愛の章
あたしには、時間を1秒だけ止められる能力がある。たった1秒。それも人生に1度きり。「できるんだ」という自覚だけが、最初からあたしの中にあった。あたしは人生のうち1回だけ、しかも1秒だけ、時間を止めて動くことができる。
どんな時に使おうかな、と。考えても答えは出なかったので、私は「使いたい時に使う」と決めていた。それがどんなに下らないタイミングだったとしても、したいと思った時にする。きっとそれがいい。こんな能力に振り回されたら、きっと人生は瓦解する。
あたしは天才だった。理解できないものなんて無かった。文字も数字も、あたしにとっては積み木と同じ。積んで崩して、自由自在。大人より上手に遊ぶことができたし、大人よりも早くそれに飽きた。
両親はあたしの才能を愛していたようだ。だけど、それに目が眩んであたし自身を愛さなかった。それが、あたしの人生における空虚のはじまりだ。あいつらは、自分たちが「成りそこなったもの」に成れ、と言うばかりで、あたしが何に成りたいかを聞いてきたことは1度もなかった。
そして友達にも恵まれなかった。誰もかれも、あたしの才覚や、財布の重さを知って声をかけてくる人間ばかり。必要以上に距離を詰めてくるか、必要以上に距離を置くか、それだけ。あたしは、獣と人の区別がつかないまんま、人生に何の驚きも得られないまんま、気づいたら神童の時代を過ぎて、高校生になっていた。
ある程度、自分のやることに責任を負えるようになってきた。そう感じてからは、この退屈さを紛らわすために好き放題にやった。学校の成績さえ良ければ、両親は何も口を出してこなかったし、家が金持ちであることを隠しておけば、友人の眼が淀むこともなかった。あたしは上手くやっている、そう思いながら、その実からっぽで何にもない自分を、どう表現すれば落ち着きがいいかを模索し続けた。髪を染めたら、あたしは誰かになるだろうか。ピアスを開けたら、あたしは誰かになるだろうか。漠然とした退屈さを引き連れて、あたしは渇望し続けた。
そのうち、あたしの家のことがバレて、言い寄る男が湧き始めた。とりあえず、誰とも1回は遊びに行ってやったけど。でも結局、あたしの中身がからっぽだと気づくと、男たちはそれを埋めようとした。あたしの空白に「自分の都合」を注いで、自分好みのものに造り替えようとした。誰もかれも。誰もかれもだ。一人としてあたしの想像を超えたことは無かった。それが退屈で、退屈で、退屈で。突き放し続けるうちに悪評が立ち、嫉妬、侮蔑、ウワサのヒレも大きくついて、やがてあたしは不良と呼ばれるようになった。
いいね。
あたしに貼られた初めてのレッテルを、あたしは快く思った。自分の行い、積み上げてきたもの、それが評価されて、称号になった。それは紛れもなくあたし自身であり、両親も友人も関係ない。空っぽのあたしが、初めて何者かになった。
真ん中で。灰色で。均衡の取れていたあたしの属性が、はじめて一方に傾いた。依然として獣と人の区別はつかないまま、それでもあたしは「不良」になった。
「気持ち悪。」
不良だから、こんなことも平然と言う。男も女もどうせ獣だ。誰であってもあたしは悪態をつくだろう。感じたままを言う。この自由を、悪徳と呼ぶならばそうするがいい。あたしは全てに対して平等だ。あたしの内面の空虚に気づかず、その背後にあるものばかりを追ってくる獣たち。
どいつもこいつも、決定的につまらないのだ。
帰路の最中、ふと振り返って、あたしは目を見開いた。数日前に、校舎の裏であたしに俗っぽい言葉を浴びせた後輩が立っていたからだ。この女こそ、退屈さの具現のようなやつで、まったくありきたりな言葉で、これまでの男と同様に、あたしに恋を嘯いたのだ。凡庸で、普遍的で、特筆すべき点など、何もない女、それが。
その瞳に、慕情がほの見えた刹那、あたしは地面を失った。
もがくようにして腕を振る、が既に遅い。あたしは光に照らされ、視界の端に電車を見た。否応なく。望むべくもなく。判断する猶予さえなく。あたしは1秒を行使する他になかった。切り離された一瞬で、あたしは線路上から飛び退った。ほんの一瞬でも足がもつれていれば死は避け得なかっただろうが、それでもあたしは上手くやった。
心臓がばくばく言って破裂しそうだ。あいつの仕業だ。あの後輩がやったんだ。
ちくしょう。
あたしは1秒を使って、自らを襲った殺意を退けた。
1度きりの機会だ。
同じく1つきりの、命のために消費することは必然だったのだろう。
あたしは困惑の最中に、感じるままの言葉を吐いた。
「…おもしれー女!」
【短編】1秒 @Mapusan
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