析雷神1

 消えたままの清楓きよか達は、大岩の回廊を抜けていた。そして、初めて目にしたその存在に、清楓きよかは金縛りのようになっていた。


 前にいる大鬼も、優一ゆういちの体の倍はあるのだろう。まさしく鬼の形相にふさわしい顔つきで待ち構えている。だが、それが霞んで見えるほど、その後ろには圧倒的な存在感があった。

 もちろんその体つきは、大鬼を更に上回る。おそらくその倍はあるのだろう。だが、特筆すべきはそれだけではない。


 長い四本の手には、それぞれ大きな太刀が握られている。

 無機質な顔には、まるで貴族のような化粧が施されている。その事は、からくり人形のような体には不似合いに感じるが、不思議な気高さがそこにあった。


 そして、その存在を固めるように、前と左右に女の幽霊が漂っていた。


 全て無二むにが報告した通りの姿。必要な情報は、すでに清楓きよか達の頭の中に入っていた。


 にもかかわらず、それを目にした途端、一行はそこで固まっていた。互いの姿は見えないままで。

 

 まるで金縛りにでもあったかのように。


 話で聞くのと実際に見るとでは大違いな事だったのだろう。

 おそらく相手の姿を目の当たりにして、気勢をそがれたに違いない。仲間の姿が見えないという孤独感も影響しているのだろう。それが不安を呼びこんで、必要以上に体を固くしてしまっていた。


 だが、そんな事を気にしないような言葉が聞こえてくる。いつものように、いつもの感じで。声の主の姿は見えないまでも、その顔は皆にいつもの顔を向けていた。


「どうした? いかないのか? 相手は番人。あそこからは動かない。それに、相手はすでに気付いている」

 無二むにの言葉が示すように、析雷神さくいかづちのかみはすでに戦闘態勢を整えている。しきりに体を前後に動かしながら。


「いくわ! 当たり前じゃない!」

 あくまでも気丈に応える声が聞こえたかと思うと、クスリと笑う声も聞こえる。それに応えるように頷く姿も、そして自ら気合を入れ直す姿もあった。見えないまでも、そこにいる事が容易に想像できる。それが、清楓きよかに安心感をもたらしていた。


「よし」

 小さな気合の声をあげた清楓きよかが、まず歩き出していた。自分が先頭を歩くことで、その意気を見せるかのように。


 だが、清楓きよかは気付いていない。その半歩前を歩くその存在を。


***



「…………違いたる、吹きすさぶ風、至りし……か……。関を守るが、麿の務め。なれど、やいばの前に言葉あり。聞け、生者よ。境界を越えてはならぬ」

 清楓きよか達がその真正面まで来た瞬間、析雷神さくいかづちのかみの目に光が灯る。それが合図となったのだろう。周りにいる大鬼や幽霊が一斉に清楓きよか達の方を見ていた。


 だが、まだ襲ってこない。虎視眈々としたその眼は、清楓きよか達の方を向いている。しかし、それ以上は動かない。ただ、その場で何かを待っていた。


「生者が生身のまま根の国に踏み入るなど、ことわりを乱す行い。とく立ち去れ。なんじが住まうべき世界へ帰れ。麿は無用な争いを好まぬ」


 振り上げていた太刀をおろし、析雷神さくいかづちのかみの雰囲気が一瞬穏やかさを見せていた。


 だが、それは清楓きよかの望むことではない。


「待ってください! 析雷神さくいかづちのかみ様! お話を聞いてください!」

 大鬼のすぐ前に、清楓きよかが姿を現し進み出る。その姿を見ても、大鬼は睨むだけで行動を起こさない。ただ、析雷神さくいかづちのかみの指示を待っているかのように、後ろをちらりと振り返っていた。


 その無謀さに、大慌てで駆け寄る優一ゆういち。姿を現しながら、清楓きよかと大鬼の間に割って入る。いつでもその攻撃を受けられるように。


 優一ゆういちの目と鼻の先に大鬼がいる。その手にしている金棒を見た優一ゆういちは、思わずつばを飲み込んでいた。


 だが、清楓きよかの勢いは止まらない。


析雷神さくいかづちのかみ様。根の国に生者が行くことがことわりに反するのであれば、死者が生者の国に赴くことはことわりに反しないのですか? アタシ達はただその事を訴えに来ただけです。根の国からの侵攻をおやめください!」

 必死に訴えかける清楓きよかの姿を、析雷神さくいかづちのかみはその無機質な目で眺めている。だが、何かを感じ取ったのだろう。その瞳は心なしか穏やかな光を見せていた。


「朋読の娘か……。吹き荒れるこの世界に、安らぎの風をもたらす者。汝と同じことを申した娘は、それをする為に根の国に赴くことを願った。麿もことわりを乱すことは好まぬ。母の真の願いを思う故に。だが、せっかく許したあの者も、力及ぶものではなかった。大雷神おほいかづちのかみはともかく、他の者は母の願いをかなえることに執着しておる。特に黒雷神くろいかづちのかみなどはその最たるもの。麿の結界が無ければ、すでに現世うつしよに飛び出していたであろう」

 一瞬、析雷神さくいかづちのかみの光が異質な光を帯びていた。それはまるで、遠い目をしているかのような感じに見える。


 ただ、それを清楓きよかは感じたのだろう。能面のようなその顔を清楓きよかは食い入るように見つめていた。


「安心せよ、朋読の娘。汝と同じ娘はまだ健在。じゃが、一人はまもなくこの世界の住人となろう。それが根の国に生身で訪れたものの宿命」

 析雷神さくいかづちのかみの一言に、清楓きよかの体が一瞬で強張る。その事を感じたのだろう。振り返った優一ゆういちが、その体を支えていた。


 その無防備な背を見ても、大鬼は動かない。あくまで析雷神さくいかづちのかみの指示をじっと待っていた。


 倒れそうになるところを優一ゆういちに支えられた清楓きよか。いつの間にか姿を現していた白菊しらぎくがその手を取り、その隣の正吾しょうごが頷いている。それぞれが清楓きよかを見て頷いていた。


 その三人の顔を順番にみる清楓きよか。その顔に力をもらったのだろう。彼女は再び自分の足で前に出る。その瞳を決意の色に染めて。


析雷神さくいかづちのかみ様、お願いがございます。アタシ達も、根の国に赴くことをお許しください。姉に変わり、アタシがその役目を引き受けます」


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