桃の回廊2

 清楓きよかの祝詞で『速足はやあし』の効果が全員にいきわたる前に、無二むには先に走り出す。

 その効果をもってしても、清楓きよか達は無二むにの背中すら見ることが出来なかった。だが、ここは一本道が続いている。無二むにの言葉をただ信じ、清楓きよかは唇噛みしめて走っている。


「なるほど、そういう事か。お嬢、もっとゆっくり行った方がいい」

 急に速度を落とした優一ゆういち。その前を走っていた清楓きよかは、その言葉に応じずに走っていく。だが、その手を掴むものがいた。


清楓きよか、ちょっと……、待ってください……。私……、息が……、もちません……」

 必死にその手を掴んだ白菊しらぎく。だが、それをすぐに離して自ら呼吸を整えていた。

 その間に、清楓きよかも呼吸を整えている。


「どうして……なの? 急ぐん……でしょ? そのための……、『速足はやあし』じゃない……。それに、清華すみか姉様に……、危険が迫っているのに……、のんびりなんて――」

「だから……、落ち着けって……、お嬢……。無二むには『急げ』とは一言も言ってない。アイツは分かってるんだ……。すげーよ、アイツは。オレがあのくらいの年に出来たことは、母上の仇を討つために必死に修行することだけだった。だが、この俺が費やした十五年の修行。その成果ですら、アイツの足元にも及ばない。それだけじゃない。今の状況を色々分析してるんだぜ。おそらく、オレ達がたどり着く時間と、伏雷神ふすいかづちのかみがやってくる時間。それを踏まえた上でアイツは行動を考えている。それを踏まえて考えると、オレ達がついてすぐに戦闘になるという事だ。アイツは、何故かそこが戦場にふさわしいと考えたのだろう。何故かは分からないが、そう考えた。おそらくこれは真実だ。清華すみかお嬢くらい、アイツ一人でおぶって逃げることはできたはずだ。だが、それをせずに、オレ達に知らせに来た。それにはきっと訳があるはずだ」

 弾む息を整えて、優一ゆういち清楓きよかにそう迫る。興奮したように両肩を掴まれて……。

 力説する優一ゆういちを、清楓きよかは最初、ただ唖然と見ているだけだった。


 だが、途中から冷静になり、その言葉の意味を考えていた。


「ふーん……。なる……、ほど……、なる……、ほど……。つまり……、この僕の……力が……必要な……わけだ……。九頭竜くずりゅう……の……力……でないと……、太刀打ち……できない……。でも……、息切れ……した……のでは……、術がうまく……使えない……。そういう事か……。可愛いじゃないいか……、あの少年……。黒雷神くろいかづちのかみの時は……、恐れをなしたあの犬が……、早々に……僕を面妖な技で……遠ざけてしまったからね……。優一ゆういちの奇跡の業がなければ……、少年も危なかった……。だから……、今回は最初から……、この僕に頼って……、きたのだよ……。ああ、素直じゃないな……、彼は……。でも……、子供のすることだ……、勘弁して……、あげようじゃないか!」

 額の汗をぬぐいながら、九頭竜くずりゅうは息も絶え絶えにそう告げていた。あくまでも尊大な姿勢を崩すことなく、弾む息を整えながらも、精一杯自分を引き立たせる。


「そうですね。清楓きよかの『逃げ足』をもってすれば、もっとたくさん逃げれたでしょうね。今度こそお願いします。逃げ龍にげりゅうさん」

 ようやくその息が整い始めたのだろう。白菊しらぎくがその毒舌をふんだんに発揮している。

 その言葉を鼻で笑い飛ばす九頭竜くずりゅう。単に息が上がっていたのかもしれないが……。だが、それでも彼は虚勢を張る。背の低い白菊しらぎくを覗き込むようにして見ながら、自分の名前を訂正していた。


「なんとでも言いたまえ……。僕は九頭竜くずりゅう……だ! 逃げ龍にげりゅう何て奴は……、知らないな!」

「そうでした。すみません、ニゲさん」

「誰が、ニゲだ。クズだよ! ――九頭竜くずりゅうだ! 間違えないで……、くれたまえ!」

 一瞬、自分で言い間違いをしたことに気付いたのだろう。無二むにがよく『クズ・リュウ』と言っているために、そこで切ることに洗脳されていたのかもしれない。

 いずれにせよ、結果的に白菊しらぎくの罠にはまった九頭竜くずりゅうは、自ら分の悪さを思い知っていた。


「ほら、休息はもういいだろう。そろそろ行った方がよくないか?」

 憮然とした表情で、九頭竜くずりゅうは先に歩き出す。『速足はやあし』の効果があるので、通常の速度とはけた違いに早い歩きとなっていた。


「そうね、でも、九頭竜くずりゅう。頼むわ」

 その背に向けて、珍しく清楓きよかがそう告げていた。それを背中で聞きながら、九頭竜くずりゅうは片手をあげて答えていた。

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