破滅を望む修道女① ≪リリィ・フレミング≫

 私、リリィ・フレミングは幼い時から教会で暮らしていた。

 しかし姓は同じでも神父様の本当の娘というわけではない。


 産まれてすぐのこと、毛布にくるまった状態で教会の扉の前に捨てられていたところを、身内のいなかった神父様が拾って育ててくれた。

 だから両親が誰なのかということすら知らない。



 そして月日が流れて7歳になった頃には、近所の子供達の間では『泣き虫リリィ』と呼ばれてよくからかわれていた。

 それは私が臆病で、優柔不断で、鈍臭い人間へと成長していたからだ。


 かけっこをすればすぐに置いていかれるし、木登りをすれば下から見上げるだけ、二組に別れてする遊びの時にはお互いに私の押し付け合い。


 だけどそんな私にもみんなを楽しませてあげられることが一つだけあった。


 それは泣くことだ。


 大嫌いな毛虫を髪に付けられたり、買ってもらったばかりの服を着ていたらわざと泥濘に突き飛ばされたり、お気に入りのぬいぐるみの腕を取られたり、たくさん意地悪なことをされた。


 言葉を神父様に習ったからか私の口調は周りの子供達とは違っていて、よく取り囲まれてはバカにされて泣いたこともあった。


 その度にみんなは面白がっていた。

「泣き虫リリィがまた泣いた!」って。


 私がみんなに求められているのはそんなことだけ。

 誘われたところで酷いことをされるのは分かっている。それなのにいつも輪の中に入っていってしまう。


 なぜなら断ってさらに状況を悪化させてしまうよりは、今のままずっと我慢をしている方がマシだと思っていたから。

 それに神父様に心配をかけるよりはずっとマシだと……


 だから私は教会の前に来ると絶対に泣き止んだ。

 服に付いた泥についても笑顔で自分で転んだと言った。

 ぬいぐるみの腕も自分で壊してしまったと謝った。


 こうして私は自分一人が我慢さえすれば、周りの多くのものに波風が立たないのだということを学び、そんな生き方に逃げるようになっていった。



 ◇



 ある晴れた日の昼下がり、私は公園のベンチに座って一人で本を読んでいた。

 すると反対側の端に誰かが座った気配を感じたので横目で見てみると、そこには同い年くらいの男の子が。


 ここらへんでは見かけない子だったから、つい長いこと眺めてしまった為に、向こうも私の視線に気付いたのか目が合ってしまう。

 慌てて正面を向いて本を顔に近づけて誤魔化してみたけど、それも全く無駄なことだった。


「ねぇ……」


 やっぱり気を悪くしちゃったかな?

 そう思って声をかけてきた男の子の方を向くと、なぜか私のことを指さしていた。


「それ、面白いの?」


 指先を辿ると私ではなく、手に持っている本に興味を抱いているようだ。


「一緒に読みますか?」


 一度本に目を落としてから顔を向けて聞いてみると男の子は頷いた。


「俺はファリス。君は?」


「えっと、リリィです」


 するとファリスは私に肩を寄せ、片側の本の端を持つと顔を近づけてくる。

 こんなに男の子と間近で接したことがないから、何だか少しだけ体が熱くなるのを感じた。



 私が今読んでいる本のタイトルは『人になりたかった悪魔』


 人間の村に住む少女に恋をした悪魔が、少女の恋人である少年を殺めると姿を奪って成りすまし、共に夢のような時間を過ごしていく。

 しかしある時、二人が満天の星空の下でキスをしたことによって、少女はこの少年が姿形が同じだけの偽者であることに気付いてしまった。

 悪魔にもそれだけは完全に真似をすることは出来なかったから。

 きっと怪物に違いないと村人達に追われ、人の姿である為に魔界にも帰れなくなった悪魔は誰にも相手にされることもなく、ずっと一人で泣きながら生きていったという内容だ。



 教会に住んでいる身なのにこんな本を持っていたら神父様に怒られるから、私はずっと部屋に隠して人目を盗んではこうしてこっそりと読んでいた。

 悪いことだと分かっているからこそ、この緊張感が私の気分を晴らしてくれているような気がしてやめることが出来なかったのかもしれない。


 本来なら私達くらいの歳の子供が読むには難しい文字がたくさんあったから、朗読してファリスに聞かせてあげた。


 最後まで読み終えてから本を閉じて膝に置くと、余韻に浸ってかしばらく沈黙が続いていたが、程なくしてファリスがポツリとストーリーの感想を呟く。


「みんな可哀想だね……この悪魔も」


 その言葉に私は呆気に取られた。

 悪魔が犯した罪を考えればこの末路に対して自業自得だとは思えど、哀れみなど一切感じることは出来ないから。


「報いを受けるのは当たり前だけど、その悪魔は少女に気持ちを届けられなくてすごく苦しんだと思うんだ。きっと少年を殺しちゃった時だって、いけないことだと分かっていても自分を止められなかったんじゃないかな」


 そんなことはどこにも書いていないのに。

 だから私は何度読んでもこの悪魔は物語に出てくる悪役だと決めつけていた。


 ファリスは子供ながらに文章から想像を広げることに長けているのだろうか。

 いえ、多分この子が人より優れているのは相手が抱える悩みや悲しみを汲み取る能力なのかもしれない。


 どうしたらこの歳でそれほどの感性が身につくのか、私は少し影のある物静かなこの男の子にいつの間にか興味を抱いていた。



 ◇



 それからというもの、ファリスはよく私の元に遊びに来てくれた。

 初めて会った時はたまたまお父様の用事でここまで来たらしいけど、その後は家が随分と離れているにも関わらず自分の足で通ってくれているようだ。


 最初のうちは会話が途切れて変な空気が流れることの方が多かったのに、今ではもう話すことがあり過ぎて時間が足りないくらいになっている。


 おかげで私はすっかりあの本を読む機会がなくなっていた。

 なぜなら初めて素直に友達と呼べる男の子が、それ以上に心を軽やかにしてくれるから。



 だけどいつものようにファリスと待ち合わせをしていたある日、事件は起こった。

 私が近くの公園へ急いでいると突然にその行く手を阻まれてしまう。


「おいリリィ! お前最近はずっと知らない奴と遊んでるよな!」


 ここら辺の子供達を束ねている4つ年上の大柄な男の子、アンドンだ。

 ファリスと一緒にいるようになってからは、時々遠巻きに睨まれていたのは気付いていた。


「今日はみんなで面白いことをやるからよ! お前もついて来い!」


「え、でも……」


 もちろん気持ちとしては行きたくなかった。

 どうせいつものように虐められるだけだし、何より公園ではファリスが待ってくれている。


 だけど目の前に立って鋭い目つきで見下ろされると、私は無言で頷くことしか出来なかった。




 連れてこられたのは私もお使いでよく来る近所のパン屋の前だった。

 お店のおじいさんが優しい人で、よく食パンの耳を油で揚げて砂糖をまぶしたものを袋に入れておまけしてくれる。


「リリィ、この店に売ってるラスクを黙って盗ってこいよ」


 それを聞いて私は心に影を落とした。

 今まではどんな仕打ちでも私が我慢をすれば済むだけの話だったけど、今回は逆に手を下す役を命じられたから。

 いっそ拒否して殴られた方がいいと頭によぎったりも。


「この時間は店の中が混み合ってるから絶対にバレないって。手に取ってそのまま外に出るだけだから簡単だろ」


 半ば強引に店内に放り込まれた私は、目的の品がある棚の前まで歩いていく。

 一度窓から外の様子を見ればみんなが「早くしろ」という仕草で焦れていた。


 ラスクが数枚入った袋を棚から取りカウンターに目をやると、おじいさんと奥さんが笑顔で忙しそうに列を作るお客さんのお会計をしている。

 きっとこのお菓子もここに並ぶ他のパンと同じように、おじいさんが朝早くに一生懸命作ったんだろう。

 そう思うと、とてつもない罪悪感に襲われてしまう。


 でも……なんだろう。

 同時に忘れかけていた感情が湧き上がってくる。

 そうだ、これはあの本を読んでいた時と同じ。

 これを知られたら自分の何もかもが滅茶苦茶になるかもしれないという緊張感と背徳感から来る独特の心地よさだ。


 もう一度おじいさんを見て、こちらの存在に気付いていないことを確認した。

 そして私は高揚する気持ちがピークに達するのを噛み締めながら、意を決してドアを開ける――


 するとそこには、最も今の私の姿を見られたくない人が立っていた。


「ファリス!?」


 突然のことに驚き思わず名前を口にしてしまうと、ファリスは私の腕を掴んでその場に引き止めた。


「リリィ! そこを越えるな!」


 普段からは想像も出来ないくらいの大きな声に私は身震いをして視線を落とす。


「そこを越えたらもう二度と後戻りは出来ないぞ」


「そこ」――

 目を伏したおかげでファリスの言っている意味がよく分かった。

 私の足先にはドアレール……お店と外の境界線がある。


 ここを一歩越えれば私は泥棒だ。

 そしてその罪は例え誰にも見つからなかったとしても、一生自分の人生に付き纏ってくることになるだろう。


 もう一度ファリスの顔を見た途端に、自分を支配していた胸の高鳴りが恐怖へと打って変わり、私は顔を覆って泣いてしまった。

 自分がしようとしていた事、踏み込んでしまいそうだった領域そのものにもだけど、何よりも目の前の友達に軽蔑されてしまったのではという怖さだ。


 だけどファリスはそんな私の頭を撫でて一言、「謝ろう」と言ってくれた。

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