第33話 バカ泣き虫、です

「よし、まあ、こんなとこだろう」

「ありがとうございました、先輩」


 気がつけば、たっぷり一時間。

 レイ先輩は隆子さんにベースを手ほどきしていました。


「いや、叶は飲みこみが早いからこっちとしても教えやすかった。何か楽器の経験があるんじゃないのか?」

「驚きました、そんなことまでわかるんですね。中学までピアノとバイオリンを習っておりました」


 す、すごい……けど、どうして高校では天音部に入ったのでしょう?

 そんな私の疑問を見抜いたように、隆子さんは語り出しました。


「心機一転と申しますか、何か新しいことをしてみたくなったのです。ピアノやバイオリンは何度も小さなコンクールに出ては賞を取っての繰り返しで、流石に退屈でした」


 ……さらっと言いましたけど、それってすっごくすごいことなんじゃ。


「与えられた環境でトップを取ることは、私にとっては当たり前の習慣みたいなものなんです。求められる通りに腕を磨いて、結果を残す……しかし、少々疲れてしまって。ですから、今度はそういった競争が少ない場所を選んだつもりだったのですが」


 言葉を切って、隆子さんはちらっと教室の隅に目をやりました。

 視線の先には、レグさんたちとは離れた場所で、ギターを持って向かい合う奈緒ちゃんとスピカちゃんの姿。


「一番になる、とか豪語する奴がいきなり現れたわけか」

「ええ。彼女たちを黙って見過ごしていれば、私は二番になってしまいます。……それは嫌なのです。それが嫌だから、今まで一番にこだわり続けてきたのです」


 ……もしかして。

 隆子さんは、二人のバンドに入るために、ベースを……?


 どうしてか、胸がざわつくのを感じます。

 奈緒ちゃんに、スピカちゃん。そしてポーラちゃんと、……隆子さん。

 本気で音楽に向き合う四人がステージに立っている姿は、きっと綺麗でかっこよくて、とっても素敵なことなのに。

 どうしてこんなに、胸がちくちくするの?


「本日はご指導ありがとうございました、先輩。残りの時間はぜひ羽丸さんとのレッスンにお使いください」


 礼儀正しくぺこりとお辞儀する隆子さん。

 ……? はまるさんとの、れっすん……?


「……え!? い、いえっ、私は……っ」

「あら、お二人の時間をお邪魔してしまったのですから、これくらいの礼儀は立てませんと。私は退散いたしますので、どうぞ、ごゆっくり」

「叶……お前もしかして、何か盛大な勘違いをしていないか?」

「え? ……お二人はご交際なさっているのでは?」


 ゴコウサイ……? 五香菜……後光祭……。

 ご、ご交際っ!?

 つ、つき、つきあっ……ってことっ!?


「そんな事実はない」

「あら……それは失礼いたしました。昨日も一昨日もご一緒していらしたので、てっきり」

「誤解だ。単にお互い居心地が良いだけだ」

「それは、……お似合いなのでは?」

「交際だのとはまた別の話だろう。何でも色恋沙汰に結び付けないでくれ」

「……それもそうですね。大変失礼いたしました。羽丸さんも、不躾な詮索をお許しください」

「は…………はひ……」


 何を言われてるのかもよくわからないまま、気のない返事を返してしまいます。

 今の私、きっと頭のてっぺんからつま先まで真っ赤になっちゃってる……。


「それはそれとして、今日もギターとドラムの見学をしたいので、私はこれにて失礼いたします」


 もう一度きっちりとお辞儀をして、そそくさと去っていく隆子さん。

 後には私とレイ先輩と、何だか気まずい空気が残されてしまいました。


「……叶の言ったこと、あまり気にするなよ」

「はひゃい……」

「無理そうだな……」


 無理もないです。

 私、深く考えずにレイ先輩の傍に来てたけど……隆子さんや、もしかしたら他の一年生や先輩たちからも、そう思われてしまってたんじゃ。

 だとしたら、きっとすっごい迷惑です。

 私なんかが、先輩のか、か、かの……だなんて、そんなの。

 そんなの……で、誰一人望んでなんかいないのに。


「……迷惑だとかは、考えるなよ」


「ふぇ……っ?」

「さっきも言った通り、俺だって居心地が良いんだ。迷惑だなんて思ってない。変な噂が立ったとしても、さっきみたいに誤解を解けばいいだけだ。だから、俺に気を遣ったりせず、お前のしたいようにすればいい」

「……どうして」


 どうして、わかっちゃうんですか。

 どうして、そんな優しい声で、ここにいてもいいよって、言ってくれるんですか。


「前にも言ったはずだ。ここがお前の居場所だと。天音部のどこにだって、お前はお前の好きなところに好きなようにいていいんだ」


 どうして、また先輩を困らせちゃうのに……これ、止まってくれないんですか。


「……後輩を何度も泣かすような、酷い先輩の隣でも良ければだけどな」

「……はい……っ」


 ああ、もう。

 羽丸しえらの、バカ泣き虫。



「あー、もうこんな時間かあ。あっという間だったな。名残惜しいけど、今日の部活はここまで! 音楽室掃除したら、気をつけてお家に帰るよーに!」


 結局、私はレイ先輩の隣で、ベースを教わることもなく、楽器体験の残り時間を過ごしました。

 その間ずっと、レイ先輩は黙って隣に座り続けていてくれました。


「……片づけて、帰るか」

「は、はい」


 のそりと立ち上がったレイ先輩に続き、部屋の隅によけてあった机と椅子を並べ直します。学校の教室を使わせてもらってるので、後片付けは大事です。


「しーえらっ! お疲れっ」


 ふと、後ろからいつもの明るい声。


「奈緒ちゃん」

「一緒に帰ろっ……て、どしたの? 目ぇ赤くない?」

「ううん、どうもしてないよ」

「ふーん……?」


 奈緒ちゃんはなんだかアヤシがっていましたが、もう何ともないのは本当です。余計な心配もかけたくありませんし。


「まいいやっ、スピカとポーラも一緒だから、今日のこと色々話しながら帰ろ!」

「うん、いいよ」


 奈緒ちゃんたちといる時間も、私は大好きです。


「うぇーいお疲れーっ。気をつけて帰れよー、我がライバルズ!」

「あぅっ……ううっ、レ、レグさん! 今度アタシにもギター教えてくださいねっ!」

「ダメよ奈緒」


 ぴしりと無情なスピカちゃん。


「なんだなんだ、敵のアドバイスは受けないってかー?」

「別にそういうわけじゃないけど……奈緒には奈緒のスタイルがあるのよ。今更貴方みたいに染められても困るの。それじゃ、お先に失礼するわ。行くわよ奈緒」


 涙目でずるずると引きずられながら音楽室を出て行く奈緒ちゃん。続いて、ラン先輩に見送られながらへろへろとやってきたのはポーラちゃんでした。


「つ、つかれたノ……腕も足も、パンパンなノ」


 いつも元気いっぱいのポーラちゃんが、こんなに疲れ切ってる姿は珍しいです。


「おつかれさま、ポーラちゃん。楽器体験のはずなのに、随分はりきったんだね……?」

「だって、早くナオタンやスピカタンに追いつきたいノ! それにそれに、イタイのもツカレたのも忘れちゃうくらい、ずっとずーっと楽しかったノ!」

「そ、そっか……でも、無理は禁物だよ?」

「しえらくんの言う通りだよ、ポーラくん。初心者のうちはあまり根を詰めすぎてもよくないからね」


 苦笑しながら現れたラン先輩のアドバイス。先輩のお話によると、どうやら正しいフォームや手首の使い方がきちんと身に着くまではハードな練習はお勧めできないとのこと。

 ドラムは全身を使って忙しいイメージなので、見ているだけで大変そうです。今日は他に希望者がいなかったからかポーラちゃんがずっとドラムに座っていたので、かれこれ二時間……ううん、もっとでしょうか。ずっとがんばってたみたいです。


「でもでも、もっともっとがんばらないと二人に追いつけないノ」

「それでもだよ。身体を壊してしまったら元も子もないからね。筋肉痛になったりしてドラムができなくなったら、楽しくないだろう?」

「あ……そうなノ。ポーラは楽しむことがダイイチなノ!」

「初心を大切にね。急がなくたって、技術も体力もついてくるものだから」


 クールで柔らかいラン先輩の微笑みに、メイメイ先輩の黄色い声が上がります。……いつの間に?


「はいなノ! ランタンセンパイ、今日はありがとうございましたなノ!」


 ぐいんっと勢いよくお辞儀して、ポーラちゃんは音楽室を駆け出していきました。

 って、廊下は走っちゃダメだよ!


「ま、待って……」

「ハマル」


 慌てて追いかけようとした私を、レイ先輩の低い声が呼び止めました。


「あ……先輩、きょ、きょうはその」

「そういうのはいい。明日も明後日も言ってたら飽きるだろ」

「え、あ、は、はい」

「ひとつだけ、伝えておこうと思ってな」


 そう言って先輩は私の目の前に立ち、目線の高さが合うように屈んで。


「俺は正直、新入生の誰がどの楽器に興味を持って、誰とバンドを組もうが、何だっていいと思っている。もちろん何もやらなくてもだ。……けどハマル、もしお前が、ほんの少しだけでも楽器をやってみたいと思って……そしてその楽器が、ベースだったのなら……新田じゃなく俺が教える。俺に、教えさせてほしい」


 吸い込まれてしまいそうな、まっすぐな眼差し。

 それを私は、まっすぐ見つめ返すことができずに、俯いてしまいました。


「……もしもの話だ。引き止めて悪かった」

「あっ……」

「気をつけて帰れよ。……って、前にも言ったな、そっくり同じこと」


 うっすらと笑みを浮かべたレイ先輩のポーカーフェイスは、ほんのちょっぴりだけ寂しそうに見えて。

 それが申し訳なくて、私は急いでお辞儀して、一目散に逃げだしました。



「あーららぁ。フラレちゃったねぇ、レイレイー」

「……明鳴。お前まで色恋沙汰か」

「けどレイにしては珍しく入れ込むじゃないか。どういう風の吹き回しか、私も気になるな」

「ラン先輩まで……他意はないです。もっともな理由が必要と言うなら……まあ、明日までに考えてきます」

「おや。では楽しみに待つとしよう」

「別に期待しないでくださいよ。……さて、そろそろ行きますか……スタジオ」

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