第8話 道化師の宣告
リリィがいつ戻ってきてもいいように、その場からあまり離れないよう近くの露店を眺めていた。
その中で一際子供たちが群がっている玩具店。商品を手に取って目を輝かせている小さなお客さんを遠目に見て、つい昔のことを思い出してしまった。
9歳の時に俺は兄さんに連れられて祭りに来た。ずっと貯めてきたお小遣いでずっと欲しかったおもちゃを買えると心踊らせながら。
木彫りのドラゴンに色を塗った人形。今にしてみたらどうしてそんなに欲しかったのかは分からないけど、当時の俺にはようやく手に入れた瞬間を夢に見るほどの物だった。
ところがいざ店の前まで来た時にあることに気付いて酷く気を落としたっけ。
道中うっかりお金を落としてしまい、じっくりと熟成させてきた甘美な楽しみは一瞬にして霧散したんだ。
俺は店先で大泣きしたけどおじさんが困っていたし邪魔だろうから、子供ながらに気を使って街路樹の下に移動することにした。
木の根元で一人泣いている子供を見て道行く何人かの大人に迷子なのか聞かれたけど、それに答える気力なんてあるはずもなかった。
立ち直ったわけではないが、さすがに体の水分が少なってきたのか涙も出なくなってきた頃に顔を上げると、いつの間にか目の前には俺が焦がれていた物を手にして優しい笑顔を向ける兄さんが立っていた。
人形を手渡され、嬉しさのあまりそれを片手に兄さんの周りを走り回ると「危ないぞ」と呆れられたのをまだ覚えている。
それからは催し物を見て回っただけで帰ることになったけど、俺はその年の創生祭を最高に堪能することができた。
だけど俺は後で知ったんだ。
本当は兄さんにも欲しくてたまらず、あの日に買おうとずっと思っていたものがあったことを。
なのに兄さんは自分のお小遣いで人形を買ってくれた。
俺はまた泣いた。兄さんの優しさが嬉しかったのか、申し訳ない気持ちからだったのかは分からないけど、泣きながら何度も謝り、お礼を言った。
すると兄さんは笑いながら俺の頭を撫でて、「僕が買おうと思っていたのは二番目に欲しいものだったから」と言っていた。
どういう意味なのかは分からなかったけど、その時に俺は決めた。
今からまたお小遣いを貯めて、来年は倍にして兄さんにお返しするんだって。
あまり期待してなかったみたいだけど、兄さんは笑顔のまま頷いて聞いていた。
だけどその約束は突然の別れによって永遠に果たすことは出来なくなってしまったけど。
ふとそんなことを思い出し、つい目に涙を浮かべそうになるが、次の瞬間、俺は振り向きざまに後ろへ大きく飛び退いた。
自分の背後に何者かの気配を感じたのだが、そこに立っていたのは――
道化師?
赤い派手な衣装に白い仮面をつけた道化師が佇んでいた。
これほど接近されるまで全く気付けなかったのは俺が思い耽っていたせいだと思いたい。
それにしても微動だにしないな。作り物なんじゃないかと思えるくらいに。これもパフォーマンスの一環なのだろうか?
そんなことを考えていると道化師は静かに右手を突き出し、一度手首を返すとそこにはオレンジ色の花が一輪現れた。
警戒して身構える俺とは対照的に道化師は直立したまま、またも一切の動きを見せなくなる。
もしかして俺にくれると言うんだろうか?
ゆっくりと距離を縮めていき、気を張りながらも花を受け取ると、道化師はおどけた感じのお辞儀をして、跳ねるようにどこかへ去って行った。
一体なんだったんだ? 初めはただならぬものを感じたが、単にこの祭りの為に呼ばれただけだったのか。
やがて人の波に飲まれてその姿が見えなくなると、入れ替わるように久々に私服を見せる女の子が小走りでやって来るのが目に映った。
「お待たせしました。あら、その花は?」
リリィが俺が手に持つ花を見て首を傾げるので、ついさっき人から貰ったことを伝える。
「よかったらあげようか?」
なかなか花から目を離さないから興味があるのかと思っての言葉だったが、リリィは戸惑い、ただ苦笑していた。
「ファリス、その花……カレンデュラの花言葉って知っていますか?」
生憎と俺はそれほどロマンチストというわけではないので知る由もない。
「悲嘆、寂しさ、失望、それから――」
ひと呼吸おいてリリィは言葉を続けた。
「別れの悲しみです」
俺はすぐさまリリィの前に差し出した花を引っ込めた。
無知ゆえの事とはいえ、何というものをあげようとしていたんだ。
というか、こんな花を渡すなんて嫌がらせにも程がある。道化師の悪戯といったところなんだろうか?
俺が少し重苦しい空気を醸し出していたからか、それを払拭するようにリリィは満面の笑みと明るい声で手を差し伸べてきた。
「さぁ! 気を取り直してお祭りを楽しみましょう!」
俺が手を取ると同時に突然駆け出すリリィだったが、この数年は様々なものを抑制されてきたのだろう。その背中はタガが外れたように高揚感が溢れていた。
「こうしていると子供の頃とは逆ですね! 覚えていますか?」
こちらへ振り返ってそんなことを聞いてきたが、一体なんのことを言っているのか分からず反応できないままでいると、リリィは少し寂しげな顔をした。
そして走り出してからしばらくして、喧騒を極める会場の中からリリィの名前を呼ぶ声が聞こえてきたが、それは俺たちにとってよく耳に馴染むものだった。
「アリサ!? こんな混雑の中でアリサにまで会えるなんて!」
「リリィ! 私服だから最初は違うと思ったけどやっぱりそうだった! 今日の仕事は――」
ほんの少し遅れて、後ろにいた俺の顔を見るや話を中断して、アリサはこちらに向き直り詰め寄ってきた。
「ファリス!? 家を空けるとは言ってたけど二ヶ月もどこに行ってたのよ! 連絡のひとつも寄越さないなんて心配するでしょ! 今日……だって……」
どうしたんだろうか? アリサの視線がだんだん下がるにつれてなぜか声の勢いも収束していく。
「あれ? も、もしかして私……声をかけない方がよかった感じ?」
そう言われて気付けば立ち止まった今もまだリリィと手を繋いでいる状態だったので、顔を火照らせながら慌てて離した。
「これは!……その……楽しくてつい気分が高まったっていうか」
「そっか……リリィだったんだ」
アリサが半分が寂しさ、もう半分が安堵という何とも複雑な表情でポツリと呟いてからすぐのことだった――
「アリサ、勝手に行かないでくれよ」
後方の人混みの中からさっきとは対照的に全く聞き覚えのない声が。
そして振り返るアリサの元にはどことなく見たことがある男性が両手にそれぞれ飲み物を持って近づいてくる。
どうやらリリィも同様のようで、お互いに顔を見合わせるとアリサが俺たちの仕草に気付いたようだ。
「そういえば、二人は初めて会うもんね」
「エミリオ・アルベニスです。よろしく」
アリサの紹介を待たずに、金髪碧眼のおとぎの国の王子様のような男性は、そよ風でも吹きそうなくらいの爽やかな笑顔を浮かべ自ら名乗った。
その名前を聞いて、どこかで見た顔だがそれが朧気であったのは、彼が俺には到底縁がないくらいの有名人であったからだとようやく理解できた。
エミリオ・アルベニス。この街の代表議員であるアルベニス家の三男で、ラストリア王国軍アウローラ駐屯部隊の隊長を務めている人物である。
そしておそらく、全てが該当することから霊園でのアリサの話に出てきた男でもあるだろう。
「紹介するわね。ファリス・ラドフォードとリリィ・フレミング。この二人が前に話した私の幼馴染よ」
リリィは笑顔で丁寧なお辞儀をするのに対して、俺はぶっきらぼうな会釈だけ。
なんというか、まぁ……ちょっと面白くなかったからだ。
「二人はどういう知り合いなんですか?」
メルリエルの時もそうだったけどリリィって意外とこういうところはグイグイ行くんだよな。
でもそれは俺も気になっていた部分だ。聞きたくないという気持ちもあるけど。
何だか性格が面倒臭くなってるのが自分でも分かる。
それで、肝心の出会いというのは仕事が切っ掛けらしい。
アリサは昔から文章を書くのが好きで作家になることを夢見ていたが、それを目指しながら行政機関の広報の仕事に就いていた。
二年ほど前にその仕事の取材でアウローラ駐屯部隊の元へ訪れた時に初めて対面したとのこと。
「僕の一目惚れだったよ。容姿もだけど、それ以上に彼女の深い慈しみに」
聞いているこっちが恥ずかしくなるが、そんなストレートなセリフに慣れてないのか、アリサの顔は全身の血が登ったのではというほど真っ赤になった。
これ以上は自分にとっては目の毒だ。
一刻も早くここから離れたくなり、俺は思わずリリィの腕に手を掛ける。
「そろそろ他へ行こう、リリィ。二人の邪魔しちゃ悪いし」
俺とアリサ、二人の顔を交互に見ながら戸惑うリリィを半ば強引に連れ出そうとすると、呼び止めたのはエミリオの方だった。
「せっかくこうして会えたんだから一緒に回らないかい? もっといろいろと話をしてみたいし」
その余裕も気に入らなかったけど、ここで無視して行ってしまえば既に限界まで縮小された俺の器はいよいよもって消滅してしまうだろうという思いがその場に踏みとどまらせた。
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