開運探偵の敗北

女良 息子

第1話 開運探偵の勝利

 その事件が起きたのは、平成が終わり、『総理探偵』安半旧三あはんきゅうぞうによって新元号『探偵』が発表されてから半年後になる十月の始めであった。

 蟹玉県かにたま市立蟹玉中学校二年A組において、教室に置かれてあった生徒三十人分の給食費が、何者かに盗難されるという事件が発生したのである。


「ええーと……皆さん、机に顔を伏せてください。伏せましたね? では、給食費を盗んだ人は、正直に手を上げてください。今あなたが手を上げても、誰も見ていませんよ。ですから、安心して手を上げてください」


 A組担任の美術教師、須玉崎すだまさきいぶきが優しげな声で、ありがちな台詞を口にする。

 それにも関わらず、手を挙げる者は誰も居なかった。

 その光景は、まるで稲が一本も生えていない冬の田圃のようであり、見るものに物悲しさを感じさせるものであった。

 これで普通ならば、「誰々が怪しい」や「こいつにはアリバイがない」といった疑い合いが発生し、その果てに学級崩壊に至るのがありがちな展開である。

 しかし、そうはならない。

 生徒達は互いに疑いの矢印を向けこそすれ、それを口にする者は誰もいないのだ。

 というより、疑おうにも決定的な理由がないと言うべきか。

 給食費の収集が行われたのは、朝のホームルームの時間だ。その後に一限の授業である体育がグラウンドで開かれた。そして、盗難が発覚したのは義務教育的な運動で青春の汗を存分に流した生徒達が教室に戻ってきた時のことである。

 つまり──三十人分の給食費が消失したのは、体育の時間中であり、その時、生徒達は犯行現場から離れた場所にいたのだ。

 このアリバイがあるが故に、彼ら彼女らはクラスメイトに決定的な疑いを向けることが出来ないのである。


「つぅーかよぉ」


 いぶき教師の訴えが不発に終わり、生徒達が諦めと呆れが混ざった顔を起こした後、ある男子生徒が口を開いた。出席番号二十三番、波々なみなみ法穂ほうほである。

 蟹玉中学の自由な校風を身をもって証明するかのように、金色の髪にオレンジのサングラスという派手なファッションに身を包んでいる彼は、たった一言で教室内の注目を集めた。


「怪しい奴なら一人いるだろ。ほら」


 言って、波々は立てた親指で教室の後方を指した。生徒達の視線が目に悪い配色をした自由人から移動した先にあったのは、一人の女子生徒の席だった。

 出席番号二十番、泥虎でいとら 有栖ありすである。

 突然教室中の注目を身に浴びた彼女は、体をびくりと震わせた。その態度から察するに、気弱な性格なのだろう。名字に含まれる『虎』という漢字のイメージに相応しくないキャラクターをしている少女だ。


「泥虎さぁ、たしか体育の授業ん時に、転んで膝を擦りむいたとかで保健室行ってただろ? つまり、グラウンドに居る俺たちから一人だけ離れて行動できる時間があったってわけだ。それって怪しくねぇか?」

「ちょっと待ちなさいよ!」


 波々の追求に対し、声を荒らげたのは、泥虎本人ではなく、出席番号二番、宇泉ういずみえるであった。学級委員でもある彼女は責任感が強い性格をしているので、級友が難癖じみた追求を受けているのを黙って見ていられなかったのだろう。


「泥虎さんが転んだのは偶然の事故なのよ! もし彼女が給食費を盗もうと企てていた犯人なら、そんな偶然に頼って盗みにいくはずがないじゃない! それに、泥虎さんが保健室に行った時には、保健委員か誰かが付き添いとして同行していたはずだわ! そんな状況で人目を忍んで教室まで行って、給食費を盗むことが可能だとでも言うの?」

「その保健委員がグルだったって線もあるだろーがよぉ……で、うちのクラスの保健委員は誰だったっけ?」


 生徒達の視線は泥虎有栖から微塵も動かなかった。

 それは、泥虎が目下最有力候補の容疑者だから目が離せないという理由だけでなく、波々法穂が口にした保健委員が彼女その人だからだ。ちなみに、男子の保健委員は先日A組が巻き込まれたデスゲームで爆死した。そういうわけで、今現在のA組の保健委員は、泥虎有栖一人だけなのだ。

 周りの視線からその事を思い出した波々は、口元をニヤリと歪めた。


「ん? じゃあやっぱり、泥虎は一人で保健室まで行ってたってことになるんじゃねーか? 怪しすぎるなぁオイ」

「そんなはずはないわよ。たしかに私は泥虎さんが誰かと一緒にグラウンドを離れたのを見たもの。もしかしたら、保健委員じゃないけど助け合いの精神を持っている、心優しい誰かだったのかもしれないわ」


 宇泉の言葉に、周囲の何人かが「自分もそれを見た」と同意する。責任感が強い学級委員一人だけならまだしも、この人数の目撃証言を無視することは難しいだろう。


「あの〜……」


 と、そこで遠慮がちに手を挙げた男子生徒がいた。

 出席番号七番、佐栗さくり 中中ふぁいず──黒縁眼鏡が特徴的な図書委員である。


「泥虎さんを保健室まで送ったのは僕です。ちょうど日直だったんで」


 先ほどの宇泉による『泥虎を保健室に連れて行ったのは、保健委員ではない心優しい誰かだったのだろう』という発言に続けて告白することになり、照れくさそうな顔をする佐栗であった。


「あぁん? テメぇが嘘を言ってないって証拠はあんのかよ」


 絡むような口調で波々が言う。


「えっと……保健室の先生に聞けば、僕たちが体育の時間中に来たことを証言してくれるかと」

「そいつもグルって可能性も──」

「流石にそこまで疑い出したらキリがないでしょ」宇泉の言葉に、渋々といった様子で発言を引っ込める波々。


 追求が打ち切られ、教室は静まり返る。

 元々容疑者らしい容疑者がおらず、疑わしいとされた泥虎有栖のアリバイも証明されたのだ。これ以上誰かが怪しいと議論する余地はあるま「いいや、待った!」──変声期前の少年の声が、静寂を迎えて久しい教室に響いた。

 それと同時にスポットライトが点灯し、教室の一点を照らす──スポットライト? そんなものが、この教室にあったのか?

 そう疑問に思った生徒が天井を見上げると、そこに見慣れた蛍光灯はなく、ライブステージや演劇の舞台で見るようなスポットライトが代わりに設置されていた。いったい、いつの間に取り替えられたのだ。

 総身に浴びた光を反射し、まるで夜空に輝く星のように光を放っているのは、先程声をあげた人物であった。


「真実はいつも一つとは限りません──しかぁし! 闇に覆われた謎を照らす星は、この『一番星』ただ一つっ!」


 声の主は出席番号一番、一番星いちばんぼしくもる。

 芝居がかった台詞の後に、彼はお決まりの口上を言い放った。


「犯人はこの中にいますっ!」


 ★


 エルメシアという人物をご存知だろうか。

 『平成の鼠小僧』改め『探偵の鼠小僧』という、矛盾を感じさせられる異名で知られる女怪盗だ。

 彼女が盗んできた物は数知れず──有名な美術品や金持ちの財産、果ては生きている人間すら見事に盗んできた、怪盗の中の大怪盗である。

 そんなエルメシアが『盗む』と予告して盗めないものなど、この世にはない。無論、警察機関がそうはさせまいと予告対象の元へ派遣されるのだが、彼女の神出鬼没にして複雑怪奇な盗みの手口を前に、国家権力が勝利した試しなど一度もなかった。

 如何なるものでも華麗に盗み、幾度となく不可能を可能にしてきたエルメシアが神格化され、世間の人気者となるまでに、そう時間はかからなかった──怪盗という犯罪者であるにも関わらず、だ。エルメシアのファンの中には、彼女に自分のものを盗まれたいと思っている人さえいるらしい。世も末である。

 社会現象になりつつあるエルメシアブームを受け、当時の政権を握っていた政党『赤毛党』は、ある法律を成立させた。

 それこそが『探偵法』──という、とんでもない法律である。

 いくら警察が頼りないからといって、一般人に事件現場へ這入る権限を許すとは。

 こんなものは最早、悪法だ。

 しかし、時の政権により強行採決された『探偵法』は多くの妨害を撥ね退き施行され、探偵を自称するもの(通称『自称探偵』)を多く輩出してきた。

 探偵省の調査によれば、2019年4月時点での『自称探偵』人口は400万人を超えたらしい。およそ国民の三十人に一人が『自称探偵』になっているのだ。世は末を過ぎて終わってしまったくらいには悪夢みたいな数字である──そう。

 国民の、三十人に、一人。

 つまり、二年A組に一人は『自称探偵』がいる計算になる。


「それこそがこのジブンっ! 『開運探偵』こと一番星くもるなのですっ!」


 誰に向けて言っているのか謎な自己紹介を元気いっぱいの声で叫びながら、くもるは無い胸を張った。財閥の一人息子に相応しい、偉そうなポーズである。

 

「ジブンにかかれば、こんな事件など楽勝です! ささっと片付けて犯人を豚小屋にぶち込んでやりましょうっ!」


 キュートでプリチーなフェイスに似合わぬゲスな発言が吐き出される。殴りてぇ~。

 上述した通り、『自称探偵』とはエルメシアへのカウンターとして考案された存在であり、一教室で起きた小事件を解決するためのものではない。

 しかし、一番星くもるにとって、そんなことはどうでもよかった。なぜなら、彼が探偵をやっている理由は『怪盗を捕まえるため』や『社会に貢献するため』ではなく、『目立つため』だからだ。

 目立つために事件現場に現れ、目立つために謎を解き、目立つために怪盗と戦う。

 そんな承認欲求と自己顕示欲の権化である一番星くもるが、クラス中の注目を集められる絶好の機会を逃すはずがあるまい。


「ジブンらが給食費を集め、体育の授業が終わるまでの時間は僅かでした。そこを狙って外部犯が教室に侵入し、盗んでいったとは考えにくいでしょう。なにせ、今日この時間に給食費を集められ、どこに保管されていたかを知っている必要があるんですから」

 

 くもるが言う通りである。そのような前提があったので、この盗難が外部の者による可能性は、A組の誰かが犯人である以上にありえないと見なされていた。


「犯人はA組の誰か。しかし、三十人の生徒の中に、犯人はいない。ならば、答えは消去法で分かりますねっ!」


 ズビシッ! という効果音が似合いそうな勢いで、くもるが指さしたのは──三十人の生徒の誰でもない、担任の須玉崎いぶきだった。


「犯人は須玉崎いぶき──お前だっ!」

「え?」


 犯人だと突然言われ、目を丸くするいぶき教師。


「『聖職者である教師が給食費を盗むはずがない』──教育という名の洗脳によって、そう思い込んでいた生徒たちはあなたを疑っていなかったようですが、黄金の脳細胞を持つジブンに、そんな叙述トリックは通用しませんよっ!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいくもるくん!? 確かに君たち生徒には一限の授業という崩しようがないアリバイがありますけど、それは僕も同じなんですよ? 一限目はC組相手に授業をしていたんです。このアリバイは中々に信用できるものだと思いますが?」

「『須玉崎フィリップ』」

「え?」

「あなたのの名前ですよ。親御さんでも見分けがつかないくらい似ているらしいですね。金持ちの情報網ネットワークで調べたらすぐに分かりました」


そして。


「そんなに似ている双子がいれば、授業中に入れ替わることが可能! その間にA組の教室を訪れたあなたは、給食費を盗んだんじゃないカーン?」


 なんと、須玉崎いぶきは見えるものだけそれさえあればたどり着けない答えはない系教師ではなく、二人で一人の教師だったのだ。


「つまりお前が犯人! WBX! 証明終了!」


 間違ってるQEDと共に、くもるは自分の推理をそう締めた。

 いぶき教師は明らかに動揺が隠しきれていない顔で、反論すべく口を開く。


「く、くくくもるくん。双子の弟がいるからって、僕を疑うのはよくないなななぁ? 双子差別だよ双子差別」

「はぁ~~~ʅ(◞‿◟)ʃ!!!!????? 一度はエルメシアを捕らえてみせた、人間世界宝級の頭脳を持つジブンの推理にケチつけようっていうんですかぁ? この! 今年のノーベル探偵賞受賞を期待されているジブンの推理が! 間違っているとでも!!!!!???????」


 教師を疑うという権威主義の真逆を行く推理をしながら、己の権威を振りかざすという、暴論を披露するくもる。『開運探偵』の『うん』は『マウンティング』の『ウン』と掛かっているのではないかと思わされるぐらいのマウンティングぶりだ。


「ぎゃふん」


 いぶき教師は項垂れた。

 彼の敗北であり、『開運探偵』の勝利である。


「……か、金が欲しかったんだ。最近の政策で教師の責任はどんどん増えているのに、給料は減っているだろう? だから生活が苦しくて、ついやってしまったんだ……すまない」 

「へー、そうなんですかっ! まぁジブンはナチュラルボーンリッチなんで、貧乏人の動機はこれっぽちも理解できないんですけどねっ!」


 このクソガキ。いつか痛い目に遭わせるからなぁ?


「すごいわくもるくん! さすが名探偵!」


 出席番号六番、くもるのファンの一人である不暮くれない 兎雪うスノーは称賛の声をあげた。

 それを切欠に、教室中から歓声が上がる。無理もない。ドラマや映画の中でしか見られないような推理劇が、目の前で行われたのだ。A組生徒たちの興奮は測り知れないものである。


「へへへっ、まさか菅田将暉が犯人だったとはぁ。まっ、この法穂サマは最初から全部まるっとお見通しだったけどよ」

「なに調子良いこと言ってんの。あんだけ泥虎さんを疑ってたくせに」宇泉は冷ややかな視線を送った。

「わ、悪かったと思ってるよ……」

「謝るのは私に対してじゃないでしょ?」


 謝罪を促され、波々は泥虎にバツの悪そうな顔を向けた。


「疑ってごめんなぁ、泥虎有栖……ん?」


ん?


「泥虎有栖……でいとらありす……でい、とら、す……でいるとらんす




            デイル・トランス!!




                                」


 ゴーで★でジャスみたいな流れでサイコトランスの親戚みたいな単語を口にした、その瞬間であった。

 波々の体に変化が生じたのは!

 おお! 見よ! 

 彼の黄色人種特有の肌色が、みるみるうちに緑色へと変化していくではないか!

 サングラスに隠された瞳は複眼へと変わっている!

 五指が生えそろっていた腕に至っては、カマキリのそれになっているぞ!


「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 巨大な殺人カマキリと化した波々があげた雄叫びは、教室の窓ガラスを震わせた。

 ……様子がおかしい……。


ハハハハアァ波々ーーーー!!!!! ホォーーー!!!! ウホォーーーー!!!」

 

 カマキリなのかゴリラなのか区別がつかない鳴き声をあげながら、波々は腕を振るった──巨大な鎌が付いた腕を、だ。 


「うああああああああああああ!!!!!!」


 腕の軌道上にいた出席番号五番の倉員くらいんくんは頭と胴体がバイバイ、サヨーナラした。嫌ァーーー!!!!!!!

 デスゲームとモンスターパニックを足してえぐみを加えたかのような惨状になったA組。

 そんな絶望しかない状況において、殺戮者に立ち向かおうという意志を持ったものが、一人だけいた。

 誰か?

 それはもちろん、本作の主人公である一番星くもるだ。

 彼は拳を握りしめ、独特な構えを取った。バリツの構えだ!


「うおォーーーーーーーーーーーッ!! 探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵探偵ィッ!」


 出た! これぞ一番星くもるの必殺バリツ『探偵ラッシュ』!


「オアァァァーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!」


 健康優良児の鍛えられた筋肉による拳の連打ラッシュを流星雨の如く浴びせられた波々は、頭オアな断末魔を叫びながら吹っ飛ばされ、教室の窓ガラスを突き破り、大気圏の彼方に消えていった。


「……えっ!?」


 宇泉学級委員は何かに気づいた様子で、波々が飛んで行った方向の空を指差した。


「ねえみんな! アレを見て!」


 その先にあったのは、星だった。

 キラキラと、強い輝きを放つ一番星──これまで発見されたことがない、まったく新しい惑星である。


「きっと、飛んで行った波々くんが星になったんだわ!」

「マジかよ! 新惑星の発見だぜ! いや、発見じゃなくて創造か!?」出席番号十六番、クラスのお調子者の濁根だくね 黒布くろぬのはテンションの高い声でそう言った。

「さすがわたしたちのくもるくん! 事件を解決するついでに惑星を創造しちゃうだなんて! きっと『伝説』という言葉は、あなたのためにあるのね!」出席番号十五番、クラスのマドンナである高嶺たかね 花子はなこはうっとりとした視線をくもるに送った。

「ウー、わんわんうーわんわん!」出席番号二十九番、わんちゃんは興奮のあまり鳴き声を上げた。かわいい。

「あの星に『一番星星』と名付けてはどうでしょう!?」出席番号三十番、A組のWikipediaことンヶ原んがはら 終人しゅうとはそう提案した。

「おいおい、それじゃ『星』が重なってややこしくなっちまうよ!」突っ込む黒布。教室は笑い声に包まれた。

 どっ。

 わっはははは。

 ぎゃははは。

 あははははは。

 おほほほほ。

 ぐををををを。

 げらげらげ


「……はっ!」


 一番星くもるは目を覚ました。


「な、なんだ……夢かぁ」


 まさかの夢オチである。

 スポットライトが突然設置されていたという、夢でなければあり得ない展開は、実は伏線だったのだ。

 あっ、ちなみに言っておくと、この小説の根幹ともいえる『自称探偵』の設定は夢ではない。『平成』の次が『探偵』なのも本当だ。一番悪夢であってほしかった設定だが、残念ながらマジである。文句は雲崎先生に言ってね。

 

「どーりで突拍子もない展開が続くと思ったんだよっ。序盤の推理小説モドきみたいなパートなんて特にひどかったなぁ。素人が書いた、プロットが碌に練られていない小説みたいな展開には、自分の夢とはいえ、苦言を呈したくなっちゃうよ」←は? 殺すぞ。


 と、そこまで呟いて、くもるはあることに気が付いた。

 自分が寝ていたのがベッドの上ではなく、リムジンの車内であるということに。


「え?」

「お目覚めになりましたか、坊ちゃま」


 現状に困惑しているくもるの耳に、聞きなれた声が届いた。

 一番星家につかえる執事長にして元『自称探偵』、枕木道影である。

 運転席に座り、ハンドルを握っている彼は、聞いた十人中十人が好々爺の印象を抱くであろう声で、己の主に語りかけた。


「気絶する前の記憶はございますか?」

「気絶ぅ? ジブンは気絶していたのか? ──うーん、思い出せないな。というか、今記憶を掘り返そうとすると、カマキリのことしか思い出せない」

「さようでございますか。でしたら、もう一度『これ』について話すべきでしょうね」


 言って、枕木は懐から何かを取り出し、後部座席に座るくもるに渡した。金色のインクで豪奢な文様が描かれた、白い封筒である。


「なんだこれは?」

「『NHK』から、くもる坊ちゃま宛てに送られてきた手紙です」

「『NHK』ェ? 『日本放送協会』がジブンに何の用だ? 受信料ならちゃんと払ってるぞ?」えらい。

「『日本放送協会』の方の『NHK』ではありません。『日本自称探偵協会』の方の『NHK』です」


 気絶する前のくもるも同じ質問をしていたのだろうか。枕木はまるでその質問を予想していたかのように、慣れた口調で説明した──日本自称探偵協会?


「おいおい、『日本自称探偵協会』なら」「『略称は『NHK』ではなく、『NZK』になるはずだろう?』と疑問に思われるでしょうが、『Nippon Zisyotante Kyokai』ではなく、『Nippon Holmes Kyokai』を略して『NHK』となっているらしいですよ」

「なぜそこで探偵の代名詞的な人名を使ってまでして寄せようとしているんだよっ!」

 

 『Nippon Holmes Kyokai』って団体は既にありそうだな。

 シャーロキアンの同好会とか。

 そんなことを考えながら、くもるは次の疑問を投げかける。


「で、『NHK』とやらがジブンに何の用だ? そも」「『そも、そんな団体の名前は聞いたことがないぞ』と思われているでしょうが、説明させていただきますと──」

「そのジョセフ・ジョースターみたいなマネはやめろっ!」

「だってそれも気絶する前にしてた質問だったから、予想出来ちゃったんだもん」


 顔中に皺が刻まれている爺が言う『だもん』ほど、聞いてて吐きそうになる言葉はないことを、くもるは理解した。

 枕木の説明が再開する。


「『NHK』はその名の通り、日本の自称探偵を管理する協会です。名乗りさえすれば誰であっても探偵に成れるのが、無法の番人こと『自称探偵』ですが、それを管理し、まとめる存在がいないわけではありませんからね」

「本当かぁ? そんな団体の名前を聞いたことがないジブンとしては、信じがたい情報だぞ、それ」

「そりゃあ、坊ちゃまは先日の『牛乳を注ぐ女事件』以前は全くの無名でしたからなぁw 協会が把握していなかったのも、仕方ないことかとw」


 くもるは運転席の背中を蹴った。キレる若者は怖い。


「で、この『NHK』からの手紙が、ジブンが気絶していたことと、どう関係があるっていうんだよ」

「ああ、それはですねぇ。その手紙が名誉ある団体からのものだと知った坊ちゃまは狂喜乱舞したんですよ」

「ふむふむ、ジブンならそんな反応をするだろうな」二度目の説明である今回は、枕木の言い方が一々癪に障るので、素直に喜べないが。

「喜びの舞を踊っていた坊ちゃまは足を滑らせて転んで」

「うん」

「頭を打って」

「うん」

「気絶したんです」

「はぁ?」


 我ながら間抜けな気絶の仕方に頭を抱えるくもる。その時になって、後頭部に残る鈍痛に気が付いた。どうやら枕木は嘘をついていないらしい。


「ジブンが頭を打って気絶したってのは分かった。じゃあなんで、病院のベッドじゃなくてリムジンの車内で寝ているんだ? まさかこれで病院まで運んでいるとでも?」

「探偵を自称するぐらいなら、その程度のことは自分で推理しろよガキが……潰すぞ……」

「あ゛? 今何か言ったか?」

「ほっほっほ、なんでもないですぞ──クモルニウム製のアンドロイドかと思わされるほどに頑丈な坊ちゃまが頭を打って気絶した程度で、病院に行くのは時間と金の無駄だと思っただけですぞ」


 先ほど取り消した発言よりも酷い暴言である。


「それに、今は病院よりも優先して行くべき場所がありますからな。『開運探偵』に仕えるものとして、そちらを重要視したまでのことです」


 言って、枕木はルームミラー越しにくもるの手にある手紙に目を向けた。

 その視線に気づいたくもるは、封筒を開ける──一度開いた痕跡があった。枕木が勝手に開けて、中身を確認したのだろう。「クソジジイめ」

 封筒の中には、一通の手紙が封入されていた。

 紙面に目を落とす。

 そこには、次のような文章が記されていた。



 エルメシアとの一騎打ちを望む探偵は、以下のセンテンスが示す場所に集合せよ。


10001000/1000/1010100010/10101000/10100010001000/1010



「これは……暗号だな」


 暗号。

 古今東西のミステリーにおいて財宝の隠し場所やダイイングメッセージなどで使われているものである。

 なるほど、枕木はこの暗号を解き、示されている場所に向かって、リムジンを走らせているのか。流石は元『自称探偵』だ。


「ったくぅ、なんだよなんだよ。一番星家の一人息子にして、『この自称探偵がすごい!2019』の一位を確実にとると言われているジブンを、暗号を使って呼び出すなんてっ! 随分無礼な奴らだなぁ『NHK』は! 親の顔が見てみたいよっ!」


 おそらくこれまで生きてきて自分が八億回は思われてきたであろうことを言いながら、くもるは眉を顰めた。

 変な夢を見たし、頭が痛いし、枕木がウザいしでいい気分ではなかったところにこれだ──今すぐリムジンをUターンさせて家で横になり、西尾維新の新刊を読む至福の時間を過ごしたいところである。

 が。


「『エルメシアとの一騎打ちを望む探偵は、以下のセンテンスが示す場所に集合せよ』……か」


 手紙の冒頭にあった一文が、くもるの興味を大きく惹いた。この文面を信じるなら、暗号が指し示す場所に、エルメシアと戦う機会があるということだ。

 エルメシアとの一騎打ち。

 そして、その先にあるかもしれない、己の勝利──それは、エルメシアを捕まえた(その後に無能な税金泥棒が逃がしたが)ことで、世間から注目を浴びまくり承認欲求を満たした経験があるくもるにとって、垂涎の機会であった。


「ちなみに私はその暗号をすぐに解けましたぞ」枕木は半笑いで自慢した。

「自慢してくるんじゃねぇよクソジジイがぁーーーーーっ!!! てめぇはアレか? 若者にマウントを取ることでしか自尊心を維持できないのか?」


 百パーセントの確率で将来自分がそうなるであろう老人像に怒りを露わにしながら、くもるは瞼で紙面を挟めそうなほどに顔を暗号文に近づけた。


「おい枕木ぃ、おまえは何分でこの暗号を解いた?」

「分……? ああ、そうかそうか、坊ちゃまにとって、この暗号は解くのに数分を要するものだったんですね──そうですなぁ、強いて分表記で答えるならば……0.5分ですな笑」煽る煽るw

「(プッチーーーーン)ッ上等だテッンメーーーッ! だったらジブンはその半分の0.25分でこれを解いてやるよぉぉぉぉぉぉぉぉぉオオオオオオオオオオ!!!!!!!」


 くもるがそんな宣言を叫んだのは、彼が『NHK』の暗号を目にしてから三分二十八秒が経った時のことであった。

 せめて、目的地に到着するまでに、暗号を解読できるのか!?

 そして、そもそもこの小説の次の話は書かれるのか!?

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