第4話 古の猫人族
街を外れ……というより街を完全に出て木々が生い茂る山の中に佇むログハウスが一軒。ここがメルリエルの住まいである。
辺りに全く人影がないのは山中であるというのも勿論だが、メルリエルが街中の人から変な目で見られていたからというのも要因だろう。
日頃から怪しい研究をして、怪しい薬や道具を持ち歩き、それでも顔がいいものだから、夜の街でちょっと悪い奴に絡まれれば怪しい術で吹っ飛ばす。
そんな彼女は「魔女」なんて呼ばれていたりもした。
しかしそんなメルリエルのことを父は「偉大な人」だと言っていたが、実際に彼女の頭の中に詰まっている知識は街の図書館以上なのではないかと思えるほどだ。
メルリエルの家に入ると、すぐに俺は下着一枚になって言われた通りベッドに横たわると、昨晩から今日にかけて起こったことを全て話した。
もちろん落雷に遭遇したこともだ。
椅子を持ってきてその傍らに座ると、メルリエルは目を瞑りながら胸の辺りに手を添えて少しずつ滑らせていく。
その感触が擽ったかったのと気恥しさが相まって、俺はつい微かに身悶えしてしまった。
「何を恥じらっている。子供の頃からよく診てやっていただろう」
「そうは言っても俺だってもう大人なんだし」
「私から言わせればまだまだ赤子同然だよ」
そんなことを言ってメルリエルは鼻で笑った。
そういえばエルフ族は寿命というものがないらしいけど、彼女は一体どれくらいの年月を生きているんだろうか。
なんて女性である本人には到底聞けないようなことを考えながらむず痒さを紛らわせていると、何やらメルリエルの様子がおかしいことに気付いた。
やたらと感嘆の声を上げて、顔を紅潮させながら興奮している姿は、いかなる時でも冷静であった彼女からはこれまで一度足りとも見たことがなかったからだ。
やがて下腹部の辺りを念入りに調べていたメルリエルはおもむろに目を開けてから結果を告げた。
「いや、これはすごいぞ。こんなことが起こるから生命の神秘の探究はやめられない」
独り言を呟きながら、いまだ感情が高ぶってる様子のメルリエルだったが、俺は完全に置いてきぼりの状態であった。
「ああ、すまない。結論から言うと、やはり君には魔力はないようだ」
その答えに拍子抜けしてしまった。
俺に魔力がないのは生まれつきのものだったのでそれを使うという感覚がまるで分からないが、あの不可解な事象を説明するには他に想像することが出来なかった為だ。
「とりあえず落ち着け。お前に身に起きた変化をこれから説明してやる」
メルリエルの話によると、俺の体の異変の起因となったのはやはり昨晩の落雷によるものだそうだ。
まぁ、ここまで大きな変化をもたらす程のこととなるとそれ以外はあり得ないだろうとは思っていた。
現在の猫人族は遠い昔から他の種族と同様の文明の中で生活することによって、耳や尾など一部の動物的特徴を除けば環境に適応する為に外見はヒューマンに近くなっていった。
それに伴い山中での狩りに使用していた猫人族特有の筋肉や感覚は退化することによって身を潜め、もはや身体能力さえも差がなくなっていた。
父と母、両方の血を濃く受け継いだ俺は中身のほとんどが猫人族であった上に、その獣に近かった元来の猫人族の筋肉の割合の方が圧倒的に多く、それが雷による高出力のエネルギーが全身に駆け巡ることで刺激され、一気に活性化した。
この筋肉は病前に俺がやっていたトレーニングのような刺激程度では筋繊維は破壊されない為に肥大化することはなく、これまでずっと華奢なままだったのはこれが原因だ。
そしてその他に落雷による影響によって変化があったのは五感であり、刺激を受けることによって生じる脳と体の各部位を繋ぐ信号の伝達が異常に速くなっている。
その中でも特に動体視力、反射神経、危機感知能力の発達が著しいらしい。
あとは特別なことと言えば、なぜか昨日の雷が俺の体の中をいまだに駆け巡っているということくらいか。
どうやらそれによって発達した筋肉の働きを促進したり、耐性が付いたようでもあるし、体質変化と言うべきなのか。
今のところ自分自身が蝕まれている様子がないという事と、外へ漏れ出てないのが幸いだったな。
そして最後に聞いた変化は俺を天にも昇るような気持ちにさせてくれた。
自然界に身を置いていた猫人族と同様の体になった為、常人に比べて自己治癒力が高まっているとのこと。
それによって俺の体に巣食っている病の症状は抑えられ、命を落とす心配はなくなった。
まだ完治こそしていないものの、このまま時が経てばおそらくそれも叶うことだろう。
俺は一度諦めて手放そうとした未来への可能性を手に入れることができたんだ。
一通り説明は受けたけれど、にわかに信じられないことを次々に聞かされて頭の整理が追いつかない。
要約すると結局のところどういうことなんだ?
「簡単に言えば、お前は人間大の野生の猫になったということだな」
「猫かぁ……いまいちピンと来ないな。なんか弱そうだし」
「そうだな、超感覚を身につけた超人と言えばイメージしやすいか。まぁ、百聞は一見にしかずだ。自分の目で確かめてみろ」
そう言ってメルリエルは部屋の隅にあった姿見の角度を変えてこちらに向けた。
そこに自分を映してみると……なるほど、確かに彼女の言っていたことは的を射ているようで、俺の体はつい先日よりも太く、それでいて引き締まった男らしいものになっている。
きっと俺の顔は自然と綻んでいただろう。
なぜならこれこそが、5歳の時に悲惨な宣告を受けて以来ずっと渇望していたものだからだ。
これではまるで新しい玩具を買ってもらった子供のようだな。
その様子を見て思うところがあったのか、メルリエルは戒めるような声で話し始めた。
「その力を使って何かをするつもりなら十分な検証を怠るな。制御できない力は必ず自分も周りも傷付けることになるぞ」
それを語っている時のメルリエルの顔は険しく、忠告というよりは禁忌を一方的に立てられたような重みがあった。
「それと今のうちに言っておく。このことは私以外の者には絶対に知られないようにしろ」
「どうして?」
「何せあまりにも未知数なことだ。今後どんな不都合が生じるかなんて予想もつかないからな」
そう言われて部屋の中をぐるっと見回すと、その一角に目が止まり指をさした。
「じゃあ、あれをくれないか?」
振り返るメルリエル。
そこにあったのはフードが付いた黒い衣装とワインレッドに染色された仮面。
その時メルリエルは驚きの表情を浮かべたが、すぐにそれは他のものへと変わった。
諦めの中に悲しみが入り交じった、なんとも言えない顔へ。
◇
〈SIDE メルリエル〉
ファリスが家を出た後、私は椅子に腰掛け、テーブルに肘をついて頭を抱えた。
そして目を瞑りながらしばらく沈黙し、荒れ狂う心を何とか抑え込む。
テーブルの上にある物を力任せに手で払いのけ、立ち上がり座っていた椅子を掴んで壁に叩きつけ、棚に並べられた本を無作為に引きずり出し床に投げ捨て、最後には悲鳴に近い大声でも上げればそれなりに楽にもなれただろう。
だけどそれは精神を浄化する方法の中でも、知性の欠片も感じられない私が最も嫌うものだ。
ファリスの体を調べ、その身に起こったことを解明した時には久々に私の旺盛な探究心が沸き立ち、同時に心が踊った。
――ファリスがあの仮面と衣装を欲するまではな。
あの瞬間に納得した。全てはここに繋がるのかと。
まるで強引にしならせた木の枝が、手を離すと一瞬で元の位置に戻るのを見たような感覚だ。
アレクシスが初めてファリスを私のところに連れてきた時、魔力がないこと、体が弱いことはすぐに分かった。
そして二人が帰ってから、私はその事実に安堵の表情を浮かべていた。思いがけず運命が大きく変わったからだ。
これからあの子が歩む人生を考えればあまりにも不憫に思うが、長くはない命でも人並みに生きて、人並みに朽ちていけるならその方が遥かに幸せだろうと考えた。
それなのに――
私は神という存在に対して心底嫌悪を抱いている。
そのような大いなる者からすれば人類など取るに足らない生物だというのに、まるでそれを見て楽しんでいるかのようにいつだって残酷な運命を突きつけてくるからだ。
あなたはファリスに対してなぜこうも酷い仕打ちをするのだ。
あの子はもう十分すぎる程に苦しんだというのに、まだそれを望むのか。
それを思うといつの間にか私は顔を覆って泣いていた。そのような感情はとうになくなっていたと思っていたのに。
……いや、正確には泣きたかったと言うべきか。胸は痛むが実際には涙など一滴も出ていないのだからな。
だが、たった一つだけ感謝することもある。
それはおかげで私の決意がより強固なものになったということだ。
もしもこれがあなたの意思だとするならば、全身全霊を捧げて抗ってみせよう。
かつて強大な力に弄ばれた者として。
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