第29話 星友、です

「わぁ……!」


 誰かの、感嘆に満ちた声。

 頭上に広がるのは、どこまでも光の無い地上と、どこまでも煌めく夜空。

 初めて見上げる、早見高校の夜空です。


「うひゃー、やっぱすごいねー」

「ええ……圧巻です。侮っていました」


 口々に感動を共有し合う一年生のみんな。

 お互いの顔もよくわからないくらいに暗くて、でも声は届いて、誰が喋ってるのかもよくわかって、なんだか不思議な気分です。


「どうだ、ハマル」

「ひゃわっ」


 思ったよりずっと近くから、レイ先輩の声が聞こえてびっくりしました。


「あ……は、はい。その……とっても、嬉しいです」

「嬉しい……」

「はい。ひとりで見るより、賑やかで、ワクワクして。誰かと見る星は、自分だけじゃ見つけられない綺麗さを教えてくれるから……だから、嬉しい、です」

「そうか。……なら、よかった」


 笑ったような声でした。

 レイ先輩の声は、怖くないです。

 低くて、重たいけど、鋭くはなくて、痛みもなくて。お腹の奥の方に、としん、と優しく響いて残る感じ。

 だから、私は好きです。


「……だが今日は、嬉しくても泣くなよ」

「だ、大丈夫ですっ!」


 ……言ってる内容は、ほんのちょっぴりいじわるですけどっ。


「あれー、スマホだと全然うつんない……」


 ざわめきの中から、スマホを空にかざして唸る声が聞こえます。たぶん、早樽さんの声。

 スマホで星を撮るには、ちょっと設定をいじって工夫する必要があります。シャッタースピードを遅くしたりISO感度を上げて、弱い光でもたくさん取り入れられるようにして。そのぶん撮影に時間がかかるので、手ブレしないように三脚で固定したり、セルフタイマーを使ったり。夜空撮影用のアプリなんかも、最近はかなり充実しています。

 けど、今夜の空は……。


「おっと」


 スマホの明かりで、誰かが彼女の腕をそっと掴むのが見えました。


「せっかくの最高な夜空だ。画面越しなんかじゃなく、直に楽しもうぜ」


 チャライオン……こほん、部長先輩です。

 先輩の言う通り。こんなどこを見ても満天の星空、手のひらに収まる四角の中に閉じ込めちゃうなんてもったいないのです。


「は、はぁい」


 ……はっ!

 しどろもどろな早樽さんの様子を見て、クレバーな私は気づいてしまいました。奈緒ちゃんにつぶされちゃうのでは?ということに。


「あれぇ……こんなだったっけ……?」


 ちょうどその時、屋上のフェンスの方から奈緒ちゃんの声が聞こえました。

 声だけで首を傾げてるのが伝わってくるのが、奈緒ちゃんらしいです。


「えっと……奈緒ちゃん?」


 手探りで近づき、びっくりしない程度の声量で、奈緒ちゃんを呼んでみます。


「あっ、しえら? 良かった、しえらならわかるかなぁ」

「どうしたの?」

「今日ってもしかして、天気悪かったりする?」

「えっ、ううん。快晴だよ」

「じゃあ、アタシのコンタクトの度が合ってないのかなぁ……」


 あ、奈緒ちゃんコンタクトだったんだね。


「あのね、何ていうか……だったっけ、って思っちゃって」


 耳打ちするような小声で、申し訳なさそうにそう伝えてくれました。

 天文台ライブの日と、星空が何だか違う……きっとそう感じたんでしょう。


「えっとね、奈緒ちゃん。それは……」

「あったかーいお茶はいかがかねー」


 思い当たる理由を説明しようとしたところで、メイメイ先輩の声に遮られてしまいました。気づけば、先輩たちが周りに集まっています。


「焦りは禁物でござるよ。まずはゆるりと一服」

「ふふっ、そうだよ。まだまだ夜は長いから」

「は、はい。いただきます」


 差し出された紙コップを二人して受け取り、案内されたブルーシートに座ります。至れり尽くせりです。

 春先だけど、まだまだ夜は涼しくて、あったかいお茶がじんわりと身体に沁みます。

 けど、一息ついても、奈緒ちゃんはまだ納得がいってないみたい。


「こないだ、しえらに教えてもらった通りに、まずは北斗七星から見つけようと思ったんだけどね……なんか、星の数が寂しいカンジだし。まず北ってどっちだっけってなっちゃってるし」

「あ、それはね、校庭のある方が南だよ。だからこっち側の空が北」


 入学した時から調査済みです。ぬかりありません。


「でも、今はまだ明るめの星しか見えないかな」

「んにゃーっ、まだってどういうことー? もう夜じゃーんっ!」

「それは……ふふ、もう少ししたらわかるかもだよ」

「えーっ、焦らすなぁ。しえらのケチー」


 唇を尖らせる奈緒ちゃんが、なんだかとても可愛いです。


「羽丸さん、だっけ。星詳しいんだね?」

「あ……よ、米賀先輩」

「ことりでいいよ。隣、いい?」

「は、はい、どうぞ」

「ありがと」


 そう言って、ことり先輩は奈緒ちゃんとは反対側の隣に腰を下ろします。ふわり、優しくて甘い匂いがしました。


「私も、星が好きでこの部活に入ったから、なんだか親近感湧いちゃうな」

「そう……なんですか?」

「うん。最初はね、お気に入りの天文台に変な奴らが来たーって、目の敵にしてたの。ふふ、おかしいでしょ」


 そ、そんなとこまで私と同じ……。


「だんだん変な人たちじゃないってわかってからは少しずつ興味が湧いて、結局一年の春に入部したんだけどね。メイとか新田くんとか真壁くんとか、みんな軽音目当てで入ってきたから、最初はなんとなく肩身が狭くって。頼みの綱の怜介も、早々に先輩に勧められて楽器始めちゃったし……」

「……?」

「俺と米賀は幼馴染でな」

「ひゃわぁっ」


 頭上からレイ先輩の声がしました。私たちの後ろに立っていたみたいです。


星友ほしともってところかな。子供の頃から一緒に天文台に入り浸ってたの」

「そ、そうだったんですね。いいな……」

「ハマルはいなかったのか、友達」


 痛くないって思ってたはずのレイ先輩の言葉が、ずどがんっと突き刺さります。


「……すまん。今のは完全に聞き方を間違えた」

「だ、大丈夫大丈夫! 私たちももう星友ほしともだからね!」

「アタシもだよ、しえらっ!」

「……ありがとうございます……」


 二人の優しさが、あったかいお茶みたいに心に沁みます。


「で、そうそう。軽音目当てだったみんなもね、最初の天文活動の日……つまり今日みたいな日に、みんなで星を見て、感動して、それから改めて仲良くなれたの。だから羽丸さんにとっても、今日がそういう日になればいいなあって」

「あ……」

「不安なことも多いかもしれないけど、私たちは一緒に星を見上げる仲間だから。遠慮しないで、困ったことは何でも相談してね。……ってことが言いたかったの。うまく伝えられたかな?」


 柔らかい笑顔で、ことり先輩はそう言いました。

 私にとっても、ここがかけがえのない場所になるように、応援してくれたのです。


「はいっ。ありがとうございます」

「よかった」


 素敵な先輩です。その優しさが、私にはもったいないと感じてしまうくらい。


「……あの、ことり先輩」

「ん? なあに」

「私、おひつじ座のハマルが好きです。先輩の好きな星は、何ですか?」


 だから、レイ先輩が私にそう聞いたのと同じように、私なりの方法で歩み寄ってみようと思いました。緊張してばかりじゃなくて、お互いの好きなものを知って、もっと打ち解けられるように。


「ふふ、怜介のマネ? 聞いたよ、部活紹介の日に泣かされたって」

「ご、誤解だ!」

「どうだか。天然で女の子泣かすから、この人」


 さっきまでとは違う、ちょっぴりいじわるな笑みを浮かべてレイ先輩をからかってから、ことり先輩は私の質問に答えてくれます。


「一番好きなのは、こと座のベガかな」

「おりひめ星……ですね」

「え、織姫って七夕の? そんな強そうな名前だったんだ?」


 奈緒ちゃんが言う通り、ベガは七夕の織姫星にあたる夏の代表的な星。天の川を挟んだ先に、夫の彦星……アルタイルを臨む、お姫様の星です。


「七夕って、普段星なんて見ない人でもみんな天気を気にしたり夜空を見上げたりするでしょ。その雰囲気が子供の頃から大好きで……なんだか、みんなに愛されるアイドルみたいだなって、憧れてたんだ」

「わかります……!」

「一年に一度しか夫婦が会えないっていう逸話も、ロマンチックで切なくて。夏の大三角で一番明るいのも、私はここよ、って一生懸命輝いてるみたいで、いじらしくて応援したくなっちゃう」

「わかりますぅっ!!」


 ことり先輩の手をがっしりと掴み、全力で同意しました。


「し、しえらが見たことないテンションしてる……」


 私、ことり先輩とは良い星友になれそうです!

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