第32話 ベース講座、です

 羽丸しえらです。

 四月十二日、木曜日。今日の部活は、第二音楽室……『軽音』の日です。


「えー、本日の活動は火曜と同じく楽器を体験してもらう」


 ダウナーなレイ先輩のアナウンスで進行します。


「……の、前に。昨日新たに入部届を出してくれた二人の新入部員を紹介する。どっちからでもいいぞ」


 紹介する、との発言の直後に丸投げされてしまった二人の新入部員が、速やかにじゃんけんで順番を決めました。

 と、いっても。実は私、二人とも誰だか知っています。


「えーっと、じゃあ僕から。一年A組の笛塚ふえつかあゆむです」


 一人目の新入部員、笛塚君は、火曜の楽器体験で部長先輩にギターの手ほどきを受けていた背の高い男の子です。


「おとといの仮入部にも来てて、楽しそうだったんで入部することにしました。天文部の活動もするみたいって聞いて、そっちも楽しみっす。よろしくお願いします」


 笛塚君がお手本のような自己紹介の後に長身をぐいんと傾けてお辞儀をすると、みんなから拍手が起こりました。

 よかった。入部届を出すのが一日遅れていたら、点呼じゃなくて自己紹介をさせられていたってことだよね。今のような手短な挨拶すら、私はまともにできる気がしません。


「はーい、じゃ次あたしー。洞辺どうべ実紗みさでーす」


 そして、二人目の新入部員は実紗ちゃん。ゆるい喋り方の裏にみすてりあすな顔を秘めた謎多き女の子です。


「あたし基本飽きっぽくてー、部活とかもあんま長続きしないんですけどー」


 そ……それを「新入部員の自己紹介」で言っちゃうの……?


「でもなんか、ここは面白そうなヒト多いしー、しばらくは飽きなさそうなんで心配いらないでーす。そんな感じでよろしくお願いしまーす」


 ぱち、ぱち……と。

 困惑のまま、まばらな拍手が起こります。

 彼女がやっぱりただものじゃないってことだけがわかりました。


「じゃ、後は適当に……ギターやってみたい人はレグさんと真壁の所。ドラムやってみたい人はランさんと明鳴の所に。ベースは新田……は今日バイトか。じゃベースは無し。以上。各自自由行動開始」


 早口で事務的に言い終わり、音楽室の隅に確保した椅子へと向かっていくレイ先輩。何も教えてないし人も集まってこない先輩の近くなら特に気後れすることなくゆっくり見学に専念できるので、私もすかさず後に続きます。

 楽器体験会としてお互いに正しい時間の過ごし方なのでしょうか、とは思いつつ、ひとまず今は頑張る奈緒ちゃんやポーラちゃんの姿を眺めることにしました。


「ふぁ……ぁ」


 横一列に並べた椅子に寝転がり、レイ先輩は大きなあくびをひとつ。

 ことり先輩から聞いたところによると、レイ先輩はかなり夜型寄りの生活をしているらしく、授業が終わったばかりのこの時間は眠くて仕方ないみたいです。

 初めて部室を訪ねた時も、先輩は寝てたっけ。


「……座るか? ハマル」

「えっ……い、いえ。お構いなく」

「いや、俺が椅子並べて寝てるのにお前を立たせてたら、ただの性格悪い嫌な先輩だろう……一脚やるから座ってくれ」

「あ、そ、そうですねっ。ではその、し、失礼します……」


 ひとつわけてもらった椅子に私が座り、再び横になった先輩。でも、先輩の足を乗せる分の椅子がなくなり、膝を折り曲げるかたちになってしまいました。


「ん。……んー」


 横になっているのに床に足がつくアンバランス感を嫌ったのか、もぞもぞと動いて位置を調整する先輩。足が床から離れ膝が伸び、かわりに頭ががくんとずり落ちました。見ていてハラハラします。


「れ、レイ先輩……やっぱり椅子お返しします」

「何故だ……それはハマルが使え」

「でも……」

「気にするな、学校で寝るのには慣れている。こういう格好で寝るのも珍しいことじゃない」

「それは、あまり慣れたらダメなのでは……ちゃんとお家に帰って、ベッドで寝ましょうよ」

「……俺にはこっちのほうが落ち着くんだ……」


 そうこう言い合っている間にも、先輩の頭はどんどんずり落ちていきます。このままだと、床に落っこちちゃう。

 かといって、椅子を返すのはダメと先輩は言います。

 私がこの椅子に座ったまま、先輩の頭を守ろうとすると……先輩の頭を、私越しに椅子の上に乗せる必要があって。


 その、それって、つまり。

 膝まく――


「あの」

「ぴゃああ!?」


 私の方が先に椅子から転げ落ちました。比喩ではなく本当に。


「だ、大丈夫ですか!?」


 手を差し伸べてくれた声の主は、一年生の叶隆子さん。りゅうこじゃなくて、たかこさん。


「ご、ごめんなさい……」

「いえ、私の方こそ驚かせてしまったみたいですみません」


 何だ何だと他生徒の注目が集まる中、一番近くで私の変な悲鳴を聞いたはずのレイ先輩は微動だにせず横になったままでした。


「あっ、もしかして、レイ先輩にご用ですか……?」

「ええ。ギターとドラムは先日触れさせて頂きましたので、今日はベースを体験させてもらおうかと」


 べ、べーす……? もしかして、レイ先輩の持ってたおっきなギターのことでしょうか。

 さっき「ベースは無し」って言ってたけど、レイ先輩、自分が教えるのが面倒なだけだったんじゃ……?


「……もしかして、お取込み中でしたか?」

「い、いえいえ。ぜひどうぞっ、はいっ」


 隆子先輩に楽器を教えるなら、レイ先輩は起き上がるしかないはずです。つまり先輩の頭を守れる! ……睡眠時間は奪ってしまうことになりますが。


「ほ、ほら、レイ先輩っ。起きてください。授業の時間ですよ」

「んー……? ベースなら新田に教えてもらってくれ……」

「新田先輩はバイトだってさっき自分で言ってたじゃないですかっ」

「ええ……じゃああと五分だけ……」

「な、何が『じゃあ』なんですかっ。早く起きてくださいっ」

「……注文が多いな、ハマルは……」


 いかにもめんどくさそうにむっくりと起き上がり、あくびをひとつ。


「まあ、ハマルの頼みなら仕方ないか……叶隆子りゅうこ、ひとます椅子に掛けてくれ」

隆子たかこです」


 連日の言い間違いを律義に訂正してから、隆子さんは私とレイ先輩の顔を交互に見比べます。


「あの……?」

「ああ、ごめんなさい。お二人のお邪魔をしてしまったかと思いまして」


 お邪魔だなんてそんな。むしろ助かりました、先輩の頭が。


「で、何だったか」

「はい、ベースの体験をさせていただけたらと」


 面接みたいにピシッとまっすぐ座った隆子さんがハキハキと話します。


「ふむ。ではまずベースについてはどれほどご存知ですか?」


 と思ってたらレイ先輩による面接が始まりました。えっと、なんでですか?


「エレクトリックベースギターは低音域の演奏に特化した弦楽器であり演奏上の役割においてはコントラバスを電子楽器化したものと言えますがその構造や方式はエレキギターと概ね……」


 そして律義に回答する隆子さん。超真面目です。


「うむ。よく勉強してきているようで感心しました。それではこれで面接を終了します。というわけでおやす……」

「まだおやすみの時間じゃないです、先輩」


 油断も隙もありません。

 先輩の椅子は当初の半分しか残っていないので、今寝たら頭をぶつけるだけじゃなく腰も痛めてしまいそうです。


「……しかし、これだけ知識があるなら俺が教えることなど何もないだろう。楽器ならそこにあるのを貸すから、好きに弾いててくれ」

「ダ、ダメですよ。隆子さんはレイ先輩に教えてもらいにきたんですから」

「……人に教えるのは苦手なんだがな」


 どうあっても寝たいみたいです。手強い……そ、それなら。


「あ、あの、わっ、私もべーすのこと、ちょっぴり知りたいかも、なんて……」


 勢いに任せてつい口走った言葉に、先輩の雰囲気が変わりました。


「ほう……?」


 ずいと近寄る顔。目と鼻の先の距離に、部活勧誘の日を思い出します。


「あ、えとっ……」


 大丈夫、嘘はついてません。ベースに興味があるのは本当なんです。

 天文台ライブのあのステージで、私の記憶に一番残ったのは。

 レイ先輩の低い声と……、


「だったらまあ、少し話そう」


 先輩が取り出した、夜空のように深く黒い、この楽器のことだったんですから。




「お?」

「どーかしましたぁ、パイセーン」

「ああワリ。いやさ、レイが真面目に起きて人に教えてるなんて、めちゃくちゃ珍しいなと思って。先輩としちゃ嬉しーけど」

「ふーん。……ピュアガール、やっぱすごい子かもですねー」




「二人は、低音についてどう思う」


 ていおん……低い音のことですよね。

 低い音といえば、レイ先輩の声……。


「ええと……お、落ち着きます」

「演奏の基盤……文字通りベースを固めるもの、でしょうか。メロディとリズム、両方において演奏を引き立てる重要な役割かと思います」


 あぅ、そ、そういうかんじ!?

 感覚で答えちゃったのが何だか恥ずかしくなってきました。


「そう慌てるなハマル。全部顔に出てるぞ」

「ひゃわい!?」

「安心しろ、お前の言ったことも叶の言ったこともどっちも間違いじゃない。というか極論、音楽に間違いなんてない」


 言いながら、先輩は音楽プレイヤーを慣れた手つきで操作します。


「このフレーズを聴いてみてくれ」


 手渡されたイヤホンを左右で隆子さんと分け合い、流れてきた音に耳を傾けます。

 この曲、確か……天文台ライブで聞いた曲?

 目を閉じると、あの夜の星空が浮かぶようです。


「次はこれだ」


 いったん曲が止まり、次に流れてきたのはまたもや同じ曲……、


「……!?」


 じゃ、ありません。曲はおんなじだけど、何かが違う……!

 吊り橋の上を歩いているような、味のしないお味噌汁を飲んだような。お腹の奥がそわそわと浮き上がってくる感覚。

 なんだか不安になってくる音に、思わず椅子の脚を握り締めていました。


「とまあ、今聴かせたのがベースのある音源と無い音源だ」

「……面白いわ。羽丸さんの言っていた通り、無い方のフレーズはどこかものでした。イメージはしていましたが、いざ聴き比べるとこれほど違うものなのですね」


 プレイヤーとイヤホンをしまうレイ先輩の顔が、どことなく得意げに見えました。


「ギターにはメロディがあり、ドラムにはリズムがある。だからそれだけでも曲は作れるし、世の中にはベースのないバンドも沢山ある。だが、ベースにはメロディとリズムの両方があって、ギターの音もドラムの音も助けることができる」


 その視線が、音楽室の中心で誰よりも目立っているレグ先輩に向けられます。


ギターとボーカルレグさんがメロディを彩り、ドラムランさんがリズムを引っ張る。俺はそれを繋ぎ、支える。俺たちプラニスフィアはそうやって音楽を奏でている」

「繋いで、支える……」


 レイ先輩がレグ先輩に視線を向けたのと同じように、私も自然と奈緒ちゃんやスピカちゃん、ポーラちゃんの姿を探していました。

 一人ひとり違う煌めきの星たちを、つないで、ひとつの星座をなぞる。

 ベースは、私が思っていたよりずっと、素敵な楽器だったみたいです。


「……少し脱線したが、まあそんな役割の必要不可欠な音って話だ。じゃ、それを踏まえて実際のベースの弾き方を教える」

「はい!」


 隆子さんのような元気な返事は、私にはできませんでした。

 そんな素敵で立派な楽器。

 ……やっぱり私なんかには、向いてないと思ったから。

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