魔法の動力

ポンチョの縞馬

ギフト

 いつもはひたすらに待ち遠しいグエリダン工場の終業を告げるブザー音が、今日の俺にはどうしようもなく憂鬱だった。周囲に満ちていた機械音が収まり、すぐに従業員たちの口から一層大きな喧騒が溢れ、やがてそれも静まって。ようやく俺は、未練がましく増殖槽に突っこんでいた両手を緩慢に引き抜いた。ヌラヌラと光沢を放つ緑色の粘液に塗れた遮断グローブを、慎重に足元の清掃プールに浸す。音もたてずに洗浄が始まり、少しずつ消えていくその粘液の中に、何かが見えはしないかとしきりに目を凝らしたが、何一つ普段と変わらないままあっけなく洗浄は終わった。二の腕の固定具が外れ、支えを失ったグローブはそのままプールに沈んでいく。半日ぶりに対面した両手を、俺はしげしげと眺めた。

 疲れた手だ。増殖槽に魔力を文字通り、骨の髄まで吸い取られていて、肌は破れてところどころ血がにじみ、爪先は余すところなくひび割れている。それに加えて工場がグローブの材質一つにつけても金をケチるお陰で溶液の色が移ってきて、今じゃ指先から肘まですっかり緑色だ。世間じゃこういった事をコスト削減と持て囃すらしく、利益向上の̚カドで工場長は本社から勲章を貰った。昼の休憩時間の放送はずっとその話ばかりで、耳にタコが出来てしまった。とは言え、口で何を言おうが本社で働く聡明で高貴な正規の魔法使いサマ連中にそんなセコいやり口が真実認められるはずもなく、彼らは誰一人この工場に寄り付かない。そのお陰で俺のような落ちこぼれのエセ術師にも雇ってもらえる余地が生まれるわけだが。

 それも、今日で終わりだ。

 千とんで九十五日。三十六か月。三年。

 グエリダン工場は俺のような非正規の術師との契約期間を厳格に丸三年と定めている。びた一日とてまからない決まり事。そして通常、再雇用の見込みはない。世の中には、自らに宿った僅かな神秘を端金で売り渡したいという俺のようなバカ野郎がゴロゴロしていて。増殖槽でブクブクと育つ不気味な魔法生物に三年間その神秘を吸いつくされた出汁ガラ――俺の事だ――を再雇用するよりも、そういうバカを新しく雇った方がよっぽど効率が良いのだ。

 もちろん、何事もそうであるように、この話にも例外がある。俺と、俺に準ずるバカの集団が一生懸命育てているこの白い魔法生物は、溶液に注ぎ込まれる魔力を体内に吸収し、卵のような臓器の中で結晶を生み出す。通常ならば結晶はその臓器に直接繋がったチューブへと排出され、イカレた研究者の発明品や怪物みたいな戦艦を動かす燃料として出荷されていくが、しかし。

 時折俺たち出汁ガラの中に、その魔力結晶を吸い寄せてしまう奴が現れる。臓器の中で生み出された結晶を、チューブではなく体外に排出させてしまう奴が。そいつらの魔力には磁力のような性質が宿って、増殖槽が必死に指から吸い取った魔力を引き寄せてしまうのだ。この力は、生まれた時から持っているものでもないし、何日間この仕事をしたからと言って身に付くものでもない。だが逆に、何歳までに目覚めなければ見込み無し、というワケでもない。年端のいかない若造が勤務一週間でそうなったこともあれば、戦争で片腕を供出した死にかけの爺さんが最後の出勤日にそうなったこともある。俺たちはこれを、ギフトと呼んでいた。普段精も根も尽くして育ててやってる魔法生物からの、気まぐれな贈り物だ。

 例外と言うのは、このギフトだった。ギフトを得た術師は、年齢経歴に関わりなく本社栄転。月末の支払いに怯える事もなくなり、このドブのような街を抜け出せる。俺が居た三年間で、その幸運を掴んだのは三人。三百人以上が働く工場で、毎月のように人が入れ代わり立ち代わりしながら、ギフトを得たのはたったの三人。賭けるには分が悪い。そんな事は分かってた。それでも、毎日毎日魔力を吸われ、欠乏症で震える体に安物の促進剤を流し込みながら、俺は心のどこかでそれを夢見ていた。いつの日か、槽から引き抜いた俺の手に、あの気紛れな虹色に輝く結晶のかけらが握られている日が来ると。

 それも、今日で終わりだ。全部終わり。来月から何をして食っていこう。魔法は当分使えまい。どこかの店先で小間使いでもやるか。近くの森の樵に話を聞いてみるか。

 何の展望もないまま未来のことを考えていると、何の前触れもなく周囲が闇に包まれた。照明が消えたのだ。これも工場長の行う“コスト削減”の一環だった。終業時間から三十分で強制消灯。ある日なんか工場のノルマに遅れが出て、みんな残業中だというのにお構いなしで光が消えてしまったことがあった。ときおり増殖槽に魔力の光が走る以外は真っ暗闇。そのうち誰かがクスクスと笑い出し、その笑いが伝播して、気が付けば俺たちは工場が揺れるほど笑っていたのだった。何がおかしかったのかは未だにわからない。

 その時のことを思い出してみたら、今度はなんだか泣けてきた。心が弱っている。だが、治す術はない。虚しさを背負いながら、俺はやっとの思いで立ち上がった。まあいい。ともかく帰ろう。そして、酒でも飲もう。今日はただ、このクソみたいな仕事におさらばできる事を喜ぼう。明日の事は、明日の俺が考えるべきだ。

 増殖槽が思い思いに光を放つおかげで、この闇の中でもなんとか動くことはできた。俺の担当は第三十七槽。この工場には大小合わせて六十五の増殖槽があり、それらは第一から順番に蛇行して並んでいる。第一槽の先にある出口へ向かうには通路を出てから槽を三つ右へ、そしてそこから更に右に曲がって後はまっすぐ。カランカランと、踏みしめるたび床が軋む。崩れ出すような想像が頭をもたげ、急に不安に駆られて下を向いた。この闇の中で、床が見えるはずもないのに。

 キラリと。何かが光っていた。俺は思わず硬直し、そしてゆっくりと後ろを見た。何も見えない。そのまま頭を旋回させ、正面へ。何も見えない。また、下を向く。

 光っている。俺は猫のようにその光へ飛び掛かった。目測を誤り床のくぼみで思い切り指を打ったが、痛みを感じる余裕もなかった。指先を押し付けて喰い込ませ、慎重に反対側の手のひらへ落とし、舐めるように凝視する。虹のように光る、三片の小さな多面体。間違いなく、魔力結晶だ。

 そしてこの工場で、この事が意味するのは一つしかない。誰かが、俺以外のクソッたれが、ギフトを得たのだ。しかもそいつはその事に気付くこともなく、アホ面を晒して工場を後にした。どっかの槽で零れ落ちたこの結晶は、健気にも愚かな主の元へ帰ろうと引き寄せられて、ここまで動いて来ていたのだろう。あの喧騒の中、この砂粒に気付くのは不可能だ。いや、それどころか。ケチな工場長が消灯していなければ、俺だって気付きはしなかっただろう。降って沸いた幸運に、俺は感極まって思い切り頭を床にたたきつけた。痺れるほど痛かったが、痛みはこれが夢ではない証拠だ。

 魔力結晶は、魔法生物に無尽蔵に魔力を与えてようやく産出する貴重品で、どんなものでも目が飛び出るほど高価だ。俺の手のひらにある、小指の爪の半分ほどしかないこいつらですら、この街なら一年は食うのに困らないはずだ。とんだボーナスを拾ったとホクホク顔で立ち上がりかけた俺の脳に、妖しい閃きが生まれた。

 ギフトを得た術師の魔力は、磁力を帯びる。どんなに小さくても、その磁力は消えず、くっつこうとしてお互いを引き合う。

 つまり、この結晶のうち一つを俺の体内に潜り込ませれば、残る二つのかけらは俺の体と引き合うはずだ。そしてその様を工場長に見せれば、どうだ?

 俺がギフトを得たと、工場長は判断するはずだ。そうなれば。

 本社栄転だ。

 自分でも、馬鹿な考えだというのは分かっていた。本社はプライドの高い魔法使いの巣だ。素性の知れない下賤の術師を迎え入れることに好意的なハズはなく、当然その審査は俺の想像をはるかに超えて厳しいものだろう。真にギフトを得たものでなければ、到底潜り抜けられるはずがない。それでも、俺はその夢に酔った。

 やるならば、今しかなかった。明日になれば、夢が醒める。馬鹿な賭けなどせず、そのまま売ってしまいたくなる。なにより、本物のギフトを得た術師が工場に来てしまう。そうなれば、この結晶がそいつに吸い寄せられて一発で発覚するだろう。今しかない。今ならば、横の小屋に工場長が残っているはずだ。

 やる。やってやる。決断し、俺は三つの結晶の中で一番大きなものを右腕の裂傷の中に押し込んだ。結晶に触れた肉が痺れ、すぐにジクジクとした嫌な痛みに変わったが、構わず治癒の魔法を掛ける。もうずっと唱えていなかったので不安だったが、なんとか機能してくれたようで、傷口はとりあえず塞がったように見えた。手のひらに残った二つの結晶を無くさないように慎重に、俺は工場を出て小屋に向かった。

 小屋の分厚い扉をノックすると、不機嫌そうな工場長の声が響いた。

「入れ」

「し、失礼します」

 思わず声が上ずる。落ち着け、冷静にやれ。

 机に向かっていた工場長は、こちらを一瞥した後鼻を鳴らした。

「なんだ、お前は? ここの従業員か? もう終業時間を過ぎとるぞ。何をしとったか知らんが、さっさと帰れ」

 俺は精一杯驚いた顔をしながら、工場長の前まで行って手のひらを突き出した。

「それどころじゃないんです、工場長! 見てください! お、俺は……俺は、ギフトを得ました!」

「……何?」

 早くも書類に目を戻していた工場長が再び俺のほうを見て、初めて目が合った。立ち上がり、俺の手のひらを取る。胸元から出した高級そうな単眼鏡で、丹念に結晶を見た。

「…………確かに、魔力結晶だ。フン、富籤を当てたな。良いだろう、本社に推薦状を書いてやる」

 マジか。こんなにあっけなく、上手くいくのか。胸の鼓動が高まっていくのを感じた。一体、いつ振りだろう。しかし、それも続く工場長の言葉が聞こえるまでだった。

「だがその前に、魔力探査に掛ける。一週間後だ。空けておけ」

 一週間。そんなに期間が空けば、絶対にバレる。今しかない、今しかないんだ。

「そんなに待てません。俺には今しかないんです、工場長。俺の契約は今日で終わる。明日からはまた根無し草だ。今検査して、今推薦状を書いてください」

 我ながら、無茶苦茶な話だ。本当にギフトを得たなら、そんなに焦る必要が何処にあるんだ? 一週間のんびりと、引越しの準備でもすればいいのに。

 だが、ギフトは嘘でも、俺の必死さだけは本物で。工場長はそれを感じ取ってくれたらしい。心底面倒くさそうに、それでも検査をしてくれた。と言っても、工場長のよくわからない高度な魔法を一瞬浴びただけだが。

「待ってろ」

 そう言って、工場長は手元の機械に魔力を流し込んだ後、先ほどの魔法で知ったと思しき俺の情報を猛烈な勢いで書き記し始めた。名前、年齢、住所、身体特徴。頭部から順番に体内の様子まで事細かに。そして記述が右腕に移り、工場長の手が止まった。

 嫌な予感がした。

「おい、ガザハン。正直に答えろ」

 地の底から響くような声が、俺の名前を呼んだ。顔が見えないのが、ひたすらに恐ろしかった。

「は、はい……」

「お前の右腕に関して、この俺に隠している事はあるか」

「あ……あ……」

 ある。だが、言えなかった。隠し通せると思ったのではなく。正直にそれを伝えるには、俺は恐怖しすぎていた。

「ありません……」

 俺の言葉が終わるのが速いか、工場長の太い腕が俺の右手を掴んだ。悲鳴のようなものが喉の奥で生まれ、硬直した体に阻まれてそのまま死んだ。

「本当か。嘘偽りはないか」

「…………」

「答えろ! ガザハン!!」

「あ、あ、ありません! 本当に何も知りません!」

 俺の声に、工場長が顔を上げた。奇妙なことに、その顔は笑顔のように見えた。

「そうか……ならこれは本物か……」

 工場長の口から音が漏れたが、俺にはよく意味が分からなかった。

「よく聞け、ガザハン。たった今調べたところによると、お前の右腕には、魔力結晶が埋まっている」

 やはりバレていた。終わりだ。目が潤み、視界がボヤけた。何の歯止めもなく涙は流れ出し、俺は自らの行いを悔いた。

「すいません、工場長……俺は」

「いや謝ることじゃない! お前が、とんでもない逸材だという証だ」

 ……何? 困惑する俺をよそに、工場長は笑い出した。

「まさか、俺が務めている間に見つかるとは……素晴らしい、最高だ」

 よくわからないが、褒められている。工場長の豪快な笑い顔を見ているうちに、俺もなんだか楽しくなってきて笑い始めた。俺たちは小屋の中でしばらくゲラゲラと笑っていた。

 ひとしきり笑った後、俺は聞いた。

「あの、工場長。どういう事なんでしょうか。話が見えないのですが」

「ああ、うむ。そうだな。教えてやろう。だがその前に、地下へ行かねばならん。お前もついてこい」

 そういうと、工場長は俺の腕を引っ張って奥にある階段へと歩き始めた。なんなんだ、この勿体のつけかたは。状況は掴めないが、何故か俺の嘘はバレなかったらしい。

 ずるずると引かれるままに階段を降り、地下室に入ると、そこにあったのは丸い台座だった。

「ガザハンよ、靴を脱いでここに座れ」

「は、はあ……」

 言う通りにすると、工場長が素早く指を動かした。何かの魔法だ。

「ガザハン。お前らの言う“ギフト”を得た術師が何故、本社に行くか知っているか」

 知るわけがない。

「知りません」

「そうだろうな。そもそもギフトとは、魔力の欠乏という問題を解決するために自身の魔力を再び体内へ取り込む能力の事を言う。俺たちはそれをリサイクルと呼んでいるがそれはともかく、そいつらの魔力は、その本体がある限り回収できるのだ。再利用可能な資源と、再利用不可能な資源を同じ場所で収集すると、その後選別するのが大変だし、魔力が本体に引き寄せられる性質上、その体も纏めて管理しなくては意味がない。ここまではわかるか?」

「え、ええ……なんとか」

 今、この男は何と言ったのだろう。資源?

「だから、リサイクル属性の持ち主は本社で一括管理して、魔力を吸い出す。そこで精錬された魔力結晶は消費された後、空気中を漂いながら本体の所に帰ってくる。しばらくすると、また元のように吸い出せるようになる。本来なら一度しか富を生まなかったものが、二度三度と実りを与えてくれる。実に効率的な話だ」

「…………」

 なんだか、気分が悪くなってきた。つまり、何か? 本社栄転とは名ばかりで。彼らは場所を変えて同じことを、何度も何度もやらされていたという事か?

「だが、世の中そううまい話ばかりじゃない。この方法も同じだ。どのような形で魔力結晶を消費しても、そのすべてを回収することはできない。精々二割が良いところ。リサイクルは数が少ないから、それほど莫大な富につながるわけじゃないし、先延ばしにするだけで限界もある」

 ここから出よう。こんなクソ職場に、長居しようと思ったのが俺の一番の間違いだった。たとえ乞食として街で野垂れ死ぬとしても、ここで人間扱いもされずに使い捨て燃料として勘定されるよりよほどマシだ。そう思って立ち上がろうとしたが、したたかに頭を打った。痛みに怯み、思わず上を見る。あるのは先ほどと同じ天井。こわごわと手を伸ばすと、何かに触った。透明だが、何かがある。ゆっくりと手を滑らせると、どうやらその透明な何かは台座から俺の全身を包んでいるようだった。

「どういうことですか、工場長。これは一体何です。俺は一体何に座らされたんですか」

「まあ黙って聞け。これは五年や十年に一度の話じゃないんだ。俺は今猛烈に感動している」

 俺は猛烈に後悔しているよ。台座から何かが染みだしてきた。嫌と言うほど見覚えのある、光沢を持った緑色の液体。

「結局、あの魔法生物ホムンクルスに頼るしかない。一山いくらのクズ術師の魔力を搾り取って、結晶を生産するしかない。そこで、問題が登場する。ホムンクルスを作るには、特殊な素材が必要だ。リサイクルなんか目じゃない。極めて特別な才能。何かわかるか、ガザハン」

「…………」

「他人の魔力を体内で結晶化させる才能だ! お前の体内にあった結晶も、お前が持ち出した結晶も、お前の魔力に起因するものではない。どこからか盗んだか、あるいは偶然手に入れたか。ともかく、あれはお前の魔力じゃない。だが、その結晶は俺の魔力を吸って肥大化していた。わかるか、わかるか! 俺の魔力を吸って、結晶が大きくなったんだ! 才能だ! 全く、素晴らしい! お前の言う通りだ……お前こそが、ギフトだ! 俺への、社会への!」

「…………」

「誇りに思え、ガザハン。お前は、この国に二百とない、『魔力壺のホムンクルス』になる。お前はその腎臓に魔力を蓄えて結晶化させ、美しい魔力結晶を生む。いくつも生む。何人ものクズが、お前にあらん限りの魔力を注ぐだろう。お前は余人が想像も出来ないほどの膨大な魔力をその身に受けるのだ」

「…………」

「今日で三年間の契約が終わりだと言っていたな。とんでもない話だ。お前はここでグエリダンの一員として、生涯世界の為に貢献し続ける。明日からも、末永く。将来への不安も、見通しの立たない未来も、お前とは無縁だ」

「…………」

「おめでとう。そしてさようなら、ガザハン。これからは富を生み出してくれ。その第六十六槽の中で」

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