。



 ◇



 以前に通っていた学園の近くに位置するので繁華街からは離れることになるが、学生の頃によく二人で来ていた飲食店。

 決してオシャレというわけではないし、こぢんまりした佇まいだけど、店主であるおばさんが作る料理がとてもお気に入りだった。


 多分、俺もアリサも母親の味というものを求めていたのかもしれないな。

 量が多いというサービスも当時は恩恵に与れなかったが今となってはとてもありがたい。

 アリサもおばさんも食欲旺盛となった俺にはかなり驚いていたみたいだ。


 ここに来るのは久しぶりだったこともあり、すっかり話し込んでしまって時間も遅くなったが、幸いにも帰る方向が同じだったのでこのままアリサを家まで送りつつ帰ることに。


 だけど人通りのない道で二人っきりになった時に、どことなくアリサの様子が変わった感じがした。


 こちらが話しかけても口から出るのは短い返事のみ。

 これではさすがに誰だって気になってしまうだろう。


「どうかした?」


 何か悩み事でもあるのかと思ってこちらから伺ってみると、アリサは急に立ち止まってしばらく沈黙した後、目を伏せながら遠慮がちに聞いてきた。


「あ、あのさ……ひとつ聞いてもいいかな?」


 ただならぬ雰囲気に俺は少し緊張したのか無言で頷くことしか出来なかった。


「リリィとはいつ頃からなの? 神父様はそのことを知ってるの?」


 リリィ? なんでここで突然リリィの名前が? それにいつ頃って聞かれても……質問の意図が全く伝わってこないんだけど。


「もう隠さなくていいわよ! 二人の時間を邪魔するつもりなんてないから、今まで通りどこかへ遊びに行ったり、くだらないお喋りをしたり、ファリスにもリリィにも変わらず親友として接してほしいの! それに言い難いことなのは分かるけど、せめて本人たちの口から聞きたかったな……」


 感極まっているところ申し訳ないんだけど、なんだか俺にはアリサが盛大な勘違いの末に空回りを起こしているようにしか見えない。


「ファリスとリリィは今……つ、付き合ってるんだよね?」


 開いた口が塞がらないとはまさにこういう状況だろう。

 一体何がどうなってそういう結論に至ったのか、記憶を遡ってみるとその要因となりそうなものが一点だけ、およそ1ヵ月ほど前にあったような気がする。


「だって創生祭の時に二人で手を繋ぎながら楽しそうに見て回ってたでしょ! いくら私だってそこまで鈍感じゃないわ!」


 その自覚がない時点で鈍感というか……

 本人は至って真剣に話しているのだろうが昨日のおじさんとの話が頭にチラついて、いけないと思いつつも笑いを堪えるのに必死だった。


 でも確かにあの時は突然の遭遇で慌てていたからかなり挙動が怪しかったし、続け様のエミリオの登場でアリサにとっては何だかんだとあやふやになってしまった感じなのかも。

 だから俺はもう一度、今度は冷静にああいうシチュエーションになった顛末を教えてやった。


「じゃあリリィとはそういう仲じゃないってこと?」


「だからさっきから言ってるだろ。そもそも自分で修道女としての道を選んだリリィがそんなことするわけないじゃないか」


「うん、まぁ……確かに。じゃあ! やっぱり私がふっ――」


「ふ?」


 そこでアリサは言葉を飲み込んで、しばらく口ごもった後に「もういい!」と言って先に歩き出した。


 何だったんだ? 「ふ」って。


 すごく気になってすぐに追いついて横から様子を見てみると、鋭い目で独り言を絶えず呟いていて、とても声をかけられる雰囲気ではなかった。


「だって霊園で……もしかして他に……」


 家でもこうして言葉に出してればおじさんみたいに勘が働く人じゃなくても簡単にバレるだろうな。

 それにしても霊園って、数ヶ月前の?

 アリサと口喧嘩をしたことしか浮かんでこないけど。


 自分でもその時のことを思い返しながら建物の間の寂しげな道を横切ろうとした直前に、アリサの両肩を抱いて外壁に押し付ける。


「何!? ビックリするじゃない! 何かに躓いっ!――」


 声を上げるアリサの口を手で塞いでから、人の目では暗闇しか映らない細道をそっと覗いてみた。

 腕の力を緩めた拍子にアリサは俺の手を自分で掴んで離し、口を開く自由を取り戻す。


「い、一旦落ち着いて……ね? 私、強引なのってあんまり好きじゃない……」


 何やら勘違いをしてるみたいなので人差し指を立てて自分の鼻先に当てると、とりあえずは何か異変が起きていることは察してくれたようだ。


「ほら、あそこの扉のところ。ヒューマンの男が三人に獣人族の女の子一人が話してるだろ?」


「え? どこ? 真っ暗で何も見えないんだけど」


 もう一度覗くと、それに倣ってアリサが目を細めたりしてるが視線は全く違う方向に向いてる。

 やっぱり普通は見えないんだろう。


 会話を聞き取ってみると、もう終わる間際ではあったがどこかに連れていかれるみたいだということは分かった。

 この光景はどう見ても友人が遊びへ誘いに来たという感じではないよな。


 三人の男に囲まれるように女の子が移動した後にその場まで行ってみると、それと同時に扉が開き、中からはまだ10歳にも満たないくらいの女の子が飛び出してきた。


 獣人族特有の頭の上に位置する耳、後方へ反るように伸びる二本の角、山羊にそっくりな特徴を持つ白髪の女の子。

 さっきここにいた子とは特徴が全く同じだ。


 俺の姿を見ると一瞬顔を強ばらせたが、なんでもいいから縋りたかったようだ。

 すぐに駆け寄ってきてしがみつき、目に涙を浮かべ、顔を見上げながら訴えてくる。


「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが連れていかれちゃう!」


 この子の切羽詰まった様子を見れば、思っていた通りただ事ではないみたいだ。


 とりあえず気を落ち着かせる為に女の子と目線の高さを合わせる。

 頭を軽く撫でてから事情を聞こうとすると、俺の背後にいた人物にその役目を奪われてしまった。


「もう大丈夫よ。だから何があったのか私達に教えてくれる?」


 傍らまで来たアリサが屈んで女の子に笑顔を向けているのを見て、どうにもこの予期せぬ事態の中で面倒事が増えそうな気がしてならなかった。

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