第7話 創生祭
俺は一度家に必要なものを取りに行った後、ずっとメルリエルの家に寝泊まりしていた。
感覚に慣れるまでは人里離れたここの方が睡眠をとる際に余計な音を聞かなくて済むからだ。
例の件に関してもメルリエルが調合した睡眠薬によって大分うなされることも少なくなった。
それでもたまに夢に見て目を覚ましてしまうことがあったが、その度にメルリエルが傍らに立って額に手を置いてくれていた。
彼女の手はとても冷たかったけれど、それが何だか心地よくて、おかげですぐに安眠を取り戻せた。
そのくせいつも俺より先に起きてるものだから、「年寄りの朝は早いんだね」って言ったら目の前が真っ暗になって強制的に寝かされたこともあったな。
そんな生活を続けて二ヶ月が経った今日は、年に一度の「創生祭」の日だ。
毎年中央広場を中心に街の広域で開かれる最大のお祭りで、この世界の創造主と言われる女神アルニスに感謝し、祝う為の行事である。
最初に開催されてから来年でちょうど100年を迎えるらしいから、その歴史はそれほど長いわけではない。
祭りが始まるのは夜からで、今はすっかり日が傾いている夕暮れ時。
だけど俺はまだメルリエルの家のテーブルに突っ伏していた。
「そろそろ出ないと間に合わないぞ」
メルリエルが全く出かける様子がないのを見て声をかけてきたが、俺は祭りに行く気はさらさらなかった。
「毎年ひと月も前からバカみたいにそわそわするくらい楽しみにしてたのに。一体どういう心境の変化だ?」
リリィは修道女として主催する側だから毎年この日は忙しいし、アリサは……きっと今年は他に一緒に行く人がいるだろうから邪魔はしたくないし。
ついでに言うと俺にはその二人以外に友人と呼べる人がいないんだ。
本当は行きたいけど、一人で行ってもつまらないしな。
「そういうメルリエルは行かないの?」
「興味がないな。そもそも祝うのもバカバカしい。絵を描くには真っ白なキャンバスが必要だということに気付けん連中と一緒になど」
何を言ってるのかよく分からないけど、行く気がないということは伝わった。
そのまま沈黙が続いたが、やがてメルリエルが咳払いを一つすると呟くように口を開いた。その時に一瞬こっちを見たような気もしたけど。
「しかし、今年は……行ってみようか」
「興味がないって言ってたのに?」
「よく考えたらそんな理由で一度も経験しないままというのは私の理念に反するからな。とは言え会場は広いし……ちょうどいい、お前が案内しろ」
顔がちょっと赤いように見えるのは窓から射し込む夕日のせいなのか……なんてことはない。あれは絶対に柄にもないことを言って恥ずかしくなっている顔だ。
だけどその心遣いも、初めてメルリエルの方から誘ってくれたということも嬉しくて、俺は喜び勇んで準備に取り掛かった。
◇
何が入っているのかも分からない袋を肩にかけたメルリエルと共に山を降りて、馬車に乗って中央広場の近くまでやって来ると既に人が溢れかえっていた。
ここまで来る途中も街中は装飾され随分賑やかになっていたが、さすがに本会場ともなると一際豪華だ。
毎年本番が近づくにつれて変わりゆく街並みを見ていたけど、今年はずっと山に篭もっていて、その過程をすっ飛ばしたものだから余計にそう感じるのかもしれない。
人混みが疎ましそうに歩いているメルリエルとは対照的に俺はすっかり浮かれていた。
何度来ても、何歳になってもこの雰囲気には心踊ってしまう。
「メルリエル! まずは何を食べる? それとも何か催し物にでも参加してみようか?」
「はしゃぐな、馬鹿者。危ないし周りの者に迷惑だろう」
「こんなに混み合ってるし、迷子にならないように手を繋ごうか?」
「やっぱり来るんじゃなかった」という顔をしているメルリエルと共に広場を突き進んでいくと、よく知る人物の姿が目に映った。
「ハルアラン!」
あまりにも意外すぎる遭遇にまだ距離があるにもかかわらず声をかけてしまった。
祭りの日には混雑によるトラブルを防ぐ為に鉄皇団が多数配備されるが、それはあくまで若手の仕事のはずだ。
それなのにベテランの、それも団長自らがこんな現場に現れるなんてかなり異例なことだろう。
「おぉ! ファリスではないか。まさかこんな大勢の人の中で出会うとは」
少数で巡回してるならともかく、甲冑を着込んだ集団が仁王立ちしてれば嫌でも目に付くからな。
最初は仮装か何かかと思ったけど。
俺との遭遇に少しばかり驚いていたハルアランだったけど、後に続いてこちらへ近付いてくる人物の姿を見て、普段からはおよそ想像もつかないくらいの動揺を見せた。
「メ、メルリエル殿! あなたもいらしてたとは……」
「久しぶりに会ってみれば随分と老け込んだんじゃないか? ハルアラン。団員をまとめるのにも苦労していそうだな」
「いや、お恥ずかしい。しかしあなたの方は全くお変わりないようで」
「生真面目さだけが取り柄だった坊やがいつの間にか女性の扱い方を学んだか」
周りの団員たちも首を傾げるくらい上擦った様子のハルアラン。それを見て何も察せないほど子供ではない。
ハルアランと父は若い頃にメルリエルに師事していたことがあるみたいだから、おそらくその時からなのか。
「ところで、なんでハルアランが祭りの警備なんてしてるんですか? 新人の訓練も兼ねているような仕事なのに」
「それは……今年は節目の年だからな。いっそう混雑するだろうと踏んで階級に関係なく任務に当たろうという話で――」
俺は訝しげな顔をした。
節目? それを言うなら来年の話じゃないのかな。
「そうだったか? まぁ、私が暇を持て余すということは街が平和だという証拠なのだからいいではないか。それより今日はなぜ二人で?」
その問いにメルリエルは俺と腕を組んで肩に頭を乗せながら答える。
「実は今、私達は一緒に暮らしていてな」
いろいろ端折りすぎだろ。
詳細を話せないのは確かにその通りなんだけど、そのニヤケ顔を見ればわざとだということは一目瞭然だ。
それを聞いて目眩を起こしたようにふらつくハルアランの背後から黒髪を肩まで伸ばした眼鏡の女性が声をかけた。
軽鎧を身に付けているから彼女も鉄皇団の一員だろうか?
「団長、遊んでないでそろそろ仕事に戻ってください。あなたが一番お祭りを堪能してどうするんですか」
その女性は真ん中のブリッジではなく眼鏡のつるに手をかけてクイッと位置を直すと、ハルアランの腕を掴んで引き摺っていく。
「どういうことか説明しなさい!」という叫び聞きながら俺はその哀れな姿を見送った。
◇
あれからすぐに案内を再開したが、毎年配置はほとんど変わらないのですぐにオススメの露店は見つけられた。
リンゴを丸ごと使った飴細工、牛の串焼き、鶏の肉団子スープ、二枚貝のバター焼きなどなど――もはや底なしの胃袋となった俺は、少食だった頃の鬱憤を晴らすように片っ端から食べ続けた。
去年までは容量の問題で断念していた料理にまで手を伸ばすことができたのは嬉しかったが、ずっと気になっているのがメルリエルのことだった。
料理は口にするも、その反応が薄いような気がしていた。
「もしかして口に合わなかった?」
「そんなことはない。特産品をふんだんに使っているだけあってどれも相当なものだ」
そう言って浮かべる笑顔も気を使って無理に作っているように感じられた。
「慣れない人混みで少々疲れただけだ。思っていた以上に楽しくてつい私の方がはしゃいでしまったか」
「そう? それならいいんだけど……」
「あぁ、やはり何事も経験することが大事ということだな」
「そうかもね。十分楽しめたし、そろそろ帰ろうか?」
メルリエルへの心配もあったが、本当言うとこれだけの人が集まった場所に長くいたせいか、たくさんの音が一度に耳に入ってきて俺も少しだけ頭が痛くなってきていた。
しかしそんな提案をすると同時に聞こえてきた自分の名前を呼ぶ声によって、俺はその場に踏みとどまった。
「ファリス! よかった、見つけられると思ってなかったから」
振り返った先には修道服姿の幼馴染、リリィが息を切らせて立っていた。
「遠くからあなたの姿が見えたから……見失わないように走って追いかけてきちゃいました」
祭りの時には所定の場所にしかいないリリィとこうして会うのは珍しいな。それにしても様子を見る限りだと俺に大事な用事でもあるのかな?
しばらく息を整えることに努めていたリリィは、やがて落ち着いてきた頃に顔を赤らめ胸の前で手を組み、地面に視線を落としながらおずおずと口を開いた。
「あの……あのですね。もしよかったら、一緒にお祭りを回ってもらえないかなって思いまして……」
もちろんこちらとしては構わないけど、だけどリリィは毎年この日は仕事が忙しくて楽しむどころではないのでは?
「今年はお手伝いの方がたくさんいらっしゃるので、神父様にたまには楽しんできなさいって言われて」
純粋に楽しむことができるのは随分と久しぶりのことなのか、高揚するリリィはまるで子供のようだった。
「よかったじゃないか。もっと二人で楽しんでくるといい」
遠巻きに見ていたメルリエルがこちらに近付き声をかけてきた。
そこでリリィは初めて存在に気付いたらしく慌てていたが、俺がアリサ以外の人と一緒にいることなんてほとんどないんだから無理もない。
「申し訳ありません! 挨拶が遅れて。私、リリィ・フレミングと申します」
「フレミング? そうか、君があの教会の。私はメルリエルだ」
リリィはかなり驚いていたけどその理由は安易に想像できた。
他人との関わりが少ないものだから、歳が若い者ほどメルリエルの名前は耳にしていても顔が浮かばないということの方が多いと思う。
もはや都市伝説に片足を突っ込んでるような存在だからな。
「あの、二人はどういう……?」
「今は私の家で同棲していてな」
リリィの顔が引き攣り固まってしまった。
メルリエルの冗談もタチが悪いがどうしてこうもみんな簡単に信じるのか。
彼女は薬学に精通してるから病の治療の為に泊まり込んでいたとでも言っておけばいいか。
「そんな話はさて置き、祭りを見て回るんだろ。早く行こうよ」
「それでは少し待っていてもらえますか? このままの格好だと目立つから着替えて来たいので」
了承するとリリィは何処かへと走っていった。最後の話の切り替えは強引な逃げだったけど。
「さて、私はもう疲れたから先に帰らせてもらうが、その前に伝えておきたいことがある」
二人きりになったからかな。改まってメルリエルが話を切り出してきた。
「今日からは私の家に寝泊まりしなくても大丈夫だろう。もう随分と感覚にも慣れたろうし、心も落ち着いてきたみたいだしな」
そうか……お墨付きをもらえたのは喜ばしいことだけど、二ヶ月も一緒だったからいざ一人の暮らしに戻るのは寂しいな。
それを言うと絶対にバカにされるから言葉を呑み込んでおくけど。
「それと、渡しておきたいものが二つほど……」
メルリエルはローブの袖に手を入れると、そこから俺のよく知る薬瓶を取り出した。
「お前の病の薬だが、これもちゃんと持っていけ。まだ完治したわけではないんだから忘れずに飲むんだぞ」
高まった自己治癒力によって時間が経てば治るかもというのはあくまで推測だし、あれからも俺は毎日適量の薬を服用していた。
今ではどんなに激しく動いても症状が全く出ないけど、だからこそ忘れることがないように細心の注意を払わねば。
「もう一つはこれだ。そろそろ頃合いだろうと思ってな」
メルリエルが家を出た時からずっと持っていた袋、それを目の前に差し出された。
「これは……本当にいいの?」
覗くと中にはあの日以来ずっと預けていた仮面と衣装が。
「必要なものだろう? どうするかはもうお前の判断に委ねるとするよ」
俺はあれからメルリエルと共に今の自分にできることを把握し、その限界がどれほどなのかということを少しずつ解明していった。
そしてそれらを自在に扱えるように訓練もした。幸い山の奥に行けば天然の訓練場に溢れていたから場所としては最適なものだった。
意外だったのはメルリエルが武術にも秀でていて、稽古相手を買って出てくれたことだ。
力では自分の方が上だと確信はあったが、技術や経験の差と言うんだろうか、結局は軽くいなされ今のところ勝ち星はゼロなんだけど。
「教えたのは基本的なことだが一応は身につけることは出来ただろう。それでもまだ及第点といったところだ。決して驕るんじゃないぞ」
「ありがとうメルリエル、感謝してもしきれないよ。こんな言葉じゃ足りないと思うけど……」
あの日、もしもメルリエルがいなかったらきっと俺は再起することはなかっただろう。
それどころかあまりの苦しみに押し潰されてどんな行動に出てたことか。
「あぁ、全然足りないな。だからあとは結果で示せ」
微かに笑みを浮かべると、踵を返し帰路につくメルリエル。
だけどその背に向かって俺は叫んだ。まだ他にも言いたいことがあるんだ。
「待って! メルリエル!」
呼び止められて振り返ったメルリエルは眉をひそめた。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「いや……その……あれだ……」
はっきりと言葉にできずに口篭ってしまう。
だけどさすが二ヶ月も同じ屋根の下で暮らしていただけあって、多少は心が通い合っていたみたいだ。
「お、お前!? まさか……」
察してくれたか。
その証拠にメルリエルは呆れと哀れみの入り交じった大きな溜息をついた。
「案内してもらっている身だったからこれまで全部出してやってたが、まさか文無しだったとはな」
メルリエルは小言を言いながら財布から5000リダの紙幣を抜き出した。
「ほら、別に返さなくていい。その代わり無駄遣いなんてするんじゃないぞ」
念の為に言っておくが、今日はここに来る予定がなかったから持ち合わせがなかっただけで、別に金銭的に追い込まれた状況にあるわけではない。
とはいえ、この軍資金はありがたく頂戴するとしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます