第2話 女神の雷

 天候を考慮してケープを取りに一度自宅へ戻り、教会への道を急いでいた。


 その途中、数人の鉄皇団の姿が目に入ると、集団の中に見知った顔があったので俺はできるだけ距離をとり、俯きながらその横を過ぎ去ろうと試みた。


「あれ? もしかしてファリスか?」


 そのまま聞こえないふりをすればよかったのに、すれ違う瞬間に声をかけられ俺は思わず足を止めてしまった。


「やっぱりファリスか。なんだよ声くらいかけろよ。釣れねぇな」


「あぁ、デリック……久しぶり」


 俺を呼び止めた男はこの街の商業ギルドの長であるガーディナー家の息子で、学生時代の同期であるデリックだった。


 すると俺の名前を聞いた団員が会話に割って入ってきた。


「ファリスってもしかして、ラドフォード家の?」


 その問いかけに黙って頷くと、他の団員も含めざわめきが起こった。


「あのアレクシス様のご子息か!」


「俺、アレクシス様にずっと憧れてて鉄皇団に入ったんだよなぁ」


 俺は周りの反応に対してつい顔が緩みそうになるのを我慢していた。


 アレクシスの息子であるという羨望の眼差しを浴びていたからということもほんの少しくらいはあるが、何よりも父さんが今も尚ここまで慕われ、目指すべき頂とされていたことが誇らしかった。


 それにこうして皆に語られることによって、形を変えても父さんが生き続けているという感覚をなんとなく味わうことが出来るからだ。



 しかしその中の一人から発せられた言葉に俺は心身共に固まってしまった。


「ところで君はどうして鉄皇団には入らないんだい?」


 当然の疑問だと理解はできるが、それは最も聞かれたくないことだった。


 なぜなら俺は鉄皇団に入らないのではなく、年に二回ある入団試験にずっと合格できず入れずにいただけなのだ。


 申し訳程度の座学の方はなんとかなっても、実技で思うような結果を残せなかった上に病気のことが査定に大きく響いているのだろう。


 それほどまでに希望がなくても諦めずに挑み続ける理由。それはまだ満足に体が動くうちに鉄皇団に入って、父の意志を継いでこの街を守りたかったという思いがあったからだ。


 例えそれが短い時間でも……たった一日だけだったとしてもいい。


――『お前だって英雄になりえる』


 幼い日に自分の体のことを知って絶望していた俺に父はいつもこの言葉をくれていた。


 人が聞けば根拠もない単なる気休めだと言うかもしれないが、その時の父の真剣な眼差しに報いたいと俺はずっと強く思っていた。



 しかしそんな気持ちをいつでも嘲り、踏みにじってきたのはこの目の前の男である。


「ダメですよ、先輩! ファリスにそれは禁句なんです。こいつは生まれつき魔力がない上に体も弱くて可哀想な思いをしてきたんですから」


 デリックがそんなことを言いながら制するが、決して本気で同情しているわけではないということなんて重々承知している。


 こいつは昔から外面だけは良くて、自分にとって有益である者達からの信頼を得ることに長けていた。


 デリックの見せる表面上の顔を周りが信じて疑わなかったのは、名門ガーディナー家の人間で、しかも学園を首席で卒業したという背景が手伝っていたからだろう。


 そして俺には魔力がないという事実。やはり皆にとってはよほど稀有なことのようである。


 団員たちのざわめきは先程までとは打って変わって不穏なものとなり、向けられたのはまるで奇怪な物でも見るような視線だった。


 俺は昔からこの反応が怖かった。

 それは自分が蔑まれるからではなく、父がこれまで築き上げてきたものを壊して、いつか全てを虚像にしてしまうのではないかという恐怖だ。


 昔から味わってきたのにいつまでも慣れない感情を抱きながら唇を噛み締めていると、この空気を断ち切るようにデリックが口を開いた。


「悪かったよ、ファリス。お前の為にと思ったがつい余計なことを言ってしまったみたいだな」


 その言葉とは裏腹に皆に背を向けているデリックは、まるで今この空気の中に身を置いていることに高揚しているかのように口角が上がっていた。


「足を止めさせて申し訳ありません先輩方。さぁ! 嵐が来る前に街の見回りを終わらせてしまいましょう!」


 デリックは手を一度叩いて鳴らし任務を再開するよう周りに促すと、こちらに向き直り俺の耳元で囁くのだった。


「死んだのが兄貴じゃなくてお前だったら、親父さんも浮かばれたんだろうけどな」


 次の瞬間、俺は頭に血が上り無意識にデリックの胸ぐらを掴んでいた。


 その様子を見ていた団員たちは慌てて止めに入ろうとするが、それには及ばず俺の腕はすぐさま捻り上げられてしまった。


「これまで一度だって俺に勝てたことがあるかよ。いつも女に守ってもらってたお前が」


 自分で言うのも悲しくなるけど俺は腕力には全く自信がない。


 二人の差は単純に力量ということもあったが、魔力を上手く使えるかどうかが戦闘においての強さを大きく左右するということも要因であった。


 特に近接戦を得意とする者なら、魔力を操り自身を強化すれば防御面で、武器ならば攻撃面で常人を上回る能力を手に入れることが出来るからだ。


 その差を少しでも埋めるべく、俺は二年前まで体を鍛えることに人一倍時間を費やしてきたのに、成長と共に背丈は伸びるもいつまでも華奢なままだった。


 その代わりにくれたのが激しい動きを禁じられる病だというのだから、神様から本当にこの道を諦めろと言われているような感じがしていた。



 掴まれた手を強引に振りほどこうとする度に腕の関節を襲う痛みは増していき、思わず声が出てしまう。


 しかし馬の蹄の音と共に飛ばされた怒号により俺はすぐに解放されたのだった。


「何をしている貴様ら!」


 甲冑に身を包み、鉄皇団の紋章が刻まれたマントを羽織るエルフ族の男性がこちらへ近づいてくるのを目にすると、その場いた全ての団員が右の拳を胸の前でかざす鉄皇団式の敬礼をする。


「デリック、この街を守るべき鉄皇団の団員がそこに住まう民に手を上げるとは何事だ!」


「いえ! これは……自分が先に手を出され……」


 慌てて弁解に努めるデリックの言葉を男性は遮った。


「言い訳は無用! 罰として貴様には東区全域の見回りの追加を命じる。任務中に油を売っていた他の者も同様だ! 嵐が来ようと終わるまで屯所に戻ることは許さん!」


 俺をひと睨みしてから、デリックは声に気圧され逃げるように駆け足で去って行く団員たちの後に続く。


 厳しい目でその姿を見送った男性は馬から降りて俺の目の前に立つと、先程までの雰囲気が嘘のような優しい笑顔を浮かべていた。


「部下の教育が行き届いていないばかりに迷惑をかけたな、ファリス。許してくれ」


 この人は現在の鉄皇団の団長であり、父のもう一人の親友であったハルアランだ。


 俺が生まれた時からよく家に訪ねてきていたので、子供の頃に遊んでもらっていたくらいの顔馴染みである。


「直に嵐が来るのに今からどこへ行こうというのだね」


「教会の補強作業を手伝おうと思いまして。今日は神父様が留守にしていてシスターリリィ一人みたいですし」


「なるほど、それは結構なことだな。ところでファリス――」


 ハルアランがこういう切り出し方をする時はどんな話が口から出るのか容易に予想できたので、つい身構えてしまう。


「鉄皇団の一員になる気はないかね? よければ私が推薦状を書いておこう」


 思っていた通りだ。

 俺が学園を卒業した15歳の時からたまに顔を合わせてはこうして誘いを受けていたのだ。


 だけどそれに対する答えは始めからずっと同じものだった。


「魅力的な話ですが、生憎と俺にはその資格はないので……」


 ハルアランは俺の体のことも、ずっと抱き続けている父さんへの思いも知っていた。


 それでいて親友がいなくなった後も変わらず気にかけてくれていたので、つい口をついて出てしまうのかもしれない。


 だがやはり試験に正式に合格し、適性があるということを証明して入団しなければ、その後の任務にはついていけなくなるだろう。


 それに特別扱いがあっては他の希望者に示しがつかないし、そんなことで団員から送られるハルアランへの信頼を揺るがすようなことは避けたい。


 例え自分にその気があったとしても、今となってはもう無意味な話になったことだし。


「やっぱり俺は――」


「いや、すまない。別に困らせるつもりではなかったんだ。君のことになると向こう見ずになってしまうのは私の悪いところだ」


 最後まで言わせなかったのは気遣いからだろうか。ハルアランは肩に置いていた手を離すと、もう一度笑顔を作り直し馬上へと戻った。


「危険を感じたら早々に切り上げるんだぞ。では、気をつけて行きなさい」


 足首を動かすことで腹を揺すられた馬は静かに歩き出し、俺は去り際に一度目配せをしたハルアランの背中をしばらく眺めながら様々な思いを頭に巡らせていた。


 そしてふと我に返ると、霊園の時と同様に懐中時計を確認してすぐに全速力で走り出す。


 しまった! 余計なトラブルのせいでリリィとの約束の時間がとっくに過ぎていた。





 教会に到着すると、既に扉の前には木材が積まれていた。


 その傍らには切り揃えた前髪や、肩口まで伸びているフワッとしたクリーム色の髪と青い瞳が、まるで可愛らしい人形のような印象を受ける女性が立っている。


「リリィ、遅れてすまない」


「いいえ、この強風にも関わらず来てくれて嬉しいです」


 リリィ・フレミングは容姿が少し幼く、おっとりとした性格だから、つい年下のように錯覚してしまうが俺より歳は一つ上である。


 子供の頃には兄とアリサを含め4人で毎日のように行動を共にしていたが、彼女が本格的に修道女になってからは会う機会もすっかり少なくなってしまった。




 リリィと積もりに積もった話をしながら、多少は雑でもとにかく急いだ甲斐あって、全ての窓枠に木材を打ち付けることが出来た。


 街の中心部に位置する大聖堂になかなか行けない人の為の小さな教会だからというのもあるのだが、それは敢えて言葉にしないでおこう。


 そしてまるで俺たちの作業が終わるのを待っていてくれてたかのように雨がポツリと一粒頬に落ちると、それが合図となり一気に土砂降りへと変わる。


「これからもっと荒れそうだな」


 建物の中に避難して窓の隙間から外の様子を伺いつつ独り言を呟くが、例えこれがリリィに向けた言葉だとしても、屋根を打つ豪雨や木々を揺らす風の音に掻き消されて届くことはなかっただろう。


「さぁ、お茶が入りましたよ。少し冷えてきたから温まりましょう」


 振り返るとリリィが両手にカップを持って立っていたので、礼拝堂の椅子に腰掛け暖を取らせてもらうことに。


 そしてこの後に言われることが何となく分かっていたから、俺は先手を取って口を開いた。


「もう遅いし、これ飲み終わったら帰ろうかな」


 お茶を一口飲んだ後、隣に座っていたリリィへ意図的に聞こえるようにそんなことを言うと、彼女は驚いた様子を見せ珍しく語気を強めた。


「こんな天候の中を帰るなんて絶対にダメですよ! 今日は司祭館に泊まってください」


 教会の施設内にある司祭館はリリィが居住している施設でもある。

 それに加え今晩は二人きりだし、そんなことを言われると神聖な場所だろうとお構いなしに悶々としてしまう。


 しかしそれは寧ろ男としては健全な反応であると言えるし、きっと神様だって目をつぶってくれるはずだ。


 それにさっきも感じたが天候はこれから悪化の一途を辿るだろう。


 今の時点でも帰路に着くにはかなりの危険を覚悟しなければならないとなると、やはりここはリリィの言うことを聞くのが無難かもしれない。


「そうだな。せっかくだからお言葉に甘えようかな」


「よかった! 本当言うともうシチューを多めに作ってあったから、断られたらどうしようって思ってたんです」


 頬を赤らめ肩にかかる自分の髪を撫でながら恥じらうリリィの姿はなんとも愛らしく、つい顔を逸らしてしまう。



 その拍子に偶然気付いたが、祭壇に祀られている神像の頭頂部から水が滴り落ちていた。


 アウローラの人達が崇拝している、女神アルニスの像である。


 一体どうしたんだ? もしかして邪な感情を抱いた俺に対して警鐘を鳴らしているのではないか……なんて少しばかり本気で考えたがなんてことはない、ちょうど像の真上から雨漏りをしてただけだ。


「今から屋根に登って直そうか」


 産まれた時から信仰に触れてきたリリィは、その対象となる存在の姿を模したものを恥辱にまみれたままにしておくことは心苦しいであろう。


 他の場所であったなら桶でも置いておけば大丈夫なんだろうけど、神像の頭の上となるとバランス的にもそうだが、如何にも侮辱しているかのような形になってしまうのもよろしくない。


 しかし外は見ての通りの状況だ。

 嵐の中に身を置くだけでも危険だと自分でも言ったのに、ましてや落下する可能性がある屋根に俺を登らせるなどもってのほかだと思っているはず。


 昔から素直な性格だった為かリリィの表情からはその葛藤がありありと分かったので、ここは少しばかり強引に意見を押し通してあげるのが親切かもしれないな。


「大丈夫、俺は男にしては軽い方だけどちょっとやそっとじゃ飛ばされないし、一箇所くらいならすぐに終わるさ」


「それでは今度は私がお言葉に甘えさせてもらいますね。だけど絶対に無理だけはしないでください」


 おずおずと頷くリリィから同意を得られた俺は、残った木材と道具を持って早速作業に取り掛かった。





 像のある位置のちょうど真上辺りまで来て破損箇所を探してみたが、もうすっかり暗くなってしまっていて位置を正確に特定するまでには至らなかった。


 時節強風に煽られては身を屈めて耐えながらとにかく周辺に木材を打ち付け、最後の一枚を宛てがいながら槌を振り上げたその瞬間――


 自分の周りが突然真っ白になり、考える暇もなく轟音と共に俺の体は空中に投げ出されると、その先から目にしたものは幻なのではないかと思えるほどにとても現実感がない光景だった。


 まるで時間がゆっくり流れているようで、それほど高くはない屋根なのにいつまでも地面に着くこともなく、音に驚いて外に飛び出してきたリリィの動きもまたすごく遅く見えていた。



 そしてその姿を逆さに見たまま、俺の意識は深く暗い闇の底に沈んで行った。

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