第11話 激突!超人VS怪人

 エミリオに迫る危機を目にした瞬間に全速力で駆けた甲斐あって、なんとか最悪の事態は防ぐことができた。


 この二ヶ月の間に俺の体は瞬発力に長けているが、その分持久力が低いということが分かったからな。

 もしあれ以上距離が開いていたら失速して間に合わなかったかもと思うと内心は穏やかではない。


 それにアリサもこの場に戻ってきていたが、あいつの性格を考えれば経緯は大体想像がつく。

 急いでいたとはいえ途中で二人から離れる為の理由付けとしては安直だったと反省せねば。



 さて、現在向かい合う形となっている道化師と言えば俺という存在が予想外だったのか、仮面のせいで表情は窺えないが驚いている雰囲気は感じられる。


 ここまで散々好き勝手やられていたからしてやったりという気分で心が弾んだが、それもほんの僅かな時間のことだった。


 道化師の様子がすぐに平常に戻ると、仕返しとばかりに今度はこちらが驚愕させられることを口走る。


「そうか、何事かと少々驚いたがなんてことはなかったね。君の仕業というなら納得だよ、ファリス・ラドフォード」


 心臓がドクンと大きく鼓動し、全身に衝撃が走るような感覚に襲われた。


 こいつ……俺の知り合いなのか?

 いや、仮にそうだとしても今はこっちだって仮面をつけて正体を隠しているんだ。それなのに一体どうして?



 ――落ち着け!


 今更理由を探しても仕方がないし、熟考する時間も余裕もないだろう。


「お前は何者なんだ? 何が目的だ?」


 答えるかどうかは別として聞くべき当然の質問ではあるが、同時に他の目的も兼ねてのものだった。


「そうだね、とりあえずは……トラジディクラウンとでも呼んでもらえたら幸いかな。目的は私が演出する舞台の成功だよ。その為に長い時間をかけて素晴らしい脚本を書き上げてきたんだから」


 やはり真面目に答える気はないみたいだな。

 それでもペラペラとふざけたお喋りをしてくれていたおかげで随分と気を落ち着かせることは出来た。


「君にはもっと相応しい役を用意していたんだけどね。そんなに主役を降板するのは嫌かい?」


 聞かれたところで何のことだか皆目見当がつかない。

 だからこそこいつは俺の目的を至極シンプルなものにしてくれた。


 どうせ会話が成立しないのなら倒してしまっても問題ないだろう。寧ろそれからじっくり問い詰めた方が口を割るかもしれないし。

 俺が武器として手にしていたのはここに来る途中で拾った、会場の設営に使われていたと思わしき4尺ほどの鉄の棒だ。


 別に相手を嘗めているわけではない。

 メルリエルと手合わせした際に教わったのが杖術だったからこれが一番しっくり来る。

 中心が空洞になっているとはいえ、以前の俺なら重過ぎて逆に振り回されてたろうけど。


 数回鉄棒を回し構えの姿勢を取ると、クラウンも脱力したまま剣を持った腕を前に突き出す。

 当たり前だが迎え撃つ気はあるみたいだ。



 俺は目の前のクラウンを恐れ、一度軽く息を吐いた。


 だけどそれでいい。それがメルリエルの最初の教えだったから。

「敵に対して恐怖を抱け」、但し適度にであって決して呑まれてはいけない。

 さすればそれが俺への興奮剤となり、戦闘意欲を向上させる手助けをしてくれるだろう。


 そして逆に全く恐怖心がないままに戦えば警戒心の欠落を招き、自分や相手の力量を見誤って自滅に繋がるとも言っていたな。


 実際に下腹部から胸の辺りにかけて何か込み上げてくるものを感じて、最高に気分が高揚していた。

 だけど冷静さとの狭間にいる俺は、繋がれた猟犬のような早く獲物に食らいつきたいという欲求を、その時が来るまで抑え込むが出来ている。



 寸分の隙も見せられない長い睨み合いが続いていたが、先に焦れたのはクラウンの方だった。

 大きく息を吸い込むと肩が上がり、それに伴い剣先も若干上向きになるのを見て俺は瞬時に距離を詰めた。


 鉄棒を横薙ぎに打ちつけようとするも剣で止められる。

 しかしその反動を利用して体を反対側に捻り逆の先端で打とうとするが、クラウンは手首を返し再び剣で受ける。


 またも体を捻ると今度は体重をかけるように上から打ち下ろすが、これが止められるのは想定済みだ。


 胴がガラ空きになったクラウンに膝を入れて転がすと、低く勢いのある跳躍でそれを追いかけて上から叩きつけようとする。


 だがクラウンは直前で後転をして躱してから、そのまま後方宙返りで俺から距離を取った。



 この第1ラウンドは俺が圧倒していた……と思えればよかったんだけど。

 こちらの方が武器は重いのに向こうはまだまだ攻撃を受けるのに余裕がある感じだった。


 それでも反撃の隙を与えなかったのも事実だ。今のところは――


「五分……なんて思ってたりするかな?」


 俺の心の中を読んだかのように不気味に発言するクラウン。

 もしそんな空気を出していたのだとしたら迂闊だったな。


「実は私は剣の扱いがあまり得意ではないんだよ」


 そう言ってクラウンは武器を投げ捨て、右手を掲げると、その手には6尺はあろうかという両端にそれぞれ逆方向に伸びる小さな鉤が付いた金属の棒が出現した。


 構えた際のこれまでとは比べ物にならないくらいの圧によって、それがハッタリではないということは分かる。


 そしてその戸惑いを気取られたのか、今度はクラウンの方から仕掛けてきた。


 武器の様々な箇所から繰り出される目にも留まらぬ連撃ではあったが、頭で考えるよりも先に体が勝手に反応するのでなんとか防ぐことは出来ている。


 もっともクラウンの攻撃が俺の体の速さの限界を超えてくるようなら話は変わってくるんだが。


 それにしても、こいつの動きは一見すれば常識離れしたトリッキーなもののようだが、実際に受けてみると妙に動きを合わせやすい部分があるのが不思議な感じだ。


 そんなことを考えながら横からの攻撃を止めると、クラウンは交わった金属棒を自分の方へ引く。

 すると先端に付いていた刃が俺の背後から首筋めがけて迫ってくるのを感じ、瞬時に頭を下げ、その動きの流れで足払いを試みるが後方へ飛び退き躱された。


「これで決まるかと思ったのに、まさか傷一つ付けられないとはね。さっきの彼との戦いも楽しかったけど君はそれ以上だよ」


 まだ余裕を見せるクラウンだったが、俺は防戦しながらも着々と次の一手の為の準備を進めていた。


 メルリエルのもう二つ目の教え、「相手を憎め、相手に怒れ」

 人間の一番の原動力は感情だ。そして最も簡単に、効率よく増幅できるものがそれらの感情である。


 敵と戦う限りは心のどこかにいずれか、もしくはその両方を必ず抱くことになる。

 ならばそれから目を逸らさず、制御して、自分の受容できる範囲の最大限まで溜め込め。


 俺はその場で数回ステップを踏んだ後、クラウンを見据えた。


 そして距離を詰め頭上から鉄棒を振り下ろす。

 今のクラウンの手が上向きになっているのを確認してすぐに腕を回し今度は下から振り上げる。


 ――ここだ!!


 俺は自分の中に溜め続けていた感情を一気に爆発させた。


 この一撃の為だけにずっと抑え込んでいたものを解き放ったんだ。その反動による衝撃はさっきまでの比じゃない。


 それにクラウンの手の向きも相まって指の間から武器が抜け空中に投げ出される。


 突然に有効的な防御手段を失ったクラウンは一瞬だけ金縛り状態になるが、それだけで十分だった。

 それが俺の求めていた全てだ。


 上半身を捻り、腕を後ろに引いて、体の回転を利用して――


 全力で叩いた!


 クラウンは大きく吹き飛び屋根の上を滑って縁の部分でようやく止まった。



 いつの間にか息が上がっていた。

 それでも構わずに仰向けのまま動かなくなった道化師から目を離さず追撃の為にすぐさま跳躍して武器を振り下ろすが、上体を起こしたクラウンに片手で軽く止められてしまう。


 その手を振りほどいて距離を開けると、その間に既に立ち上がっていたクラウンは醸し出す雰囲気がこれまでのものとは全く異なっていた。


「よくも……よくも……」


 一発まともに食らって頭に血が上ったんだろうか? これで冷静さを失ってくれてれば戦いやすくなるんだが。


「よくもに傷をつけたな! 何者かは知らないが、泣き叫ぶほどの痛みとその命をもって償え!」


 自分に向けられた怒りと殺意に気圧されて後退しそうになるが、そこで初めて体が動かないことに気付いた。

 これはメルリエルに忠告され、戦う前に自分に言い聞かせていたはずの禁忌だ。


 俺は相手に対していきすぎた恐怖を抱き、それに呑まれてしまっていた。

 感情に抗うように強引に足を動かし一歩足を踏み出すが時は既に遅く、瞬く間にクラウンが目の前まで来ると腹部に拳を入れられる。


 あまりの重さに体の力が抜け、膝をつき鉄棒を手放すと、厚みのある音を立てながら斜面を転がっていく。

 クラウンは足で止めるとそれを拾い上げこちらに向けて構えた。


はもっと繊細な武器が好みなんだけどな。でも君のような矮小な人間の命を奪うにはこれくらいがお似合いかもね」


 突き刺す為、自分へ迫る先端に本能的に目を瞑りそうになるのを我慢して真っ直ぐ見据えていると、その一撃は俺の眼前でピタリと止まった。

 クラウンが鉄棒を手から落とし頭を押さえながら数歩よろめくのを見て、すぐに奪い返し、立ち上がって構え直す。


 奇妙な行動に初めは陽動かとも考えたが、あの状況で意味のあることだとは思えない。

 ならば今こそ反撃のチャンスなのだろうが、何分こいつの言動には不可解なことが多すぎる。それが俺の次の手を躊躇させていた。


「君の出番はクライマックスでと言っておいただろう?……そうか、私が心配だったんだね。ふふ、そこまで想われていると怒るに怒れないじゃないか」


 怖気立つ光景だった。

 ヒビの入った仮面を抱くように手で覆うクラウンの調子は元に戻っていたが、誰かを諭すような独り言を呟いている。


「申し訳なかった。二人の勝負に水を差すような真似をしてしまったね」


 穏やかな口調と深いお辞儀でクラウンは謝意を表した。


「再開といこう……と言いたいけど、すっかり興を削がれたし、私はここで引かせていただくとするよ。君の登場で少々予定が狂ってしまったが最低限の目的は果たせたからね」


 話しながら一歩ずつ後ろへ歩を進めるクラウンを逃がすまいとするも、俺は思いとどまった。


 もうすぐにでも鉄皇団の大部隊がここに到着するだろう。そうすればこいつを捕縛できる可能性はある。

 だけどその間にどれくらいの被害が出るのか、それを考えればここは大人しく帰ってもらった方がいいのかもしれない。


 そんな迷いを頭に巡らせていると、クラウンは先程倒れていた屋根の縁まで到達していた。


「最後の追撃には正直肝を冷やしたよ。あのまま食らっていたらどれ程のダメージを負っていたかは分からない。だから今回は君の勝ちということで手を打とうじゃないか」


 この戦いであいつからは魔力を使った様子がほとんど見られなかった。

 それでギリギリの勝負を強いられたんだから、そう言われたところで俺には全くそんな気は湧いてこない。


 その言葉を残してクラウンは後ろに倒れ込むように屋根から落ちると、俺が縁まで駆けつけ下を覗き込んだ時にはもう既にどこかへ消えていた。


 辺りを一通り見渡すも姿がないことを確認できたのでホッと胸を撫で下ろすと、その際に視界に入ってきた二人へと目を移す。


 アリサとエミリオだ。


 エミリオはアリサに肩を借りて立っているが、極度に魔力を行使したことによる疲労に比べて怪我自体は大したものではなさそうだ。

 その頑丈さはさすが身体強化型の剣士と言ったところだろう。


 ずっと俺たちの戦いを見ていたのか、二人とはすぐに視線が合った。

 しかしその後はどうするべきなのか戸惑っていると、エミリオから離れアリサがゆっくりとこちらへ歩いてくる。


「待って!」


 それを見て咄嗟にここから立ち去ろうとするも、自分を呼び止める声によって足を縫い付けられたように体の動きを止めてしまった。


「ずっと……会いたかった!」


 アリサの言葉に驚き、俺は見つめ合う形となる。

「会いたかった」というその一言。たった一言なのにそこには言い知れぬ重みと切なさが感じられた。


 そしてなぜだろうか。

 俺の中には急激にアリサに対しての愛しさが広がっていき、許されるならば今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られてしまった。

 いつも抱いていた感情なのに、それが妙に懐かしく思えたりも。



 だけどその後方、広場の入口の一つに繋がる大通りから大勢の人が向かってくるのが俺の目に映る。


 鉄皇団の本隊だ。

 そこでふと俺は考えてみた。今のこの状況ではどう見ても『広場で事件を起こした仮面の人物』とは俺の事だと思われるだろう。

 せっかく危機を脱したんだからこれ以上余計ないざこざは避けたい。


 俺はアリサを一瞥してから、心残りはあったが踵を返して急いでその場を後にした。



 ◇



 屋根伝いに現場を離れている途中、次の建物へと跳んだ瞬間に下方の路地裏から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ファリス!」


 顔を向けてその声の主を確認してから、着地点を蹴って後方へ一回転してから地面へと降り、フードを脱いで仮面を外す。


「メルリエル!? 帰ったんじゃなかったのか?」


「そう思ったんだがこの混乱の中じゃ馬車も出ていないからな。それに広場でイカれた仮面舞踏会が開かれていると耳にしたから見物させてもらっていたのだ」


 見物? ということはメルリエルは俺の戦いを見ていたのか。だったら手を貸してくれたってよかったと思うんだけど。周りへの被害だってもう少し抑えられただろうに。


「どのくらい実力を付けたかを試したかったのだ。本当に危なくなっていたら割って入っていたさ。それにお前に力を貸す気はあっても私には名前も知らない人間を助ける義理なんてないからな」


 何があってもブレないというか、相変わらず割り切った性格をしているな。

 そう思っていると突然全身の力が抜けてよろけると、壁にもたれかかってそのままへたり込んでしまった。


「どうした? どこか怪我でもしたのか?」


 そういうわけではない。けど自分には理由は分かっていた。

 メルリエルの顔を見て、言葉を交わしたら安心して緊張の糸が切れてしまったんだ。

 恥ずかしいからもちろん黙っているけど。


「そういえば俺の戦いを見てたんだろ? どうだった? ちゃんと戦えてたかな?」


 はぐらかすついでに質問をしてみた。実際こればかりは他人の目からの評価でないと正確には分からないし、一番気になるところでもあった。


「まず行動が遅すぎる。事が起きてから対応に当たるまでどのくらい時間が掛かったと思っている。不必要に動揺しすぎだ。それに終盤の追撃をする瞬間、『勝てる』と思って気を緩めたな。確かに相手の気配が変わり力も急激に増したが、あれほど簡単に止められることはなかったはずだ。後はその直後、僅かな時間とはいえ向けられた殺気に体を硬直させるなど愚の骨頂。無防備に体を晒しているのも同じだぞ」


 メルリエルの批評は散々なものだった。確かに言われれば胸に刺さることばかりだから的を射ているんだろうけど。


「だけど――」


 そう言葉を続けると、メルリエルは項垂れる俺の頭に手を置いた。


「概ねは間違っていなかった。お前が立ち向かわなければもっと惨憺たる光景が広がっていただろう。無理に深追いをしなかったのもいい判断だ。よくやった、偉いぞ」


 それを聞いて俺の胸には感情が込み上げてきて、唇を強く噛んだが我慢できず目からは涙が溢れてきた。


「な、なんだ? 突然に」


「だって……俺……今まで両親とおじさん以外の大人に褒められたことなんてなかったし……いつも周りに迷惑かけて……必要とされたことなんてないから……」


 多分俺が求めていたのはこんな力そのものではなかったのかもしれない。

 誰かに必要とされ、長いこと見出せなかったこの世界での自分の存在意義を欲していたんだと思う。

 それを今日、身内以外の人に認めてもらえたことが堪らなく嬉しかったんだ。


 俺はずっと両手で目頭を押さえて啜り泣いていたが、メルリエルが一層手に力を込めて頭をくしゃくしゃに撫でるのをその身に感じていた。

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