花束を受け取って
なるゆら
花束を受け取って
事務所に呼び出されて、わたしは内示を受け取った。
覚悟はしていたし、あるかもしれないと想像はしていたけれど、定まってしまった現実は、もう変わらない。
新しい場所ではどんな出来事が待っているか、上手くやれるだろうかと考えたなら不安にはなるけれど、ここを離れることの方に考えが向いてしまう。
「初瀬、もう少し自分で考えるようにした方がいいと思うぞ。積極的になるというか、野心を持つ……というか」
「……はい」
わたしは言葉の意味を理解する前に、つい反射的に頭を下げてしまう。手渡した上司は「やれば、できるんだから」と言葉を繋いでフォローしてくれていたけれど、おそらく辞令には不合格の意味があるのだろう。
一礼して事務所を出た。バックヤードを歩いて作業場に戻る。目に入ってくるいつもの光景。見慣れているはずなのに、どうしてか消えていくものを見送るかのような、寂しい気持ちになってしまう。景色の中に並んでいるものに気持ちがあるのなら、消えてしまうのはわたしの方だけれど。
積極的ではない。自覚もある。言われたことには一生懸命取り組むようにしていたけれど、ひっくり返せば、言われないとしないということだ。実績が表しているように、全体を通して見れば、わたしが担当している部門の数字は良くない。
3年前、新店舗の担当を任されることになったとき感じたのは、驚きというより戸惑いだった。期待されているのはわかったけれど、本当にわたしで務まるのかと不安になった。
当時、推薦してくれた上司や、お世話になっていた先輩はとても喜んでくれて、応援されて送り出してもらうのだから、わたしもちゃんと期待に応えるのだと考え直して、できる気になった。やる気になった。
集まった人たちは精鋭揃いで、わたしは一番の若輩者だった。経験だけではなく考え方も甘かったと思う。ただ、できることはやったとも感じている。振り返っての反省はたくさんあるけれど、後からはどんなふうにでもいえるし、現実として今以上があったとは思えない。
期待に応えられなかったのは、単純にわたしの担当者としての実力が足りなかったということ。他に理由はないだろう。たくさんの人に負担をかけたことは申し訳ないけれど、支えてもらったおかげで、いい勉強ができたと思う他にない。
そんな中で、自分が優先させてきたことが何だったのかもわかってきた。結果的に、周囲には期待を持たせた上で裏切ることになってしまったのかもしれない。
応援してもらえることが嬉しいから頑張れて、応援してくれる人が喜んでくれることが頑張る理由で、本当は実績や成果を追いかけてきたわけではなかった。
嬉しくて、喜んでもらえることを優先する。していることだけが誰かの目にとまった。
わたしを評価してくれた人には、わたしが何を追いかける人なのかがわからなかったのかもしれない。わたし自身も知らなかったことだった。
「初瀬さん。来月なんですけど……」
「あ、えっ……はい!」
声をかけてもらって気付かなかった。自分が思っているよりも動揺しているんだろう。怪訝そうにパートタイマーの能見さんがこちらをみている。
「ここの日曜日、こっちと変えてもらえませんか? 家族の引っ越しが決まって……」
「えっと……、お休みですか?」
手渡された紙は公休表のコピー。表には公休の印が書き加えられていて、代わりの人員の調整もされている。わたしがすることは入力だけ。
毎月のシフトを組むことはずっと苦手だった。公平に振り分けられないか表計算のソフトを使って挑戦してみたこともあったけれど、条件が難しくて完成させられなかった。ちゃんと使えるものを作っている人だっているのだとは思う。
どうしても人員の都合がつなかったとき、一日中、職場にいるような日が続いてしまって、わたしではなく、見かねた人たちが作ったルールだった。
「休みの希望は3日まで、変更するときは代わってくれる人がいないか聞いてみる」。気付いたらそんなふうにしてもらっていた。
今のわたしには不足しているものを補ってくれて、できることを返したいと思える人たちがいる。そんな関係ができた3年だった。
「はい、変えておきますね!」
忘れてしまわないようにメモに書き込む。書き込んだ日曜日にわたしはいないことにまた、少し寂しくなる。
「……もしかして、異動……とか?」
「え……」
答えが返せなかった。違うと言うと嘘をつくことになるし、表向きにはまだ言えないことになっている。いずれわかることだけれど。
「えっ! ……ほんと? 異動ですか?」
「……ど、どうかな?」
わたしにはわからないけれど、人の考えていることや気持ちを心をよむでもなく感じられる人がいる。とても素敵なことだけれど、辛いのではないかとも思う。わたしは自分ひとりの小さな痛みでも耐えられなくなりそうなときがある。新しい出会いと別れ。新しい生活。そんな時期にはどうするのだろう。
両手で抱えるくらいの花束を受け取った。荷物が持ちきれないなら、また取りに来たらいいと言ってくれた。餞別にお返しはないけれど、もしお返しをするなら何が喜んでもらえるのかと考えてみる。
一緒に過ごした3年間の思い出の中を探せば見つけられるはずで、この先も仕事を続けていけたなら、また会える日はきっとくる。そのときにわたしは何を返すだろうか。
「素晴らしい実績を残した人たちは、自分が積み重ねたものに自信を持っている。だからまた頑張るし、自信で成果を出すための方法を身につけていく。とても大事なことだと思ってるよ、そういうことって」
エリアミーティングが終わって、杵築SVがわたしを呼んで言った。
「でも、自分のやり方を信じているからこそ、誰かに従えない気持ちになるときがある。僕もそうだったしね。……だけど、同じ方に向かって動かないといけないときに困ることもある」
杵築さん自身が店舗を巡回して感じていることなのかもしれない。
動くときを決めるのは誰だろう。役員会だろうか。お客さまだろうか。わたしたちのうちの誰かか。
「競争の中で自分たちが生き残るということは、利用してくれる人だけじゃなくて、働く仲間の雇用と生活を守ることでもある。『前例のない新しいこと』だけど、信じて進んでいかなきゃ守れない」
……守る。何から守るのか。
「今、僕らと競合しているのは、同業他社だけじゃない。異業種こそが脅威だと思う。たとえば、初瀬さんも通信販売で何かを買うことがあるよね? 僕らにとっても便利なんだけど、便利だって感じるのはみんな同じだよ」
「……そうですね。でも、我慢してこちらを利用して下さいなんて言えないです」
「うん。だから、利用してもらうためにはしたいと思える理由が必要。『やってこなかったこと』をしないといけない。僕としては、内輪もめしてる場合じゃないって思うよ」
もめるは誇張した言い方だけれど、言いたいことはわかる。けれど、どうしてそんなことをわたしに言うのだろう。
「ほんとは、初瀬さんのところに僕が入る感じがしてた。荷が重いかもしれないって、みんな感じてたと思うよ。新店なんだから」
「……え?」
「真面目に言われたことをちゃんと『やってみること』が大事になってる。それに、初瀬さんが持っているような働く仲間を大切にする気持ちって、組織として生き残っていくためにも必要なものだと思うしね」
大切にしていたわけではないと思う。したいとは思うけれど。しかし、何を追いかけているかをわかっていたということだろうか。わたし自身も知らなかったのに。
「無茶はさせたかもしれないけど、初瀬さんみたいな人に経験を積んでもらって、これからを任せることができる人になって欲しいんだと思う」
「……それは、言い過ぎですよ」
でも、必要としてもらえることを嬉しく思うのは本当だった。
わたしはどんなふうに見えているのだろう。奮起を促すために言っているんだとしても、わたしが知らないわたしのことを、いろんな人が気付いてくれているのだとしたら不思議だ。
「……そんなに落ち込んでるように見えますか?」
「励ますために言ってるって思ってる?」
「まあ、ちょっと……」
杵築さんはため息をついて「素直じゃないなぁ」とつぶやくと、改めてこちらを向く。
「そういう部分はあるけど、残りの部分はちゃんと本当のこと」
「……そうですか」
もし本当だとしたら、少し恥ずかしい。目を合わせないようにして応えた。
まだ不合格だったともいえないのかもしれない。少なくともわたしの追いかけている先に役に立てる道が続いているかもしれない。たどり着いてみないとわからない可能性だと思う。
杵築さんが言っていることが本当なのか、わたしは確かめてみたいのだろうか。続けていくということは、たとえ望まなかったとしてもどこに繋がっているのかはわかるということ。
そのときわたしは何を追いかけているのだろう。3周年を迎えた職場をあとにして、わたしはまた次の3年後を目指す。
どこに区切りがあったのか。きっと未来のわたしなら知っているはずだ。
花束を受け取って なるゆら @yurai-narusawa
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