第2話 開運探偵の登山

「わかった!」


 暗号と睨めっこし始めてから十五分が経過した頃、一番星くもるは頭上で豆電球の代わりに星を光らせた。


「この暗号は二進数だっ!」

あじでもなければぼらでもなく?」

にしんじゃあない、二進にしんだ」

「ああ、坊ちゃまがよくお読みになってる」

「それは西尾維新にしおいしんだっ!」


 茶々を入れる枕木を睨めつけるくもる少年。

 場の空気を改めるようにコホンと咳ばらいをして、彼は自分の推理を再開した。


「これは1と0のみで構成された二進数から成る暗号なんだよ。くくくっ、『NHK』め。ジブンを二進数すら分からない十四歳だと思っていたのかぁ? ゆとり教育はとっくに終わってるんだよっ! 見た目は美少年、頭脳は大人顔負けな一番星くもる様ァンを舐めるなよ!」

「で、その暗号が二進数だとして、どうやって解くんですか?」

「アーン? そんなもん決まってるだろう? こういう暗号は十進数に変換すれば答えが分かるって相場が……」


 『10001000/1000/1010100010/10101000/10100010001000/1010』。

 これを/スラッシュ!で区切られている部分ごとに十進数へと変換してみると。

 『136/8/674/168/10376/10』

 となる。


「で、その数字にどんな意味があると?」

「多分電話番号か郵便番号だなっ!」

「は?」

「…………えーと、1368674いさむや虚しい応仁の乱……」


 意味はなかった。精々が1467年に起きた応仁の乱を間違って覚える際に使えるくらいである。無意味極まりない。


「はぁ~~~~~~(クソデカ溜息) 坊ちゃまが頭オアなのは存じていましたが、まさかここまでだったとは。この枕木、失望を禁じえませんぞ」

「んだとコラァーーーーーーーーーーーッ!!」


 眉根を吊り上げて、今にも運転席のシートに噛みつかんばかりに大口を開けた顔をするくもる少年。そんな顔も可愛いのだから、美少年というのはまったく得な存在である。ふふっ。


「だったら阿良々木よぉ」

「私の名は今年の春に地上波でアニメの最新作が放送されたライトノベルシリーズの主人公ではありませんぞ、くもる坊ちゃま。西尾維新の読みすぎですかな? 私の名は枕木です」

「だったら枕木よぉ」そんな言い間違いはなかったとばかりにテイク2へと移行した。図と実家の両方が太い少年である。「そんなに自信満々なら、お前の推理はさぞ立派で筋が通ってるものなんだろうなぁ? オォン?」

「勿論ですとも」


 枕木は余裕綽々といった態度を崩さないまま、そう言った。

 その声は、聴衆に己の考えを述べる際の──自分の推理をひけらかす、『自称探偵』としてのものだった。


「そもそもですなぁ、その手紙にある二つの『違和感』に気づけなかった時点で、坊ちゃまはアウトなのでございます」

「二つの『違和感』ン? そんなものあったか?」

「一つは暗号文そのものではなく、その上の文章──『エルメシアとの一騎打ちを望む探偵は、以下のセンテンスが示す場所に集合せよ。』にあります」

「それの何処に違和感が──あっ………!」


 くもるは『将太の寿司』で将太くんが己のミスに気付いた時によくする顔になった。

 

「『センテンス』……!」


 センテンス。

 sentence。

 日本語で『文』という意味であるこの単語が入っていたところで、招待状の文章の意味が通らなくはならない。

 『エルメシアとの一騎打ちを望む探偵は、以下のセンテンスが示す場所に集合せよ。』

 『エルメシアとの一騎打ちを望む探偵は、以下の文が示す場所に集合せよ。』

 どちらも意味は変わらない。

 が。

 使

 というより、わざわざ英語の方を入れたことで、なんだか意識高い系が書いたみたいな文章になっている。

 これは、気づいてみれば、けっこうな違和感だ。


「だけど、これに気づいたからといって、どうなるんだ?」

「ほっほっほ。『センテンス』の違和感に気づいただけでは、この暗号は解けませんな。これはあくまでヒントとして置かれているくらいの違和感です。先ほど言ったでしょう? 違和感は二つあると──暗号文本体を見てください」


 言われて、くもるは『センテンス』から暗号文に目を移した。


「もう一度問わせていただきますぞ、くもる坊ちゃま。それを見て、何か違和感を感じませんかな?」

「うーーむ、見当たらないな。強いて言うなら、ジブンの名字にも含まれている『1』が使われているってことぐらいだが」

「それは偶然でしょう」

「チッ! ……というかなぁ、違和感というなら、この暗号文全てに感じるぞ。なんだよ、1と0の暗号って」


 「もう少しストレートな招待状を寄越せよっ!」と。

 くもるが、『NHK』への怒りを再燃させようとした、その時だった。

 枕木が口を挟んだのは。


「『1と0』──坊ちゃまにはその暗号が、それらで構成されているようにしか見えないのですかな?」

「何言ってんだジジイ、ついに耄碌したのか? 『lとo』でもなければ『IとD』でもない、英数字の『1と0』しかありえないだろ。リムジンの進路を変えて、目か頭の病院に行くか?」

「ほほほ、そうですかそうですか。坊ちゃまにはこの暗号が『1と0』で構成されているようにしか見えないと」


 くもるの煽りに対し、鷹揚な態度で返した枕木は、続けてこう言った。


「しかしですな、もう少し大きな視点を持っている私には『1000と10』で構成されているようにも見えますな」

「『1000と10』?……あっ!」


 くもるは『将太の寿司』で将太くんが以下略。

 枕木の言葉から何かに気づいた彼は、再び暗号文に目を走らせた。


 10001000/1000/1010100010/10101000/10100010001000/1010

             ↓

 「1000」「1000」/「1000」/「10」「10」「1000」「10」/「10」「10」「1000」/「10」「1000」「1000」「1000」/「10」「10」

 

「たしかに、これは『1000と10』で構成されているようにも見える……」


 というより。


「『1000と10』以外の……100や10000どころか、単独の1や0で出来ている部分は一切ない!」


 ここまで徹底されていれば、違和感を感じずにはいられないだろう。

 なぜ自分はこんなことに気づけなかったのだろうか──くもるは項垂れた。

 しかしここで枕木の勝利を──己の敗北を認めるわけにはいかない。

 せめて、ここからは自力で答えにたどり着かなくては。

 そうしなければ、『自称探偵』の名が廃る。


(『センテンス』と『1000と10』。この二つの違和感を見逃していたのは分かった。だが、これらをどう使えば、暗号が解けるっていうんだ──ん? 『センテンス』と『1000と10』?)


 『センテンス』と『1000と10』……。

 『センテンス』と『1000せん10じゅう』……。

 『センテンス』と『1000せん10ten』……。


「           デイル・トランス!           」


 ではなく。


セン1000テン10ス!」


 そういう、関係だったのか……。

 くもるがひらめきと共に発した呟きを耳にし、枕木は口元を歪めた。


「ほう、そこは自力で解けましたか。流石腐っても『自称探偵』ですな──ですが、そこから先はどうですかな?」

「『探偵のシャーロック・ホームズ』と呼ばれて久しいジブンを舐めるなよ老いぼれが。センにテンと来れば、やることは一つしかないだろう?」


 言って、くもるは懐からペンを取り出した。ただのペンではない。人間国宝である職人、仇畜あだちく 競馬せりまが直々に製作した、この世に二つとない高級万年筆である。

 そんな、凡人では握るどころか見ることすら叶わない至高の品を使って、くもるは暗号文にを書き足した。

 は複雑な記号でもなければ、難解な文章でもない。

 万年筆どころか、クレヨンを握ることすら覚束ない幼稚園児でも容易に書けるものだ。

 くもるが書き足したものは、-と・──線と点──

 そう。

 暗号文中にある『100010ten』に重ねるようにして、『』を書き足したのだ!

 そうすることで、暗号文の正体が判明する。

 それは──


10001000/1000/1010100010/10101000/10100010001000/1010

             ↓

--/-/・・-・/・・-/・---/・・


「モールス符号……!」


 長点と短点によって作られる、基礎的な暗号文だ。



「深読みすれば、『センテンス』だけがわざわざ英語になっていたというのも、1000と10の片方だけを英語読みするヒントだったのかもしれないな」

「私の推理をあれだけ聞けば誰だって解けるに決まってるのに、なに偉そうなこと言ってんだこのクソガキ」(流石です、くもる坊ちゃま。あなた様ほどの頭脳をお持ちの方が一番星家を継げば、日本の財界の未来は安泰でしょう)

「ってオイオイ! 言ってることと思ってることが逆ゥーーッ!」


 Twitterに流れてくる漫画で八億回は見たクッソ寒いやり取りをしながら、くもると枕木の主従は、暗号文に示されていた富士山MTFUJIを登っていた。

 山ってmountain?

 

「それにしても、富士山……日本一高い山か。そんな場所に日本一の自称探偵であるジブンを招待するとは、『NHK』も粋なことを思いつくじゃないか」

「そうですね、何かとマウントを取りがちなくもる坊ちゃまに、マウントフジはピッタリでしょう」

「ぬあああああああああック!」


 枕木の煽りにくもるは発狂した。

 しかし次の瞬間には、山特有の高地の寒さと、登山による疲労から落ち着きを取り戻す。夜神月かお前は。


「しかし、本当なのか? 富士山の中腹に『NHK』会長の別荘があるなんて情報は」

「マジでございます。自称探偵現役時代に、そのような噂を耳にしたことがあるので。──まぁ、もっとも、ここにあるのは会長が所有する数多くの別荘の内の一つらしいのですが」

「うへぁ、こんなところに別荘を建てるなんて頭おかしんじゃないか、そいつ」


 顔も知らない会長に向かって失礼なことを言うくもる。クソガキここに健在なり。

 暗号で示されていた場所が富士山であり、そこに『NHK』と関係が深い建物があるのなら、集合場所はそこ以外ありえまい。そのような考えから、くもるたちは登山へといきなりチャレンジ中なのであった。

 

「そういえば、今になって気づいたんだが……招待状は『エルメシアとの一騎打ちを望む探偵』に『集合』を呼びかけるものだったろう?」

「そうですな」

「つまり、ジブン以外の何人かの自称探偵にも、この招待状を送られているんじゃないか?」

「そうかもしれません」

「で、いち早く暗号を解いて目的地に着いたものだけに、一騎打ちの機会が与えられるって可能性は」

「ありますあります。これが早い者勝ちの推理レースって可能性は勿論ありま」「こうしちゃいられないぞっ!」


 一番星くもるは風になった。

 かと見紛うほどの速度で駆け出した。


「お、お待ちになってください坊ちゃまァン! 老爺に山道でのダッシュはキツすぎますぞ!」

「うるせええええええ!!! ジジイに合わせてチンタラチンタラの芽歩いてたら遅れるだろうがああああああああ!!!!!!!!! それで他の自称探偵有象無象に一騎打ちの機会を奪われたらどうするんだよおおおおおおおお!!!!」


 置いて行かれる老人と去っていく若者──山を舞台に、この構図だけ見れば、姥捨て山みたいである。

 しかし本作は古き良き昔ばなしではなく、全てのミステリーを過去にする劇薬的新々本格ミステリー。

 故に、事件は突然起きる。


「はっ、はっ、はっ……クソッ、運動向きのジャージを着ているとはいえ、登り道を走るのはキツイな……っ! こんなことならリムジンじゃなくてヘリコで来ればよ


「キャーーーーーッ!!」


かった……っ!」

 

 荒い息で呟いた独り言に被さるようにして、何処かから悲鳴が聞こえた。距離はそう遠くない。

 明らかな異常事態のサインに、くもる少年の足は止まる。

 果たして、このあと彼は何と遭遇するのか!?

 そもそも、この小説の続きは書かれるのか!?


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