第一章・第三節
//第一章・第三節//
“死にかけだった”
イゾウはそう言っていた。
その響きは自分という存在とは無関係だと感じてしまう単語だった。
イゾウは四年前、当時の状況をロヴィに説明した。自分がある日とある目的で迷鉱に潜ると、見たことのない機械のようなものを発見したこと。そしてその傍には頭部から血を流した少女が倒れていたこと。少女の息はか細く、今にも命の灯が消えかかっていたこと。急な出来事だったので自分が連れ帰って保護したこと。なんやかんやで面倒を見ることになり、少女が混乱しないように偽りの過去を伝えていたこと。今までロヴィにひた隠しにしてきた事実を、全て包み隠さずに伝えた。
ロヴィはイゾウから聞かされた話を直ぐに鵜呑みにすることはできなかった。自分はイグナスの地に産まれ、イゾウに育てられてきたと思っていた。そう伝えられてきたから。しかし、彼女自身イゾウのログハウスで目覚める以前の記憶が無い。
少なくとも自分を誤魔化して生きてきた。
イゾウにそう言われてきたから、周りがそう扱ってきたから。
自分の内に湧いて出る疑問を全て見ぬふりをしてきた、気づかぬふりをしてきた。
そうしなければ不安で押しつぶされそうになったからだ。
ただ、今は違う。
少なくとも知ってしまった。
疑問を抱いてきた自分を見つけてしまった。
自分の知らない過去の自分がいる、それを自覚してしまったロヴィは何かに押しつぶされそうな感覚に陥っていた。
「イゾウ、私は誰なんだ?私は・・・」
言葉が続かない。これ以上口にしてしまうのが怖いのだ。
「だって、だって私はイグナスで生まれて、事件に巻き込まれて・・・親戚のイゾウに預かってもらったって。そう聞いて・・・っ!」
自分が知る“ロヴィ”は本物ではなかった。周りが作り上げた虚構の“ロヴィ”だった。それが悲しかった。今の私は本当の私ではない、そんな不安がロヴィの脳内を巡る。それは突然 “ニセモノ宣告”を突き付けられたような感覚だった。
「ここでって・・・だって、そしたら私は一体・・・」
すくなくとも“地上の普通の人たちとは違う”
そんな事実を突きつけられてしまっては、もう何も考えられなくなってしまった。と同時に、急に周囲の闇が恐ろしい物に感じられた。ロヴィは咄嗟に身を守るようにしゃがんでしまう。自らが体を震わせる微かな音だけが迷鉱には響いていた。
「なーに辛気臭い顔してんだよ」
ペチン、と子気味のいい音が迷鉱内に響きこだまする。
「っつ~・・・何するんだよ!!」
ロヴィは反射的に顔をあげて抗議する。その悲痛にも聞こえる怒号は不気味なくらい闇へと吸収されていった。
「お前さんが今にも潰れちまいそうな顔してたからだろうが」
「うるさい!!だって、こんなのって・・・どうしようもないじゃないか・・・っ」
ロヴィの悲痛な声が漏れる。あまりにも儚げなそれはイゾウが初めて耳にするロヴィの声だった。
ロヴィは自分の体を抱き寄せるようにして震える。
「なぁ、イゾウ、私は誰だ?私はロヴィなのか?それとも、今私としてここにいるものは・・・」
「別に誰でもいいじゃねぇか。」
あっさりと男は答える。ロヴィは思わず面食らってしまった。
「俺は元気で明るい・・・元気すぎてうるさい、そんなお前さんしか知らん。探鉱夫に憧れて必死に訓練してきたお前さんしか知らん。飯作るのが苦手なくせに食い意地はもの凄いお前さんしか知らん。」
ロヴィは自分に背を向け言葉を紡ぎ続けるイゾウから目が離せなかった。自らを抱く腕に自然と力が入る。
「どれも全てお前さんだろう。紛れもない“今ここにロヴィとしている者”、それでいいじゃねぇか」
「・・・」
ロヴィは呆けてしまった。
いや、何も言い出せなかった。
ロヴィ自身が憂慮し答えを見出せなかった問いに、あっさりと決着をつけられてしまった。
それがさも当然といったような様子で。
そして、イゾウはそれでいいと言った。今のままでいいと。私は、私であってもいいのだと。そう断言した。
( イゾウ・・・ )
イゾウは今まで嘘をついてきた。ロヴィに嘘の過去を教え、今の偽りのロヴィを生み出した。そして、それはロヴィにとってはいつになろうと偽りのものでしかないのだろう。
しかし、イゾウの中では“それこそがロヴィ”だった。
例えイゾウが知らないロヴィの過去があっても、迷鉱でただ拾ってしまっただけの謎の少女でも、イゾウは“共に過ごしてきたロヴィ”を本物のロヴィとして認識してくれていた。
受け入れてくれていた。
ロヴィにはそれだけで何か救われたように思えた。
「今の私でいい・・・か。そうだな、今はその言葉に甘えさせてもらうことにするよ」
「そうかい」
イゾウはやはりこちらに向くことはなく、闇の向こうをと捉え続けている。
「はぁ、なんだか不思議な気分だな。私は私で、そして私じゃない。でも、イゾウにとって私が“今のロヴィ”なのであるなら・・・それでもいいのかなって思えるな」
ロヴィは不思議と笑みを浮かべながらそう言った。何かが吹っ切れたような、清々しい笑顔であった。
「気は済んだのか?」
ロヴィにはイゾウの顔は見えない。しかしこんなときでも相変わらずの仏頂面をしているのだろう、とロヴィは何となく感じるのだった。そしてそんな結論を出したロヴィは意地悪そうな笑みを浮かべながら言う。
「えー、もうちょっと慰めてくれてもいいんだぞ?な、イゾウ!!」
「うっせ、やっぱまだ泣いてろ。その方が静かで助かる」
「んな、なにおう!!」
ロヴィはすっかり元の調子を取り戻していた。相も変わらずとりとめのないやり取りが繰り広げられていく。
それは二人にとっての“いつも”で、それは“今のロヴィ”しか知らないものだった。
そしてイゾウに軽くあしらわれながらもロヴィは心の奥底で小さな灯を照らす。
決意という灯を。
( 私は本当の私を知りたい )
ロヴィの視線はしっかりと闇の奥を見据える。彼女の全てを知っているであろう巨大な敵を。そして今度こそ自らの内に存在する疑問に決着をつけるために立ち上がる。迷鉱という巨大な存在に挑むという覚悟は十二分にあるようだった。
「取り敢えず解ったことは二つだ。一つはこの“乗り物”は迷鉱の奥から来たってこと。もう一つは俺たちの世界、この世界の技術力では到底考えられないほど高度な造りをしているということだな。」
件の乗り物によじ登っていたイゾウがそんなことを言った。
ロヴィは怪訝な面持ちで質問を投げかける。
「迷鉱の奥から来た・・・ってどういうことだ??」
イゾウは乗り物の方を見ながら続ける。
「そのまんまだ。こいつはどの町から送られてきたもんでもない。こいつが通った痕跡はここよりも浅いところには見つけられなかった。そして何より、こいつの残骸であろう部品やらが奥の方まで散らばってやがる。つまりこいつは少なくとも“ここよりは深いところ”から・・・そうだな、“浮上してきた”とでも言うか、つまりはそういうことだ」
「なるほど、興味深い・・・」
ロヴィが両手を組み首を縦に振る。本当に感心しているのか、或いは知的アピールを存分に振りまいているのかは判断しかねるが。
「無理して頭良さげにしなくてもいいんだぞ?」
どうやらイゾウの見解は後者のようだ。
「失礼なっ!本当に気になってるんだぞ!!」
ロヴィは地団太を踏みながら必死に反論した。その姿が返って“なんだかアホっぽく見える”ことに彼女が気付いているのかは知る由もない。
そんなロヴィの相手は片手間に、イゾウはもう一度乗り物の方を注視する。有機的な迷鉱には不釣り合いな人工物。迷鉱の奥からやって来たであろうそれは、いったい何の目的があったのか。敵から逃げる、物資の運搬、とにかくどれも想像の域を出ない。
そして奥の方から続いている足跡の歩幅からして、かなりの速度で動いていたことがわかる。この巨体で、だ。更に、迷鉱内は単純に一本道というわけではない。地面の起伏はさることながら、幾多にわたる分かれ道や急な曲道、上下に分断されていたりと地形はかなり悪い。その中をここまでの速さで駆け巡ることが果たして可能なのか、これまたイゾウには想像がつかない。そして何より驚かされるのが、“乗り物の内部に燃料機構が見当たらない”ということだった。
いくら高度な技術が使用されているからとはいえ、基本的な構造は通常の乗り物と同じだと推測できる。だが外部の装甲の厚さや内部の空間の広さからして燃料構造があるとは到底考えられない。イゾウ達の常識では測れない燃料となる物質が使用されているのか、はたまた外部に接続する類の燃料機構が途中で外れてしまったとも考えられるが、そうだとしても驚きの持続力である。イゾウが思慮にふけっていると、ロヴィが足元の鉄くずを拾い上げながら言った。
「でも、私がここに倒れていたってことは・・・私がこれに乗っていた、っていうことになるのか?」
ロヴィは手の中の鉄くずをいたずらに転がす。
「いや、それもまだ可能性の域を出ん。まぁ、それが一番納得のいく考察なんだがな。だとしたらなぜお前さんはこんなものに乗っていたんだ?どこから来た?どうやってここまでこれたんだ?」
「いやいやいや!待て、待ってくれ!そんなにまくしたてられても私にわかる訳ないだろう!」
「すまん、それもそうだな。だが一番気になるのは“奥から来た”ってことだ」
イゾウはロヴィの手の中にある鉄くずを取り上げ見つめる。
「そもそもこっから先の中層からは瑛素が薄くなっていく。そんな状況下で深生物以外が長時間普通に活動できるとは思えん。ましてやこんなでか物すっ飛ばしてくるなんて訳が分からん」
迷鉱がなぜ長い間踏破されていないのか、それは迷鉱という場所が果てしなく危険な環境であるからだ。迷鉱内では深部に潜るにつれ、空気中の“瑛素”が薄くなっていく。瑛素はこの世界でイゾウ達や地表の生物が生きていくためには必要不可欠なものだ。故に空気中の瑛素が減少すると心身に異常をきたしてしまう。軽度の症状としては軽い頭痛や眩暈、中度の症状としては吐き気や手足の痺れ、血涙等がある。重度の症状ともなると、気道の収縮に伴う呼吸困難や身体の欠損、幻覚や意識の喪失といったものにまで至る。それ故に航鉱に旅立ってから消息を絶った探鉱夫は少なくない。ましてや迷鉱の深部ともなると、生きて帰れるだけでも奇跡的なことなのである。
目の前に転がっている”乗り物”はそんなところから来た、それの意味するところとは。
「取り敢えず、今この状況で調べられるだけのことはやった。この先はイグナスに帰って報告してからだな」
イゾウは手に持っていた鉄くずを保存用の袋に入れる。よく見ると袋には“なまもの”と書いてあるのだが当の本人はまったく気にしていない様子だ。
「なら早く帰ろう!私はもう色々あってお腹が減って仕方がないんだ!」
ロヴィはお腹の辺りをさすりながらむくれいていた。きっと何事もなかったしても彼女の腹は同じように呻き声をあげていたのだろう、とイゾウは思う。
「もうその辺の岩でも食っとけよ・・・」
イゾウは足元に転がっていた握り拳大の岩をロヴィの前に突き出す。ちょうど芋くらいの大きさだった。
「んなっ・・・岩が食べれたら私は困ってないぞ!!」
ロヴィはイゾウから差し出された岩を奪い取ると適当に放り投げた。ロヴィから放たれた岩はしばらく宙を舞うと、ガイン!という音を立てて“乗り物にぶつかってしまった”。
「おい!何してんだ!」
イゾウはロヴィの頭を思いっきりはたき倒すと“乗り物”の方へ近寄っていく。
「っつ~・・・」
件の実行犯ロヴィははたかれた頭を押さえてうずくまってしまった。割と本気の一撃だったので相当響いているのだろう。
そんなロヴィを気にもせず、イゾウは“乗り物”が破損していないかを確認する。元々ボロボロではあるが、貴重な調査対象としてこれ以上傷が付くことは許されないのだ。
イゾウは音が聞こえてきた“乗り物”の後部を念入りに確認していく。ライトで照らして傷や陥没が無いかを確認していく。例え硬度の高い未知の技術が使用されているからと言って、万一の可能性があっては困る。イゾウは一通り周辺を調べ、無事を確認したところで再びロヴィに説教をするために立ち上がろうとして
見つけた
見つけてしまった
“真っ赤な髪の毛の束のような物体を”
「・・・・・・あ?」
なんだこれは?
そして、イゾウは“それ”に心当たりがあった。
心臓が跳ね上がる。
鼓動が音を立て加速する。
イゾウは震える手を押さえつけながら“それ”を拾い上げた。ゆっくりと、そして丁寧に。拾い上げた髪束の様なものからほろりと何本かが零れ落ちた。しかし、イゾウはそれを許さない。
まるで大切な宝石を掬い上げるかのように、一本残らず手の中に掻き集める。
「イゾウ?」
返事はない。
「おい、イゾウ?」
ロヴィの声は闇の中へと消えていくだけだ。
「イゾウ!聞いているのか!?」
イゾウの肩がビクッと反応する。
「あ、あぁ。すまん・・・」
イゾウは手の中のものを見つめていた。穴が開くほどに。ライトに照らされて輝く“それ”は真っ赤に、深紅に、紅蓮に燃えていた。血よりも炎よりも赤い“それ”はイゾウのよく知っているものだった。飽き飽きしてしまうほどに見てきたものだった。ずっと自分の傍にある“はず”のものだった。
( なんで・・・なんでこんなところに?だって、これは・・・ )
「イゾウ?」
ロヴィの手がイゾウの肩に触れる。彼は反応しない。ただただ手元を見つめているだけだ。ロヴィは視線をイゾウの手元に移す。そこには、“真っ赤な髪の毛の束のような物体”が握られていた。
そ
・
れ
・
は
・
そ
・
れ
・
は
・
大
・
事
・
そ
・
う
・
に
・
「なんだこれ?・・・髪の毛、か?」
イゾウは答えない。
「それにしても綺麗な色だな、まるで宝石みたいだ」
イゾウは答えない。
「イゾウ、これが何か知っているのか?」
イゾウは
「あぁ・・・心当たりがある、いや、心当たりしかねぇ。けど、それはありえないんだ」
ロヴィは首をかしげた。イゾウにしてはやたら遠回りな言い回しだと思ったからだ。咄嗟に感じる違和感。あのイゾウが震えている。それは恐怖なのか、感動なのか、憤りなのか、ロヴィには全く分からない。
突然イゾウが立ち上がった。
傍にいたロヴィは思わず尻餅をついてしまう。鈍い音が迷鉱に響き渡る。イゾウは何も言わないまま荷物がある方へと近づいて行った。
ロヴィは無意識の内に、その背中に言い知れぬ恐怖を感じていた。背中で語るとはこのことを言うのだろうか、とロヴィは思う。
「帰るぞ」
イゾウは一言だけそう言った。
「え、あ、あぁ」
ロヴィは戸惑いつつも立ち上がり、荷物を整理し始める。
今のイゾウは少し怖い。そう思った。
ロヴィはできるだけイゾウの方を見なくてもいいように、バッグの中を執拗に確認し続ける。意味のないことだとわかっていても、彼女の手が止まることはなかった。今のイゾウは見たくないから。
ロヴィは恐る恐る尋ねる。
「えっと、もう、いいのか?」
しばらく間があった。空気が重くなっていく。闇が強調される。ロヴィは失敗したと感じた。
するとロヴィの頭にポン、とイゾウの手が置かれた。
驚いて見上げるロヴィにイゾウは答える。
「あぁ、やらなきゃならんことが見つかったからな」
その声色は重く、鋭くのしかかった。イゾウの瞳は狩りをする野生生物のそれだった。しかし、その顔には一切の笑みが無い。無機質で感情のない、人のものとは思えないものだった。
ロヴィは察する
( あぁ、迷鉱が嫌いなのがよく伝わってくるよ )
けれども
( そんな顔、私の前ではして欲しくなかったな )
イゾウは歩き出す。ロヴィも遅ればせながら付いていく。獰猛な顔の男と寂しげな顔の少女。此度の航鉱で二人は決定的に何かが変化した。それが希望への光なのか、破滅への道なのか知る由もない。
それぞれの思いを胸に馳せ、二人は帰路へと立った
迷鉱の闇は二人を見送る。
いや、見逃しただけかもしれない。
To Be Continue>>
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