第三章 根の国の異変

黄泉平坂を越えて

 目が覚めたあの時、少年の目には青い空が広がっていた。その色の碧さが少年の瞳に宿っている。だが、今見上げている空の色は、赤黒いものだった。太陽はなく、代わりになるような物は無い。だが、空全体が赤黒く光ることで、この世界を照らしている。しかも、大気のうねりを感じさせるように、ところどころに縞模様が出来ている。


 ふと視線を下に向ければ、そこは赤茶けた大地が広がっている。緑の植物はここにはなく。同じ色の岩と、同じ色の植物のような形をしたものがそこにあった。


 もちろん人の姿はない。ここは、生者と死者の間の世界。根の国に至る下り坂。


 ただ、人の代わりに彷徨さまよう幽鬼の姿はある。あてもなくさまようその姿は、行く当てがないのだろう。ややもすると同じところに帰ってくる。

 

 小鬼や鬼。魔犬や魔狼といった姿もそこにあった。変わったところでは、使い古された人形や人の生活の道具といったものが、時折行列を成して通っていく。

 目的があるのか、ないのか。それすらわからないが、そんな光景が繰り返されていた。


 それを眺める少年の姿は、今は誰にも見られていない。隠形おんぎょうを使い、気配を殺して歩く無二むに。その彼を捉える事は、おそらく容易ではないのだろう。


 ただ、時折鼻の効くものがいる。何か感じるものがあるのだろう。その者は他の者が立ち去ってもなお、周囲をしきりに嗅ぎまわっていた。


 だが、それも一瞬で終わりを迎える。


 背後から静かに喉笛をかき切られ、倒れる音さえ許されずに、そこにいたことを消されていく。嗅ぎまわった姿のままで、それは闇に葬られていた。あたりに飛び散った血の跡は、大地が余すところなく吸い込んでいく。


 そして再び、少年の姿は消えていく。


 それが繰り返し行われていた。やがて周囲にその気配が無くなる頃、少年は消えたまま移動を開始する。素早く、そして警戒しつつ。


 そうして向かったその場所は、少しくぼんだ場所に揺らぎを見せる場所だった。それはかつて青龍の洞窟で見た結界と同じもの。姿を消した少年がそれをくぐると、中では清楓きよか達の真剣な顔が出迎えていた。



「遅かったじゃない。どうだったの?」

 一瞬その結界が揺らいだ後、何者かがそこに入った様子が広がる。それを見た清楓きよかが、待ち遠しい気分を隠そうとせずに話しかけていた。


 その瞬間、隠形おんぎょうを解いた無二むにが姿を現す。


「向こうにいるのは、情報通りからくり人形のようなものだ。ただ、かなり大きい。しかも、さっき倒した魔犬と違い、感じるその強さはけた違いだ。だが、倒せない訳じゃない。さらに、その背後には、明らかな空間のゆがみがある。おそらくそれが黄泉平坂よもつひらさかと根の国の境界線だろう。だから、そのからくり人形がそれを守る番人で間違いない。情報が正しければ、八雷神やくさのいかづちのかみの一人、析雷神さくいかづちのかみで間違いない」


 淡々とした報告をする無二むには、青竜の時と同じように見たことを皆に説明する。それを聞く皆の顔は、緊張感に包まれていた。


 周囲の地形、そこにいる者達の姿かたちとその位置関係。それらをつぶさに報告していく無二むに。平然と告げるその表情は、緊張感漂うこの中ではかなり異質なものだった。


「なるほどね、敵は五体。析雷神さくいかづちのかみを中心に、前と左右に幽霊がいるわけね。そして一番前に大鬼が一体。青龍と同じで術攻撃が中心ってわけね。ただ、析雷神さくいかづちのかみは四本の腕にそれぞれ太刀をもっているのね?」


 その質問に黙って頷く無二むに。それを受けて、違う声が上がっていた。


「だとすると、これは厄介ですね。これは幽霊が術を使い、析雷神さくいかづちのかみと鬼が肉体労働といった感じでしょうか。ですが、析雷神さくいかづちのかみも術を使うでしょうね。優一ゆういちさんはこの二つを引き付けなければなりません。でも、この世界でもやはり、肉体のない幽霊には、肉体労働は難しいということですね」

 真面目に語る清楓きよかに続き、白菊しらぎくが無表情でそう語る。


 一瞬、清楓きよかが『冗談を言っている場合か?』という雰囲気を見せる中、無二むにが真面目に答えていた。


「いや、術以外にも普通に攻撃してくる。普通に刃も通る」

「知っています。地上もそうです。瘴気の濃い所ではそうです。常識です。無二むにさんも、少しは冗談という言葉を覚えた方がいいですよ」


 無表情ながらも、怒った感じを見せるようにそっぽを向く白菊しらぎく。それを見た無二むには、なぜそうなったのか不思議そうに首をかしげて清楓きよかを見ていた。


 その姿が滑稽に思えたのだろう。清楓きよかの顔に笑顔が戻り、それが皆に伝わっていく。


「まあ、何にせよ、とにかくオレが鬼たちをひきつけておくから、あとはよろしく頼む。白菊しらぎくの嬢ちゃんは回復に専念だな。オレもここでうぬぼれる気はない。それとだ……。今回はちゃんと指示に従ってくれよ、九頭竜くずりゅうさんよ。相手は間違っても神だ。オマエさんの術を効果的に使わないと倒せないだろうな。お嬢が指示するように動いてくれよ。オマエさんの術が決め手になるだろう。無災むさいも頼むぜ」


 優一ゆういちのその言葉に気をよくしたのだろう。九頭竜くずりゅうは鼻腔を大きく広げたまま、顎を上げて目を瞑る。そして、一拍置いた後に立ち上がり、全員を見回すように宣言していた。


「ふっ、そうまで言われるとしかたがない。所詮は機械仕掛けと死に損ない。この僕の爆炎で跡形もなく吹き飛ばしてやろうか! さあ、清楓きよか君。この僕に頼るがいい。一番得意な爆炎術を、特別に君たちに見せてやろうじゃないか!」

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