第5話 プラニスフィア、です
「その……プラニス? っていうのが、バンドの名前ですか?」
「うん。プラニス……『
奈緒さんはうっとりとした口調で、憧れのバンドメンバーへの愛を語り出します。
涙でメイクが落ちちゃったのが恥ずかしくて前の方には行けないとのことでしたが、これだけ距離が開いていても、奈緒さんの瞳にはレグさんとやらのお姿が焼きつけられることでしょう。
私の星に対する想いと同じような、純粋で胸いっぱいの「好き」が、奈緒さんの言葉からは溢れていたから。
「ライブは毎回必ず晴れの日、星が綺麗に見える夜になるんだ。不思議だよね、日程は一ヶ月以上も前から告知されるのに、今まで一度も天気が崩れたことないんだって。だからこうやって月に一度、天文台に集まったお客さんたちはね?」
奈緒さんが、まだ真っ暗なステージの方を指差します。
「ライブと」
続けて、空を。
「星を見るの。素敵でしょ?」
誘われるように見上げた私の視界を、
満っっ天の星々が、埋め尽くしました。
「綺麗……」
今度は、今度こそ、私の見たかった夜空。
一人じゃない、誰かの隣で、見ていたかった星空。
持ってきた望遠鏡は組むまでもありませんでした。こんなにも、夜空が近いなんて。
「彼らはね、星の邪魔をしないんだ。ステージの照明も、音響も、最低限。あくまで主役は星なの。元々はレグさんが早見島の星の綺麗さを広めるために、天文台に沢山の人を集めようとしたのがきっかけなんだって。イケてることするよね」
「……はい」
プラニスフィア。
私は、その英単語の意味を知っています。
星座……早見盤。
奈緒さんの言う通り、バンドの人たちは、星が好きで、早見島のことが好きで、たくさんの人にそれを知って欲しくて、音楽をやっているんだと思います。
思い込みと偏見でアシザマに見下していた自分が、途端に恥ずかしくなりました。
「ま、まあカッコイイレグさんに釣られてライブ目当てで通い詰めちゃってるアタシが、こんな偉そうなこと言えないんだけどねっ! にははっ」
恥ずかしそうな奈緒さんの笑い声。
「……だからね、しえら。アタシに、星のこといっぱい教えてほしーんだぁ。しえらが大好きなもののこと、アタシももっとよく知りたいから」
不思議でした。
星明かりだけが照らす暗闇の中で、その表情はよく見えなかったはずなのに。
奈緒さんの満面の笑みが、私まで笑顔になっちゃうくらいにハッキリ見えたのです。
「はいっ。私も、奈緒さんの大切なもの、もっと知っていきたいです」
「にふふっ、ありがとっ! しえらっ」
情けないなりの決意表明をした、その時。
ステージの周りのざわつきが、一層大きくなりました。
「きたっ!」
奈緒さんは興奮して身を乗り出しますが、正直ステージの上は暗くて人影すらろくに見えません。目を凝らしているうち、だんだんと喧騒は落ち着いて……一瞬、何の音も聞こえない本当の静寂が現れました。
「……真っ暗闇の夜の中」
その静寂に落とされた、マイク越しの男の人の低くてクールな声。
「空には星の明かりだけ」
続けて、ちょっとハスキーだけど、よく通った女の人の声。
「隣の顔も見えなくたって、みんなで歌えば怖くないよなっ!」
最後に、太陽みたいに明るく元気な男の人の声に続いて。
人ひとり分の明かりが三つ、ステージの上で控えめに咲きました。
「……ふぇっ」
照らされた顔を見た私の口から、思わず間抜けな声がはみ出します。
「今夜もオレたちプラニスフィアのライブにようこそ。楽しんでいってくれよな!」
チャライオンです!
ギターを構えて立っていた男の人は、さっきのチャライオンの人だったのです!
「キャーっ! レグさーんっ!」
そしてさらに衝撃の事実です。
奈緒さんが黄色い声を向けるチャライオンの人こそ、彼女の憧れる「レグさん」その人だったのです。
何というジーザスでありガッデムでしょうか。色々と思考が追い付きません。
「ラン様ぁーっ!」
「レイ君、こっち向いてぇ!」
ステージの前に群がる心麗しき乙女の方々の歓声が、マイクを通した三人の声よりも大音量で夜の公園に響き渡ります。
「……しィーっ」
しかしそのワンアクションで、声援は一気に静まり返りました。
チャライオン、改めレグさん……きっと彼が、バンドのリーダーなのでしょう。
「夢から覚めちゃ勿体ないぜ。夜はまだまだこれからだ」
ちょっぴりキザな台詞と、子供みたいな笑顔。奈緒さんが魅了されるのもわからないでもないです。チャラ男は虫とかカエルとかよりも苦手なので、困ったことに共感まではできないのですが。
レグさんは、隣でおっきなギター? を掲げている全身真っ黒な服装のお兄さんと目配せをし、続いて後ろに座っている美人のお姉さんに向き直りました。あの人たちもみんな高校生? すごく、オトナな感じです。
三人はそれぞれ、コブシを握った手や、指先、ドラムのバチで、真っ直ぐに天を差しています。
「今日も星が綺麗だな。いい夜にしようぜ。一曲目ッ、聞いてくれ!」
それを合図に、カチ、カチ、と打ち合わされるバチ。
瞬間で、私の世界は音に呑み込まれました。
真っ暗で、静かだった、田舎の夜の闇の世界に。音楽が満ちたのです。
それはまるで、光ではない彩り。
「わぁ……!」
私は正直、音楽のことはよくわかりません。
彼らが上手いのかもそうでないのかも判断がつきません。
奈緒さんには悪いですが、耳にした瞬間感動したとか、人生観が塗り替えられたとか、そういう劇的な衝撃を体験したわけでもありません。
でも、見上げた夜空には。
音楽に合わせて我こそはと輝いて、お祭り騒ぎをしているかのような星々が、無数に煌めいていたのです。
いつもと同じ、藍の空と白い星のはずなのに、それはまるで七色の光のようで。
これが私が見たかった星なんだと理解するのに、時間は要りませんでした。
見える。いつもよりも鮮明に、いつもよりも輝いて。
音色に包まれて楽しそうに踊る星々をひとつひとつ指差しながら、私は夢中で奈緒さんに春の星の名前を教えます。
七つ星の柄杓、北斗七星。最初はいつもあなただね。
取っ手の先にカーブを伸ばせば、勇ましい珊瑚色の旦那様、うしかい座のアークトゥルスに、淑やかな真珠色のお姫様、おとめ座のスピカ。二人の間に、可愛らしいライオンのしっぽ、しし座のデネボラ。三つ結べば、春の大三角。
三角の示す先には、しし座の一等星。王様の星、レグルス。
「あれが、レグルス……名前しか知らなかった。ううん、きっと、今までちゃんと知ろうともしてなかったのかも」
届かない星に手を伸ばす奈緒さんの、愛おしそうな声。
「にふふっ。やっぱり今日、しえらと会えて、一緒に星を見られてよかったぁ」
それは、私もです。
答えようとした言葉は、けれど言葉にならなくて。
せっかくの星が滲んでしまわないように、私はプラニスフィアの奏でる音楽に耳を傾けることにしたのでした。
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