第10話 月に浮かぶは希望の影

 まるでその声が合図であるように混乱の渦に陥った人々は悲鳴を上げながら四方八方へ思い思いに逃げて行く。

 それらの行動が寧ろ逃亡の妨げになっているが、目の前で人の命が奪われたんだから無理もない。


 俺だって人の死に直面することに慣れているわけではないし、あの時の光景が少しばかりフラッシュバックしてしまった。

 必死に隠そうとはしているが動揺はかなりのものだ。


 あまりにも不意のことであのエミリオですらそれは同じなようだ。

 だけどアリサやリリィはそれ以上なんだ。顔を向けて姿を見れば、二人とも体を震わせて未だにステージから目を離せずにいる。


「全員、ステージを包囲しろ!」


 その声で道化師の前に立ちはだかるのは鉄皇団の団員たちだった。

 射出型魔力の特性を持つ魔道射手5名、強化型魔力の弓兵5名の計10名が一斉に狙いを定めている。


「大人しく投降しろ!」


 隊長と思わしき男性が呼びかけるも、道化師はそれに応じず木箱に刺さっている剣を一本引き抜いた。

 周りの団員を意にも返さずに剣に付着している血を愛おしそうに指でなぞりながら、気分よく鼻歌でも歌うようにステージを歩き回っている。


 言い知れぬほど奇怪な姿だった。それが恐怖心を煽ったのか、怒りを買ったのか、男性の号令が辺りに響き渡った。


「構わん! 放て!」


 自分の得意とする属性の魔力弾が、自身と武器を魔力で強化して放たれた矢が道化師に多数襲いかかる。


 団員の誰もが着弾点に注目していたが、俺の視線は既に別のところにあった。


(左だ!)


 声が届くかどうかは分からずとも叫ばずにはいられなかったが、それ以前に凶刃は振られてしまった。


 側面に瞬時に移動していた道化師は、団員たちが気付く間もなく隊列を踊るようにすり抜けていく。

 そしてひと呼吸置いた後に鮮血が宙を舞うと、全員が呻き声すら上げることなく地面に転がった。


 その後も人がひしめく広場の中を優雅に歩き回る道化師の前に、駆けつけた剣士が数名立ち塞がるも勝敗が決まるのは一瞬のことだった。


 少数で散発的に挑んだところで無駄に命を散らすだけだ。もっとまとまってから攻撃を仕掛けないと。


 だけどこの混乱した人達が右往左往する中では、各所に散らばった団員達が思うようにここへ辿り着くことが出来ないのだろう。

 街全体が会場という規模の大きさが完全に仇となっている。


「僕がやる。僕がこれ以上の被害を食い止めてみせる」


 エミリオは一歩前に踏み出しながら鋭い眼差しで道化師を見据えていた。


「やめて! さっきのあいつの動き見たでしょ!? とても普通じゃないわ!」


 アリサが後ろから腕を掴み引き止めると、エミリオは振り返って彼女の両肩を抱いて笑いかけた。


「大丈夫、君だって模擬戦で僕の実力は見ているだろう? それにさっきの動きだって目で捉えることが出来たんだ」


 それでも不安が拭いされない顔をしているアリサの元を離れ、今度はこちらに近づきエミリオが俺の耳元で囁く。


「アリサに言ったことは嘘ではないけど、正直他の団員が来るまでの時間稼ぎくらいにしかならないかも。だから君はその間に二人を連れて可能な限り遠くへ逃げてくれ」


 信頼を込めてくれているような気がする目を俺に向けた後に、肩を軽く叩くと踵を返しエミリオは駆け出した。

 彼の実力がどれ程のものなのかは正確には分からない……いや、今回の場合はそんなことは関係ないのかもしれない。

 なぜならあの道化師の動きは常人のそれを遥かに上回っているからだ。


 それはエミリオ本人にも分かっていたから俺にあんなことを言い残したんだろう。



 ――どうする?


 このまま放っておいたらエミリオは無事では済まない。


 メルリエルは? もう帰ってしまったのか?

 ハルアランは? こんな時にどこに行ったんだ! 他の場所にいて戻って来られないのか!?


 誰かこの状況をどうにか出来る者は!?



 動転していて今更だったが俺は自分が手に持つ袋の存在を思い出した。

 そしてあいつに対抗できるかもしれない者がいるということも。


 でもその前にまずはエミリオに言われた通り二人の安全を確保しないと。


「アリサもリリィも、とにかく広場を離れるんだ!」


「で、でも……」


「俺たちがここにいても仕方ないだろう! それどころかエミリオの集中力を欠かす足枷になってしまうんだぞ!」


 一度エミリオが去った方向に顔を向けてから目を伏せて頷くアリサとリリィの背を押すように、俺はその場を後にした。



 ◇



 〈SIDE アリサ〉


 一度中央広場を離れた私はついさっき通った道をリリィと引き返していた。

 エミリオがせっかく危険を冒してまで逃げる機会を与えてくれたのに、それを無下にするような形になったのは心苦しいけど……


 ここまで来る途中にファリスも「やっぱり様子を見てくるから先に行ってくれ」とか言っていなくなっちゃうし。

 遠目から見るだけと言っていたものの、あんな場所に一人で戻るなんてやっぱり心配だわ。



 あれから随分時間が経っているから広場の周りの人影は私たちがいた時に比べるとかなり疎らになっていたけど、まだ鉄皇団が避難誘導をしたり、現場の封鎖を行っていた。

 先に進もうとすると案の定追い返されたので途方に暮れていると、リリィが私の袖を引っ張ってから耳打ちをする。


「アリサ、私が……」


 リリィは強引に封鎖線を突破して走り抜けると、団員がそれを追っていく。

 運動が苦手で足が遅いリリィはすぐに捕まってしまったが、私が通るくらいの隙を作るには十分な時間だった。


 それも程なくして気付かれたけど、私は走るのには自信がある。

 団員の人は鎧を着ているし、いくら日頃から鍛えていたとしてもそう簡単には追いつかせない。


 通りを抜けて視界が開け、広場の光景が目に入ってくると、私は思わず自分の手で口を覆った。

 さっきよりも地に伏している人の数が増えている。瞬時に数えられるだけでもさらに十数名。私の鼓動は高鳴り胸が締め付けられる思いがした。


 エミリオは!?


 少し見渡すだけですぐに見つけられた。この広い場所で動いているのはその二人だけだったから。

 まだ無事でいてくれたことに胸を撫で下ろすがそれも一瞬のことだった。

 剣を交えるところを見て、初めは拮抗した戦いだと思っていた。

 だけどよく見てみればエミリオの体には無数の傷がついていて、表情からかなり疲弊しているのが感じられた。


「エミリオ!」


 その姿に私は無意識に叫んでいたが、それが過ちだった。


 声を耳にしたエミリオがこちらへ視線を向けると、その一瞬を道化師は見逃さず自分の剣を絡めるようにして手から弾き、続け様に無防備となったエミリオに刃が襲いかかる。


 私は硬直し、瞬き一つすることが出来ず、血の気が引いていくのを感じた。

 友人を失ってしまう恐怖、その原因を自ら招いてしまったという後悔と自責の念に押し潰されそうになりながら。



 だけど次の瞬間……本当に一瞬の出来事だった。私の横を何かが通り抜け、遅れて体に一陣の風を感じた。


 初めのうちは目の錯覚じゃないかと思った。

 黒い影がエミリオたちの元へ一直線へ向かって行き、道化師と接触するとそのまま蹴り飛ばす。


 あまりの勢いに10メートル以上は転がった道化師は体勢を立て直し、跳躍して建物の上へ移動すると、黒い影もそれを追いかけ同様に地を蹴って屋根の上まで登り、お互いに対峙する形へ。



 私は今この目で見ているものに驚きを隠せなかった。

 それは自分が不思議な現象に直面したからじゃない。


 立ち止まってから初めてはっきりと見えた黒い影の姿。

 それは私が幼い頃からずっと好きなあの物語を読む時に、自分が頭の中に思い描いていた主人公そのものだったから。


 そしてなぜだろう。


 満月を背に佇むその姿は、まるであの日に井戸の中から見上げた幼馴染とも重なったような気がしていた。

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