第26話 まだマシ、です

 自然に肩に置かれる、私にとっては恐ろしいだけで頼もしくもなんともないごつごつの手。


「ブチョータン!」

「はーい、部長たんですよっと。どしたんポーラちゃん、羽丸ちゃん。こーんな暗いお部屋に女子だけでいたら、怖い狼さんに襲われちゃうぜ?」

「ぬかせボケ。……っつーかやっぱテメェんとこのかよ、宍戸」

「……昔みたいにレグって呼んでくれよ。寂しいだろ、すぐる

「チッ」


 空き教室に乱入してきたチャライオンさんと、鬱陶しそうに舌打ちしたウル不良さんが、私たちを挟んで睨み合います。


「で、何うちのかわいい一年に絡んでんのさ。おっかねーな」

「テメェらの教育がなってねェんだよボケが」


 誤解です、私のせいなんです、私がごめんなさいも言えなかったせいなんです。と言おうとした口さえも満足に動きません。むしろ、この世で二番目に苦手な存在の不良さんに、一番苦手な存在のチャラ男さんが加わったことで、状況はさらに悪化しました。

 パニックになる意識の中、辛うじて私が気づくことができたのは、どうしてんだろう、という違和感でした。


「シエラタン!? どうしたノ、お腹痛いノ!?」

「お、おい……!? 何だよ急に、大丈夫かよ!」


 ああ、私、腰が抜けて倒れちゃったみたいです。

 心配してくれるポーラちゃんに、大丈夫、の一言すら返せません。

 怖くて、パニックになりすぎて、こんなになっちゃうなんて。

 情けなくて、恥ずかしくて、……また、前髪を下ろしてしまいたい気分です……。



「……ん」


 チャイムの音で目を覚ますと、白い天井が見えました。

 チャイムが聞こえたということは、ここは病院ではないみたいです。

 学校の、保健室なんでしょうか。


「起きたか」


 すぐ傍から、声。顔を向けると。


「ぁ、ぁ、……な」

「その、悪かったな、ぶっ倒れるほどビビらせちまってよ……」


 さっきのウル不良さんが私を見下ろしていたのです!


「ひ、ぃ、いやぁあああ!!?」

「おわァ!? な、何やってんだテメェ!」


 大慌てで逃げようと身を捩って、そのままベッドから転がり落ちてしまいます。あまりに無防備。握り締めたシーツを頭から被って、せめてもの防具としました。

 でも無駄です。どんなにふわふわもこもこの毛で守りを固めようが、羊は狼にぺろりと丸呑みにされてしまうものなのです。


「いやぁ……嫌ぁぁ……食べないでぇぇ……」


 さっきは出てこなかった涙がぼろぼろと溢れてきました。今度はポーラちゃんも部長先輩もいません。私を守ってくれるのはこの頼りないシーツだけでした。


「っだよ……ここまでガチビビリされっと、腹立つよりヘコむな……なぁ、俺そんなに怖ェか?」

「こわいです……」

「おう、そいつぁ、悪かった……」

「ごめんなさい、ごめんなさい、許して、食べないで……」

「食べねえよ……つうかこの状況見られたら本気で俺が襲ったみてぇに思われるだろうが。まずは落ち着いてベッド戻れよ、何もしねえからよ。床は固えし冷てえだろ」

「…………」


 静かに語るウル不良さんからは、さっきのような怒りや敵意は感じられなくなっていました。涙を拭い、シーツにくるまれたままでベッドに戻ります。


「こんだけ離れてりゃいいか?」


 部屋の隅で、ポケットに手を突っ込んだまま、ウル不良さんが聞いてきます。もしかすると本当に、襲ってくるつもりがないのでしょうか。


「どうすりゃ襲ったりしねえってわかってもらえんだ……? そもそもテメェの中じゃ俺は普通に人食うのかよ。その発想の方が怖ェよ」

「…………」

「……あー、そうだな、よし。いいか、俺は乳のでかい女にしか興味がない。テメェみてえな中学出たてのちっこいガキは襲わねえ。安心しろ」


 逆に言うと、私の胸が大きかったら襲われていたということでしょうか。とても怖いです。

 今のでほんのちょっぴり許しかけた心が堅牢の守りを取り戻しました。全く安心できません。

 それでも、今この医務室にはこの人しかいないので、この人から情報を得るしかありません。私は震えながら、声を絞り出しました。


「……ほ、ほかの、みんなは……?」

「巨乳はテメェに茶ぁ買いにいくとよ。苦しそうにしてたから。で机持ってきた雑用だか何だかは宍戸の奴が代わりにやってる。養護の先公は知らねえ」

「あなたは……?」

「……テメェがぶっ倒れたの、どう考えてもビビらせた俺のせいだろが。だから俺が運んできたんだよ。目ぇ覚ますまで見張っとくのも当たり前だろ」


 えっと、本当は、倒れちゃったのは多分チャライオン先輩が加わったせいなのですが……それでも、この人は罪の意識を感じて、私をここまで運んでくださったようです。

 怖いけど、怖い見た目ほど悪い人ではないのかもしれません。


「その、あ、ありがとうございます……」

「おう」

「それと、その、さっきは、ご、ごめんなさい」

「……おう。俺の方こそ悪かったな。もう怒鳴ったりしねえよ」


 よかった。

 なんとか謝ることができました。

 胸の奥につかえたものが、少しだけ取れた気分です。


「けど、残念だったんじゃねえか。助けに来てくれた王子サマが不在でよ」

「……え?」

「元はと言えば俺のせいだっつって押し切ったのは俺の方だけどな。テメェも俺なんかよりあの野郎に看てもらった方がよかったろ」

「あっ、い、いえ。それはないです」

「は?」


 うぅっ。やっぱり怖いです。

 でも言いかけてしまったことなので、私はびくつきながらも説明します。


「じ、じつはわた、わたしっ、チャラいひとが、世界でいちばん苦手、なんです」

「……まあ、あいつチャラいな」

「だから、そ、の。た、助かりました。運んでくれたのが、あなたの方で、よ、よかったです」

「ってことは……つまり、何だ。あんだけビビってたのに、俺の方がまだマシだったって?」

「はっ、はい。まだマシです」


 そもそも限界が来たのは、チャライオンさんが現れてキャパシティを超えたからです。

 どんなに怖くても、チャラいよりマシです。


「………………ぶふっ」


 しばらく黙っていたウル不良さんが、急に噴き出しました。


「ぶはははは! 何だそりゃ! 庇ったつもりの後輩からぶっ倒れるほど嫌われてんのかあいつ! 空気読めねえあいつらしいわ、だははは!」


 急に笑い出すのも怖いです。この人の感情のツボがわかりません。


「っはー、笑える……他人がチャラいくれぇでぶっ倒れるほどテンパるテメェにも笑えるし、そもそもあいつが自分でわかってねぇっぽいのが一番笑える。相変わらず独りよがりのやってんだな」


 やっぱり、ウル不良さんは昔から部長のことを知っているような口ぶりです。部長の方も、ウル不良さんを名前で呼んでいました。


「……お二人は、お知り合い。……なんですか?」

「ん? あー……」


 その質問を聞くと、ウル不良さんは少し考え込むような間を置いてから、笑みを消してつまらなそうに吐き捨てました。


「いや、関係ねえな。天音部員のテメェには」


 それきり、お互い黙ってしまいます。

 踏み込んではいけない場所だったのでしょうか。


「……あ、あの、ごめんなさ……」

「あーーーーーシエラタン起きたノ! よかったノー!」


 などという爆発音。

 保健室の扉を開けて、お茶のペットボトルを手にしたポーラちゃんが飛び込んできました。


「遅えよ、ったく。オラさっさと連れて帰れ。俺はここでもう一眠りしてっからよ」

「センパイタンにもお茶、買ってきましたなノ」

「お? おお、悪ぃな。パシったつもりはねえんだが」

「シエラタンを助けてくれたお礼なノ! ありがとうございましたなノ」


 礼儀正しくぺこりとお辞儀するポーラちゃんと、面倒そうにのそりと立ち上がるウル不良さん。そんな二人のやり取りを見て、はっと。さっきの言葉を電撃的に思い出してしまいました。


「ぽ、ポーラちゃん! あまり近寄っちゃだめだよ! そのひと、おっぱい大きい女の子のこと食べちゃうのっ!」

「えっ……」

「言い方あんだろコラァ!」

「ぴっ、ご、ごめんなさいぃっ!」


 もう怒鳴らないって言ったのに!


 その後、顔を赤らめて警戒するポーラちゃんに、逆に青ざめたウル不良さんが必死に説明して誤解を解くまでさらに三十分かかって。

 私とポーラちゃんは、今日の部活にすっかり遅れてしまうのでした。

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