第1話 落ちこぼれの少年

 父、アレクシス・ラドフォードはラストリア王国の主要都市のひとつである、このアウローラという街の治安を守る組織、鉄皇団てっこうだんの団長だった。


  産まれた時からそんな父の背中を間近で見てきたし、部下であった団員や街の人が口にする英雄譚を自然と耳にしていたからか、俺はいつも二つ上の兄と庭で木の棒を交わらせては「自分が父の後を継ぐんだ」などと主張し合っていた。



  しかしそれは茨の道であるという現実を突きつけられたのは、多くの子供たちが魔術の手解きを受け始めるとされる5歳の時であった。


  自分と同じ年齢の頃から訓練をしていた兄は才能を開花させ、周囲も驚くほどの速さで成長していったのに対して、俺はいつまで経っても基本すら教えてもらえる気配がなかった。


  さすがに疑問に思って問うてみると、いつかは話さなければいけないことだと父は重い口を開いた。


  その話によれば、俺が産まれてすぐに懇意にしていた魔術士に測定してもらったところ、魔力が全くないということが判明したというのだ。

  人より少ないとかいう話ではなく、俺の体内には存在すらしていないとのこと。


  使用することに関しての得手不得手には個人差があるものの、本来魔力とは誰にでも宿っていて、訓練さえ積めば使えるようになるものである。


  しかしその魔術士の話では極めて稀ではあるが、他種族同士の間に生まれ、且つどちらの身体的特徴も濃く継いだ子供の中には先天的に魔力が備わっていなかったという実例が過去にも存在するらしい。

  またそういう子供は生まれつき免疫力が低下しやすく体が弱いということも。


  父はヒューマンだが母が猫人族であった俺はまさにそれに当てはまっていた。


  自分の息子が目を輝かせながら口にしてきた夢が潰えたという事実が明らかになった日の夜に見た、自責の念を抱き頭を抱える父と、泣きながら謝り続けていた母の姿は今でもはっきりと覚えている。



 ◇



  その時の光景を思い出しながら、俺は霊園の中でも一際大きな墓に花を手向けていた。


  父と母、そして兄が眠る墓だ。


  俺が10歳になった年の同日、深夜に何者かが住居へ忍び込み家族の命を奪ったのだが、体調を崩し他の場所で療養していた自分だけが奇しくも難を逃れたというわけだ。


  その後の鉄皇団の調査により争った形跡があったことや金目の物が数点消えていたこともあり、賊による金品目当ての犯行だと判明した。


  そして数日後には犯人たちの一部が街の周辺に潜伏していたところを討伐されたようだ。

  だが俺は8年経った今でもこの一件に違和感を持っている。


  最もそれを調査した上で疑問を晴らす程の時間が自分にはないということがあまりにも悔しく、そしてもどかしかった。


「よかった、まだいたのね。ファリス」


  自分の名前を呼ぶ声に振り返ると、そこには明るいブラウンカラーの髪をポニーテールにした、ヘーゼルの瞳のヒューマンの女の子が花束を抱えて立っていた。


  幼馴染みで同い年であるアリサ・メイブリックだ。


  俺は事件の直後に父の親友の一人であったウィル・メイブリックに引き取られたので、15歳で独り立ちするまでアリサとは同じ屋根の下で暮らしていた。


「あぁ、アリサも来たの――っ!」


  言葉を発した瞬間に俺は激しく咳込み、それを見たアリサは慌てて駆け寄ってくる。


  2年前に高熱を出したのが引き金となり、もともとの体質も災いして俺は今の時代では治療が困難な病を患っていた。


  そして先程、ついに自分に残された時間があと1年だという宣告を受けた。


  だからここに来たのは挨拶も兼ねてだった。

  もう少しで自分も三人と同じ場所に行くだろうから、その時にはまた家族が一緒になれるように祈っていて欲しいと。


「もう、まだ冷えるのにこんな薄着なんてして来るから」


  背中をさすってあげたことにより俺が落ち着きを取り戻したことを確認すると、アリサは改めて墓の前で膝をつき花束をそっと置いた。


「毎年一緒に来てたのに。何も言わずに一人で行くなんて冷たいじゃない」


「別に、ふとそういう気分になったから来ただけだし」


「相変わらず見た目通りの気まぐれさね」


  見た目というのは兄と違い俺は外見こそヒューマンそのものであったが、明るい場所での瞳孔は縦に細長く、顔つきや細身な体躯は猫人族の母にそっくりだからだ。


  実際母は行動が読めない自由な人だったので、アリサの言葉を汲むならそういうことだろう。

 

「あれから8年も経つのね」


「うん、アリサが代わり映えのしない花束を持ってくるのを見るのは8回目ってことか」


「何よ、いいじゃない。ファルークが好きな花なんだから」


  知っている。そしてそのマーガレットの花は兄のファルークが毎年アリサの誕生日プレゼントに添えて送っていたものだということも。


  アリサは活発だし勝気な性格で少し男っぽいところがあるが、それ以上に相手を思いやる優しさに溢れた女性だった。


  そんな彼女に惹かれたのは出会って間もなくの頃からであったが、落ちこぼれで何一つ誇れることがない自分には彼女を幸せにすることは不可能だという思いが、胸の内を伝えようとする度に歯止めをかけ、ずっと感情を押し殺しながらこれまで生きてきた。



  そして祈りを捧げていたアリサが目を開けてから口にしたのは、まるで今考えてることを見透かし、俺の成長を試さんとするような言葉であった。


「実はね、この間付き合ってほしいって知り合いの男性から告白されちゃった」


  アリサは「物好きな人よね」なんて言いながら笑っていたが、俺は胸にナイフを突き刺されたような感覚に見舞われた。


「どんな人?」


  半分は本当に気になって聞いてみたのだが、もう半分はそれが口にできる精一杯の言葉だったので、ついこんな素っ気ないものになってしまった。


「周りはいい人だって言ってるわ。剣の腕も一流みたいだし……あと、お金持ち」


  最後に冗談を交えながら話していたアリサはこちらへ顔を向け、さらに言葉を続ける。


「でも、どうしようか迷ってるの」


  そう言われて俺もアリサの方を向き、しばらくの間お互いに見つめ合う形となった。


  顔つきはすっかり大人になっている。


  それでもずっと変わらないままの澄んだ瞳の奥を覗いていると、二人で過ごしてきたこれまでの記憶が頭の中に次々と巡ってくる。



  かくれんぼをしたら俺が全く見つけられなかったせいで帰りが遅くなって、一緒におじさんに怒られたな。


  誕生日にはケーキを作って持ってきてくれた。

  俺が食べている間ずっと頬杖をつきながらこちらに向けていたアリサの笑顔を今も覚えている。

 ちょっと変な味がしたけど嬉しくて一気に完食したっけ。

  次の日に体調を崩して寝込んでしまったがそれは今も秘密にしている。


  同じ家に住むようになってからは、夜中に「怖い夢を見たから」って顔を赤らめながらアリサが部屋に来て一緒に寝たこともあった。

  あの時の温かさは今だってこの身に感じることができる。




  ――駄目だ。


  これが嘘偽りない俺の正直な答えだ。


  この一言を口にして、続けざまに「好きだ」という気持ちをぶつけてやりたかった。


  だがここで自分の気持ちをそのままにアリサを引き止めて、仮に彼女がそれに従ったところでどうする?


  「代わりに俺が幸せにする」とでも言うつもりか。


  つい今しがたあと1年の人生だと言われた俺が――


  生まれつきの体質のせいで定職にも就けないばかりに蓄えがなく、遺せるものなんて何ひとつない俺が――


  一体どうやって彼女を守っていけと言うんだ。


  どうしてそんな台詞が吐けると言うんだ。



  もし本当にアリサのことを大切に思っているのなら、幸せを願うのなら、俺に出来ることはその背中を押してあげることだろう。


「いい話じゃないかな。いや、寧ろそんなにいい男を逃したら勿体ないと思うし」


  するとアリサは俺から視線を外し、顔を上げると目を瞑って、息をひとつ吐いてからすっくと立ち上がった。


「そうよね! この機を逃したら罰が当たってもう一生結婚できなくなるかも。今度会ったらちゃんと返事をしようかな」


  「結婚」という言葉に俺の胸のナイフがさらに深く突き刺さり、同時に言い様のない虚無感が湧いてくるのは、こんなになっても割り切ることができない俺の器量の狭さからなのか。


  この世界では教育が修了する翌年の16歳になれば男女共に結婚することができる。


  学園を卒業してから3年間、生活が安定せず余裕がなかったからか、自分たちもそんな歳だという実感が持てずにいたのかもしれない。



  そんな胸の苦しみを少しでも紛らわす為に懐中時計を取り出し目をやると、予想以上に時間が過ぎていることに慌てた。


「しまった! 教会の窓の補強を手伝うってリリィと約束してたんだ」


  今日は朝から風が強く、雲の様子から夜には本格的に嵐になるという話が街を飛び交っていたからだ。


  数日間神父様がいないと聞いていたし、女手ひとつで作業を終わらせるのは到底無理だろう。


「今から始めても間に合わないわよ。危ないからやめておきなさい。そうだ、リリィには私の家に来てもらえばいいじゃない」


  古い建物だから何もしないままでは心許ないし、神父様がいない今、リリィだって教会を離れる訳にはいかないだろう。


  とりあえず出来るところまでやっておくだけでもだいぶマシだ。それにしても――


「鬱陶しいからお節介はいい加減にやめてくれよ。こっちが望んでるわけでもないのに」


「心配だから言ってるんでしょ! どうしてそうやっていつも突っかかってくるのよ!」


  声を荒らげるアリサはまだ何か言いたげではあったが、そんな彼女を残し俺は霊園を後にした。


  子供の頃からよくお互いに可愛げのあるケンカはしていたが、これはこちらに一方的に非があるものだという自覚はあった。


  きっとアリサと共にいられる時間があと僅かだということや、劣等感から自信も勇気も持てず燻っていたせいで、最後の最後まで心の内を明かすことができなくなったという現実が俺を自暴自棄にさせているのだと思う。


  大人気ないことだと頭で理解しつつも、八つ当たりをして距離を置くと少しだけ心が軽くなることに逃げ道を見出してしまった情けない自分には心底嫌気がさしてしまう。

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