第8話 部活勧誘、です
羽丸しえらです。
今日は四月九日。この早見高校に入学してから、一週間が経ちました。
私は今、部室棟と呼ばれる建物の物陰にいます。
「新入生諸君ッ! 俺達アームレスリング部と一緒に青春の汗を流そうぜッ!」
そして、パワー系の先輩方の勧誘を回避するタイミングを物陰から窺っています。
今日から、部活勧誘が解禁されたのです。
「お、そこの少年! そう君だ、ナイスな筋肉してるな! 我々フィンガーレスリング部の次世代のエースになってみる気はないか?」
勿論、私の入りたい部活は決まっています。
けれどあの人たち……人? 筋肉のカタマリさんたちの勧誘を切り抜けて目的地に辿り着く私の姿がどうしても想像できません。
「そこの彼ェ~、すごォ~くいいカラダしてるわねェ~ン。ハンドプッシュレスリング部で、アタシ達とイイコトしましょうよォ~ン」
多くないですか? レスリング部。
「そこな少女よ!」
「ぴぃっ!?」
「いい指の形をしているな! ペーパーレスリング部に興味は無いかね! 私たちと共に血沸き肉躍る神々の相撲を……」
ついに見つかってしまった私の肩に、そっと置かれる手。
「ごめんなさいセンパイ、この子もう見るとこ決まっててぇ」
「な、奈緒ちゃ」
「行こ、しえらっ」
レスリング部の先輩が引き留める声をすり抜け、ネコさんのように軽やかに駆け出した奈緒ちゃんに、どんくさい私がほとんどつまづきながら追いすがります。
でも、私、自分で走り出せた。あの背中を見失いたくない一心で。勧誘の声も全部無視して、野良猫を追いかけて路地裏に潜っていく子供のような、期待と不安がごちゃ混ぜな気持ちで、でも、ちゃんと自分の気持ちで。
「ふぅっ! この辺りまで来ればもう勧誘の人たちもいないみたいだねっ」
「そうだね……って、あれ?」
ここ、どこ?
私たちは部室棟から少し離れた、草木の生い茂る秘密の裏庭のような場所まで来ていました。勧誘を撒くのは本来の目的ではありません。
私は制服のポケットから、各部活動の説明が行われる場所が一覧にされたプリントを取り出しました。A4用紙二枚に渡り、校内の地図と一緒にびっしりと書かれた部活名。その中の「た」行のリストをひとつずつ見ていきます。
あっ、ありました! 天文部。
よくよく見ると『天音部』とミスプリントされていましたが、これだけの数の部活があるので無理もないでしょう。なにせ数が多すぎて、一斉オリエンテーションが開催できなかったほどなんですから。
「場所は……部室棟、西倉庫。……倉庫?」
「あれじゃない? あの倉庫」
奈緒ちゃんが指さした先には、確かにザ・倉庫! という感じの古めかしい建物がぽつりと建っていました。蔓草の這ったトタン屋根に、重そうな両開きの引き戸、いらない物を置きに来ることだけを想定した一方通行の立地。
どうやら偶然近くにたどり着いちゃってたみたいです。
……でも、どうしてこんなヘンピな場所に天文部の部室が?
それに、どうして他の部活のように外に出て呼び込みをしている人がいないのでしょうか?
そんな私の疑問をよそに、奈緒ちゃんが軽やかな足取りで倉庫に近づいていきます。
「見学するんでしょ? 早く行こ、しえらっ」
「あ、まっ、待って奈緒ちゃ……」
奈緒ちゃんの伸ばした手を取ろうと一歩踏み出したその時、反対側から歩いてきたもう一つの人影が目に留まりました。
「……あら? 先客がいたのね」
私にとっては、とても、とても意外な人物でした。
「わ、寂沢さんじゃん!」
寂沢スピカちゃん。我らが一年B組の、お姫様です。
私が勝手にそう思ってるってだけじゃありません。入学から僅か一週間の間に、彼女はクラス一の人気者という地位を確立してしまったのです。まさに本物のスター。
そんな彼女が、輝く星の名前を持つ彼女が、まさか天文部に興味があるだなんて。
「苗字の方じゃなくて、スピカって呼んで。気に入ってるの」
二つ結びの片方を手先でさらりと靡かせてから、さらりと彼女は言いました。
苗字が気に入らないんじゃなくて、名前の方を気に入ってるんだ……。
「おっけー、スピカっ。アタシも奈緒でいーよ。スピカも『ここ』の見学?」
「ええ」
自身と余裕に満ち溢れた柔らかい微笑みを浮かべながら、ひたすら優雅にスピカちゃんは答えます。奈緒ちゃんとはまた別の、人を引きつける魅力を感じずにいられません。
「入部届ももう書いて持ってきてあるの。私には『ここ』しかないと思ったから」
「にふふ、奇遇だねー。実はアタシもなんだぁ」
「……ふぇっ?」
スピカちゃんはともかく……奈緒ちゃんまで?
――だからね、しえら。アタシに、星のこといっぱい教えてほしーんだぁ。
嬉しい。すっごく嬉しいよ。
奈緒ちゃんが天文部に入部するほど星に興味を持ってくれたなんて。
これからは、放課後も一緒にいられるんだ!
「それじゃ早速入ってみますかぁ、このアヤシー雰囲気の倉庫にぃ。オバケとか出ないかなー? 出たら嫌だなぁー?」
「へ、変なこと言わないでよね。いるわけないじゃない、オバケなんて」
スピカちゃんは強気にそう言いながらも、しっかりと私の後ろにつきます。
……怖いのダメなのかな。
「失礼しますっ」
「し、失礼しまーす……」
奈緒ちゃんに続き、真っ暗な倉庫の中へと恐る恐る足を踏み入れます。
「うひー、真っ暗」
換気用に取り付けられている窓なんかも見当たらないし、入ってきた扉から差し込む光も、木々や日当たりの関係で倉庫の奥の方までは照らしきれていません。
吸い込まれるような暗闇に、奈緒ちゃんと出会ったあの夜を思い出します。
泣きながら、わけもわからずに走って転んだ、真っ暗闇の夜の中。
「一年か」
心臓が止まるかと思いました。
暗闇の奥からいきなり低い声が聞こえてきたのです。
「すまん、寝てた。部長は今出払ってる。あー……悪い、そっちの壁にスイッチがあるから、電気を点けてくれるか」
私もスピカちゃんも驚いて固まっていましたが、唯一奈緒ちゃんだけが何事も無かったようにてくてくと隅まで歩いて行き、スイッチを探して電気を点けました。
蛍光灯一本分のささやかな明かりでしたが、暗闇を照らすには十分過ぎました。倉庫の隅の壁に、眠そうに目を擦る先輩と思しき男子生徒の姿があります。
「おはよーございます、レイ先輩!」
ふにゃりと頬を緩ませながら、こっちまでつられて笑顔になっちゃうような満面の笑みを咲かせる奈緒ちゃんの顔も一緒に照らし出されます。
同時に、彼女が呼んだ名前で私も思い出しました。
初めて聞く声じゃありません。この人の声は、前に一度、天文台で聞いています。
『真っ暗闇の夜の中』
低く、重く、でもしっかりと芯の通った太い声。
見上げるような長身をさらに伸ばしてあくびをするこの先輩は、レイさんと呼ばれていたプラニスのメンバーです。
「おはよう。俺のこと、知ってるのか」
「はいっ! アタシ、プラニスの大ファンで!」
「そうなのか、ありがとう。しかし、先輩だなんて呼ばれるのはむず痒いな……」
「じ、じゃあ、レイさんってお呼びしてもいいですかっ?」
「ああ、別に好きに呼んでくれ。っ……ふあー……よく寝た。背中が痛い」
何というか、その、温度差のある会話です。
隣で一緒に固まっていたスピカちゃんもだんだんと落ち着きを取り戻してきたのか、二人の会話を少し呆れたような顔で見守っています。
「ええと……三人か。みんな入部希望ってことでいいのか」
「はいっ!」「ええ」
肯定の返事をシンクロさせる、奈緒ちゃんとスピカちゃん。私一人だけ出遅れて何も答えられずにいると、先輩と目が合いました。
眠そうな半開きで、それでも鋭く、見定めるような視線。
「……まあいい。もう少ししたら部長が大量の新入生でも引き連れて戻ってくるだろうから、それまで適当に寛いでいてくれ」
さっきまで自分が寝ていたパイプ椅子を並べ直しながら、レイ先輩はまたひとつ大きなあくびをしました。ステージで見た時の寡黙でクールな印象とは全く違います。
……ステージと、いえば。
あの、と二人の制服を引っ張って、私はずっと気になっていたことを尋ねます。
プラニスのメンバーである先輩がこの場所で寝ていた意味を考えれば、そして倉庫に置いてあった「それら」を見れば……もはや聞くまでもないようなことを。
「ここって……もしかして、天文部じゃな」
「ウェーーーーイ! たっだいまーーーーッ!」
「ぴっ」
答えを聞くより先に、猛獣の吼えるような爆音が背中を襲いました。
「って、うおお三人も来てる! やるじゃんレイ、成長したな!」
「いえ、俺は寝てただけ……まあいいか」
おそるおそる顔を上げた先にあった奈緒ちゃんの瞳は、いつかのようにキラキラと輝いていて……それで私は、察せざるを得ませんでした。
ああ、私。またやっちゃったんだな、と。
「みんな、ようこそ天音部へ! 歓迎するぜ!」
元気いっぱいの大きな声でそう言ったのは、奈緒ちゃんの憧れの人。
チャライオンのレグさんだったのです。
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