桃の回廊1

 黒雷神くろいかづちのかみのいた場所から、ほどなく歩いたその先に、ちょうど開けた場所があった。そこには誰かの手が加わったように、巨大な岩が並んでいた。その隅に、ぽっかりとあいた空間があった。そこでしばらく休んだ一行は、その巨石が並ぶ道を歩いている。不思議と根の国の住人には出会わない。


 隠形おんぎょうを使っていなくても。


「お嬢、そろそろ機嫌を直したらどうだ? アイツも悪気があって言った事じゃないだろう? それとも別の事に怒っているのか?」

 自分のすぐ左隣を歩く清楓きよかに、優一ゆういちは声をかけている。だが、清楓きよかは不機嫌な様子を隠そうとせず、ただ前を見て歩いていた。


「でも、アイツのいう事は一理あるぜ。伏雷神ふすいかづちのかみを引きつれた清華すみかお嬢が、この根の国のどこに連れて行ったか分からないんだ。闇雲に探し回るのは得策じゃない。いったん戻って、その居所を突きとめてから出直しても悪くない話だ。アイツはそのために残ると言ってる。アイツなら、気づかれることなく清華すみかお嬢を助けることが出来るかもしれない。だが、オレ達は姿を消すとお互いの様子も見えない……。いや、見えなかったんだ。もし、迷子になって伏雷神ふすいかづちのかみと出会えばどうなるか。記録によると、伏雷神ふすいかづちのかみ隠形おんぎょうを見破る術を持っているらしい。だから――」

「うるさいわね。わかってるわよ、そんなこと」

 説教めいた優一ゆういちの話にうんざりしたように、清楓きよかはその話を遮っていた。すぐ後ろを歩く白菊しらぎくの小さな笑い声が聞こえる中、今度は正吾しょうごの説教が始まっていた。


清楓きよか殿。優一ゆういち殿の言は一理ありますぞ。それを『うるさい』の一言で片づけるのはよろしくないでしょう。そもそも――」

「はい、正吾しょうご兄様。それくらいにして下さいまし。そろそろ清楓きよかが叫びだしそうです。かつては桃の樹で埋め尽くされていたこの散策路も、今はわずかな神聖さを残すのみです。ですが、それは寄せ付けないといった程度のこと。ただ、そのおかげで、こうして話をしながら歩けるのですからたいしたものです。ですが、根の国の住人達も来ようと思えば来られるのですよ。ここで清楓きよかが騒ぎ出すと、一斉に彼らが集まってくるかもしれません。無二むにさんがいない時に、清楓きよかに何かあれば、とりなした私が叱られます。でも、あとで必ず嫌がらせはあると思いますけどね」

 無表情で割って入る白菊しらぎく。その顔は、有無を言わさぬ迫力があった。


 気勢をそがれ、黙る正吾しょうご。だが、当の清楓きよかは面白くない。ただ、それを言えば、また白菊しらぎくにからかわれる。


 その事がわかっているのだろう。清楓きよかはその言葉に対して、ただだんまりを決め込んでいた。


清楓きよかは面白くないんですよ。色々と。でも、一番は本当のことを言われて言い返せなかった自分に腹を立てているのです。そして、死にかけてしまった事もそれに拍車をかけています。そんな時に、『お膳立てするから、美味しい所だけたべなさい』みたいなことを言われたものだから、頭に血が昇ったのです。そして、極めつけはあの目薬。清楓きよかの我がままに付き合うことを決めた無二むにさんが出した目薬で、みなさん隠形おんぎょうしていてもお互いが見えるようになりました。元々見える無二むにさんにはいらない薬だからと、皆さんにお配りになったでしょう? あれも面白くなかったはずです。『それなら何で先に出さないの!』って感じですね」

 白菊しらぎくの言葉に、ついに清楓きよかは歩みを止めて振り向いていた。


「事実でしょ? みんなだってそう思わない? 『見えないから危険』とか言っておいて、『見える薬がある』なんておかしいじゃない? それなら先に出していれば、あんな喧嘩しなくて済んだのに――」

 少し頬を膨らませ、清楓きよかはそう白菊しらぎくに詰め寄る。それを聞いた白菊しらぎくの眼に、『言質げんちを取った』という輝きが宿っていた。

 それを瞬時に感じた清楓きよかは、それ以上の言葉を飲み込んでいる。


「ほほう。では、清楓きよかが不機嫌なのは、無二むにさんに色々言われたからではなく、喧嘩になってしまった事でしたか。なるほど、そうですね。無二むにさんは、これまでずっと清楓きよかの身を案じていました。帰るように説得したのも、瀕死になった清楓きよかを見た直後ですし、清楓きよかのすることに対しては反対していませんでしたからね。むしろ、未熟な清楓きよかが成功できるように、色々と準備しているような感じですしねぇ」

 無表情な顔で覗き込むように見る白菊しらぎくの視線を、清楓きよかはのけぞるように避けている。だが、それは避けようのないものだったのだろう。答えに窮した清楓きよかは、顔を真っ赤に染めるしかなかった。


「ねぇ、無二むにさん」

 白菊しらぎくの急な視線変化に、清楓きよかは動揺を隠しきれずに振り向いている。だが、振り向いた先には誰もいない。一瞬戸惑う清楓きよかだったが、すぐにその事を理解する。しかも、頭に血が昇ったのだろう。それ以上周りを見ることが出来ていなかった。


「だましたわね――」

「どうした? 白菊しらぎく


 白菊しらぎくを責める為、再び振り向いた清楓きよかの目の前に、真っ黒な背中がいつの間にか現れていた。白菊しらぎく自身は手を振って、『なんでもない』と黒装束に告げている。


「あっ、ごめんなさい」


 それは反射的なものだったのだろう。自分が誰かにぶつかった為にでた清楓きよかの言葉。それを受け止める者が誰かも知らずに。


 ただ、ぶつかった拍子にバランスを崩したのだろう。ぶつかった清楓きよかの方が、尻餅をつきそうになっていた。


「問題ない。謝らなくていい。それよりも大丈夫か?」


 握られたその手で、清楓きよかは危うく難を逃れる。だが、今までのすべての事が白菊しらぎくによって謀られたと知った清楓きよかの顔は、怒りと羞恥心に染め上る。


「しーらーぎーくぅ?」

「よかったですね、清楓きよか。ちゃんと謝れました。しかも、許してもらえましたよ。これで仲直りですね」

 怨嗟にまみれたその声は、根の国の住人もかくやといったもの。だが、それは白菊しらぎくの言葉で急に静まる。


 だが、無二むにの告げた一言が、その全てを飲み込んでいた。


「見つけた。かなり距離があるが、ここをまっすぐに行ったところだ。そこに幹の途中から二本の樹がよりそって、一本になったような巨木の躯がある。その根元に一人の巫女が隠れている。幸い、まだ見つかっていない。だが、それは気配がかなり弱っているからだろう。さらにその先から巨大な力が迫ってきている。おそらく伏雷神ふすいかづちのかみというやつだ。清楓きよか、『速足はやあし』をかけるだけでいい。おそらく、走らない方がいいだろう」


 それはそれまでの雰囲気を脇に置き、一瞬で塗り替える力を持った言葉だった。

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