いろはちゃんと、ふるさと会

かきはらともえ

「お兄ちゃん、聞いてくださいよ」


     ■


 ふるさと会が設立されて、三年を迎えようとしている。

 生徒会に所属している獅子吼ししくいろはは、このふるさと会の設立の経緯を詳しくは知らないが、三年前の生徒会長が一躍したのだと聞いている。

 三年前の私は何をしていたのだろうと振り返るが、あの頃はまだこの小学校に入ったばかりの頃だ。

 獅子吼いろは。

 彼女は極めていい子である。ふるさと会というのは、年に二回行われる行事で、地域のおじいちゃんおばあちゃんを呼んで、一緒に焼き芋を作って食べるというものである。

 秋は焼き芋で、春はピクニックになっている――そういう『ふれあい』である。

 獅子吼いろはは、いい子である。成績も極めて優秀で、授業態度もよく、クラスメイトや先生からの評判もいい。

 そんないい子は、本当にいい子だった。

 このふるさと会で、お年寄りと話をするのが好きだったし、楽しいとさえ思っていた。基本的には純粋で、いい子なのだ。

 年に二回行われるこの行事。その秋の部を終えて、後片づけをしていた。

 この行事の企画立案を行ったのが、生徒会なので、生徒会が中心となって片づけを行うことになっている。

 三年前からのならいである。生徒会書記の獅子吼いろはは率先して後片づけをしていた。

 焚き火で使用した落ち葉には水をかけて、それを大きな袋に詰めて校舎裏にあるごみ捨て場にまで運ぶ。

 これを手伝ってくれるお年寄りもいれば、運動場に座り込んだまま喋っているだけのお年寄りもいる。

 校舎裏にあるごみ捨て場にまできたところで、ひとりのおじいちゃんが膝をついているのを見つけた。

「おじいちゃん、大丈夫ですか?」

 ごみ袋をその場に置いて、おじいちゃんにところに駆け寄った。

 よくよく見ると、辺りには袋が倒れていて、中に入っている落ち葉が散らばっている。おじいちゃんは、弱々しい声で『大丈夫だよ』と、こちらに笑いかける。

 もう七十か八十くらいだろうか。

 わからない。小学生にとって、ある程度すればそれは『大人』であって、ある程度すれば『お年寄り』である。はっきりとした年齢のラインまではわからない。

 よく見ると、足を痛めているようだった。

 獅子吼いろはは、おじいちゃんの腕を肩に回して立ち上がる手伝いをした。当然だが、小学三年生の獅子吼いろはに、そんな力はない。

 いくらお年寄りといっても、相手は大人だ。体重だって、ひと周りもふた周りも上である。

 でも、獅子吼いろはは、一生懸命にこのおじいちゃんを保健室にまで運んだ。

 おじいちゃんも無理をしていた。無理矢理に身体を起こして、足の痛みに耐えて、小学生の少女の好意に甘えた。

 保健室で診てもらうと打撲ということで、大事には至っていなかったのだという。おじいちゃんは転んだということだった。

 心配そうにする獅子吼いろはを見て、おじいちゃんは『大丈夫だよ、ありがとう』と、言った。

 獅子吼いろはは、頷いて保健室をあとにした。

 そのままごみ捨て場に移動して、散らばった落ち葉を袋に片づけて、それをごみ捨て場に捨てた。

 そこでひと言だけ言葉を吐いた。

「許すまじですよ」


     ■


 獅子吼いろは。彼女は小学三年生にして九歳の少女である。

 そんな彼女が、、そんなに時間はかからなかった。

 終わりの会の時間帯、小学五年生の教室にやってきた。

 ランドセルを机の上に乗せて、先生の話を聞いて帰る準備をしている生徒たち。突然教室に這入ってきた獅子吼いろはに視線が集まる。

『どうしたの?』と、先生は訊ねるが、無視してそのまま、教室の真ん中のほうに進んで行って、ひとりの男子生徒をリコーダーで殴った。

 殴った、とはまた違うか。

 突いた、だ。

 リコーダー片手に小学五年生の教室までやってきた獅子吼いろはは、ひとりの男子生徒の顔面に目掛けて、リコーダーを突いた。

 、突然の行動に対応できなかったその男子生徒は仰け反って、床に転倒した。

 倒れた男子生徒を、ひたすら――ひたすら、リコーダーで殴り続けた。


     ■


「……それで、そのあとどうなったの?」

 お花屋さんにいる『お兄ちゃん』は、獅子吼いろはに訊ねる。

 腕を組んで、少女の、獅子吼いろはの話を聞いた『お兄ちゃん』は訊ねた。

「普通に先生たちに止められました。その男の子は泣いちゃいました」

「泣いたって……。その男の子は、小学五年生なんだろう?」

「そうですよ」

「いろはちゃんより年上じゃないか。よく無事だったね」

「男の子なんてみんな馬鹿ですから、楽勝です」

「それは一理あるかもだけど……」

 溜息混じりに言う『お兄ちゃん』。

 このお花屋さんは、獅子吼いろはの通学路ではない。学校終わりにいつもわざわざ、倍以上もある距離を歩いてやってきている。

「それで、いろはちゃんはどうしてわかったんだい? その五年生の男の子が、おじいさんを突き飛ばして転ばせた犯人だって」

「なんとなくです、なんとなく」くるくると回りながら、獅子吼いろはは言う。「この世界はあの変な服着てる奴が好きな。一番怪しい奴が、犯人で間違いないんですよ」

「変な服……ね」友達のことを言われて、少し難しい表情を浮かべる『お兄ちゃん』。「あいつが好きなのも、本当にミステリかどうか怪しいものだけど」

「あ、そうだ」獅子吼いろははランドセルの中から、一冊の本を取り出す。「これ、あの変な服の奴に返しておいてください。おすすめの一冊だって言って渡されたんですけど、一行目で挫折しました」

「友達が迷惑をかけてすまない……」お花屋さんの『お兄ちゃん』は、そういって『九十九十九』というタイトルの小説を受け取った。ぺら、とページを捲り、一行目を読んで苦笑いを浮かべた。「これはしっかりとあいつに返しておくよ」

 それで、と。

『お兄ちゃん』は続ける。

「どうして、その男の子を怪しいと思ったんだ? なにも直感じゃないだろう?」

「そうですね。わたしがどうして副会長が犯人だと思ったのかと言いますと、副会長がお年寄りのことが嫌いだからです」

「そんな理由?」

「これ以上の理由がありますか?」

 生徒会が中心となって行うふるさと会。

 地域のご老人と交流するこの会は、設立から三年目になる。全校生徒で行われるこのイベント。

 あれこれと準備をするために生徒会は集まって話をする。

 このときから、副会長はずっと文句を言っていた。

『意味がない』

『この三周年目を記念に廃止するべきだ』

 と。

 地域のお年寄りから評判のいいふるさと会は、残念ながら廃止にはならず、今年も行われることになった。

 生徒会での話し合いが終わって、各々が教室に戻る最中、副会長が呟いていた言葉を聞いていた。

『老人共が怪我して機嫌が悪くなりゃ評判も下がって中止になんだろ』

 と。これを獅子吼いろはは聞いていた。

 そして後片づけを行うのは生徒会が中心である。ほかは自由参加である。自由参加をするほかの生徒はほとんど限られてくる。

 加えて、助けたときのおじいちゃんの表情を見たとき、少し悲しそうで、何かを取り繕うようなものだった。

 獅子吼いろは。彼女はすぐに見破った。

 のだと。

 だから――『お兄ちゃん』のことも、

「それで、その後、どうなったんだ?」

「その後って、どれのことですか? どれのことを聞いているんですか、『お兄ちゃん』」

「ふるさと会だよ。三周年だったんだろう? こんなことがあったら、やっぱり学校側としてはやりにくいんじゃないのか?」

「いえいえ、それがそれが。更に評判がよくなりました。『あそこの生徒はいい子だ』ですって。三周年で終わるどころか、四周年にも五周年にも至りそうです。企画立案した当時の生徒会長さんは光栄なことでしょうね」

「ふうん。そういうものか。ご老人を傷つけたのも、その学校の生徒だというのにな」

「おやおや。『お兄ちゃん』。何かご不満のご様子で?」

「不満? 不満だって。何もないさ。いいんじゃない、綺麗にまとまって」


「綺麗だけど、美しくないって言いたいんじゃないですか? 人殺しの『お兄ちゃん』」


「…………」

 お花屋さんの『お兄ちゃん』の、気配みたいなものが変わる。

 それを、感じつつも気づかないふりをする――いいや、違う。感じつつも、ものともしていない。動じていない。

 綺麗だからといって、それが美しいわけではない。

「……『落ちるのはきれいだけど、落ちているのは汚いだけよね』」

「何の言葉だい、いろはちゃん」

「本に載っていた科白せりふです。ただ、思い出したから言いました」

 跳ねるように、『お兄ちゃん』の前に立つ。

「それじゃあ、わたしはこれで帰ります」

 また遊びにきますね。




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