析雷神2

 ほんの一瞬、析雷神さくいかづちのかみに驚いたような雰囲気が醸し出される。だが、それは朝顔の露のようなものだった。


「それは叶わぬ夢だ、朋読の娘。そなたの姉は、この結界まで迫った伏雷神ふすいかづちのかみを引き付けて根の国奥に向かった。その時に、麿に言伝ことづてを残しておる。それは、あとから来るであろう自分の妹へ向けたものだと言っておった。それが汝の事であろう。伝えるぞ、『ゆめゆめ、己が役目を忘るる事なかれ』とだけだ。何のことかはわからぬが、人の情とは不思議なものよな」

 無機質な顔に、一瞬だが微笑みが生まれている。だが、それもすぐに消えていた。


「さて、必要なことは語り終えた。ここはまだ黄泉平坂よもつひらさかとはいえ、生者がいつまでもいるべき所ではない。とく去れ、汝の役目が何かは知らぬが、姉の心意気を無駄にはするな」


 再び腕を振るい上げた析雷神さくいかづちのかみ。そこにはすでに冷酷な顔が宿っている。一触即発の気配がそこに満ち溢れていく中、無災むさい九頭竜くずりゅうが姿を見せて行動を開始する。


「さがれ、お嬢。ここは危険だ!」

 すかさず飛ぶ優一ゆういちの警告。すかさず己の体に鋼を宿し、その攻撃に備えていた。

 だが、清楓きよかはそれでもあきらめない。もう一度、析雷神さくいかづちのかみに自分の望みを告げていた。


析雷神さくいかづちのかみ様、いきなりの無礼をお許しください。でも、なにとぞお願いします。アタシ達を、根の国に赴くことをお許しください」

 それをすることが最良と判断したのだろう。清楓きよかは頼みと共に、祝詞を唱え始める。それは神への感謝を告げる奉納の言霊。さしもの「析雷神さくいかづちのかみも、それには冷静に対応していた。


「くどいぞ、朋読の娘。汝では、八雷神やくさのいかづちのかみを説得することはできぬ。汝の祝詞で分かった。汝の資質は他にある。己が分をわきまえるがいい。生者が生身のまま根の国に踏み入るなど、ことわりを乱す行いであると告げたであろう。まして、汝の求めるものは、そこにはない。麿がこうして言葉を交わすのも、汝が朋読の巫女に連なる者だからこそ。だが、それも限りがある。麿はことわりを守護するもの。これ以上の例外を作るつもりはない」

 必死に食い下がる清楓きよかの言に、析雷神さくいかづちのかみは動きを止めていた。それを見た清楓きよかは、さらに力を込めて訴えかける。


「ですが、析雷神さくいかづちのかみ様――」

「不敬なり、朋読の娘。これ以上の問答はまかりならぬ」

 清楓きよかの言葉を遮って、鋭い眼光が清楓きよかのすぐ横の何もない空間に向けられていた。しかし、それは瞬く間にさらに横へと動いていく。まるで、清楓きよかから離れるように。

 析雷神さくいかづちのかみの視線を追いつつ、清楓きよかは自分の訴えを続けていく。


「何故です? 析雷神さくいかづちのかみ様。せめて、それを教えて頂き――」


 だが、その刹那。析雷神さくいかづちのかみの目が光る。


 それと共に、急に伸びる四本の腕。それは突きの連続技として、容赦なく貫いていた。何もないその空間を、何かを追うかのように。


 黄泉平坂よもつひらさかの赤茶けた大地が、まるで悲鳴を上げるかのように、周囲に土煙をまき散らす。


「汝が連れに、修羅しゅらがいる。それは戦いを好む鬼よ。黒雷神くろいかづちのかみあたりが喜びそうだが……。見よ、この者がおる以上、麿らと戦いになるは必定。これより先、初めから汝の言葉に耳を傾ける八雷神やくさのいかづちのかみは一人もおらぬ」


 そう告げて、四本の太刀を引き上げる析雷神さくいかづちのかみ。濛々とした土煙が治まる頃、そこには平然と立つ無二むにの姿があった。

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