疑いの中で2

 不意に訪れた静寂は、おそらく居心地が悪かったのだろう。立ち上がって動かない清楓きよかの姿に、酒場の空気は元に戻る。


「まあ、まあ、お嬢。そろそろ座った方がいいと思うぞ。せっかく『人の話は最後まで聞く』を実践しているんだ。もう少し頑張ってみた方がいいんじゃないか? このままだと、さっき感動したふりをしたオレがかわいそうだ」

「そうです。私の驚いたふりを白紙にする気ですか? それはそれで驚きです。でも、清楓きよか、よかったのですか? せっかく静まり返ったのです。あのまま盛大に宣言してもよかったですのに」


「…………何かしら? それ……」

 座りながらも清楓きよかは、白菊しらぎくに問いかける。その挑戦的な視線を受けても、白菊しらぎくは表情一つ変えていない。


 それでも睨み続ける清楓きよか。だが、自らの不利を悟ったのだろう。あきらめたように、清楓きよかは黙って自らのお茶を口に運んでいた。


 その様子に、白菊しらぎくはようやく口を開ける。


「『この子はアタシのものだから、アタシの好きにするから』って感じでしょうか。名前にしても、かなり適当につけてましたし」

「な!?」

「その話な。確かにそうだ。そうだな……」

 吹きこぼしそうになるのをこらえた清楓きよか。その隙に、優一ゆういちが話しはじめて、途中で止める。まるで、清楓きよかに話をさせないように。


 タイミングを逃した感じの清楓きよかは、しばらく優一ゆういちを睨んでいた。それを笑顔で迎える優一ゆういち。だが、それも長くは続かない。再び何事もなかったかのように、清楓きよかは再びお茶を口に運ぶ。


 それを待っていたかのように、優一ゆういちが続きの話をしはじめた。明らかに残念そうな態度を見せて。


「確かに、あれはかなり適当だったな。『記憶を失ってもアナタはアナタ。ここにいるアナタは、唯一無二の存在だわ』までは、オレもちょっと感動したが――」

「ええ、まったくです。台無しでした。『だから、アナタは唯一ゆいいつ……。言いにくいし、優一ゆういちと間違えるわね……。そう、無二むに! これで決まりね!』って、言ってました。これは、適当以外考えられません」

 肩をすくめる優一ゆういち白菊しらぎく。その会話を黙って聞いていた正吾しょうご。唖然とした顔を隠さずに、思わず無二むにに向かって尋ねはじめた。


「そんな適当な……。そなたはそれでよかったのか? 無二むに殿」

 先ほどは疑念の瞳を向けていたにもかかわらず、正吾しょうご無二むに憐憫れんびんの情を向けている。その顔を困惑の表情で返しつつ、全員の顔を見回す無二むに。そして、隣に視線を向けたあと、口に手を当てて何かを考え始めていた。


 そこには、何か言うのを必死でこらえる清楓きよかの姿があった。


「俺には記憶がない。戦う方法は体が覚えているが、何をしに来たのか、何をしていたのかもわからない。何より、俺自身が誰なのかも分からない。そんな時に俺が俺でいいのだと言われた時には、本当に救われた気分だった」

 無二むにが話す言葉に、俯いた顔をあげる清楓きよか。所々響くその言葉に小さく体を震わせながら、白菊しらぎく優一ゆういちに向けて、勝利の笑みを浮かべていた。


 その言葉を聞くまでは――。


「だから、どんな名前を付けてもらっても文句は言えないと思う。たとえ、どんなひどい名前と言われても、俺は感謝しなければならないのだと思う」

 その瞬間、まるで岩でも落とされたかのように、清楓きよかは顔を沈めていた。明らかに落ち込む姿を見せる清楓きよか。それとは対照的に、優一ゆういち白菊しらぎくの目が輝く。


「『どんな名前を付けてもらっても文句は言えない』って、そうだよなぁ。文句は言えないよなぁ。なあ、お嬢」

「『どんなひどい名前でも、俺は感謝しなければならない』ですね。感謝されていますよ、清楓きよか。よかったですね」

 にやけ顔と、無表情。その顔が、無二むにの言葉に自分たちの気持ちをのせて清楓きよかに送りつけていた。


 穴があったら、今すぐにでも入りたい。清楓きよかの態度はまさにそれを体現している。その様子に、さすがの正吾しょうごも口をはさむ。


優一ゆういち殿、白菊しらぎく殿。毒舌もそのあたりで終わりにしてください。ほら、清楓きよか殿。無二むに殿も悪気があっての事ではありません。適当につけた、珍妙な名前とはいえ、彼は感謝しています。だから――」

 正吾しょうごの言葉が終わらぬ間に、清楓きよかは無言で席を立つ。おそらくいたたまれなくなったのだろう。何も言わず、そのまま走り去っていた。

 

 その様子に慌てる無二むに。席を立ち追いかけようとした瞬間、素早く優一ゆういちが制止の手を伸ばしていた。


「お嬢ちゃん。あとは任せるぜ」

「お任せされます。ご心配なく」

 真剣な顔で無二むにを見ながら、言葉を白菊しらぎくにかける優一ゆういち。その言葉に、白菊しらぎくは無表情で親指を立てていた。


優一ゆういち殿、白菊しらぎく殿。二人はいつこのような策謀を……」

 この状況は作為的なものである。そのことを理解した正吾しょうごが、ため息をつきながらもそう告げる。それが必要なことだと理解しているものの、知らない間に自分も利用されていたことについては、受け入れがたいものなのだろう。


正吾しょうご兄様。私は清楓きよかをからかっているだけです。他意はございません。では失礼します。では、無二むにさん。また明日」

「ああ、俺もからかってるだけだ。なに、お嬢の事だ。明日になれば、やり返してくる。どうするか、賭けるか?」

 三人に礼をして去る白菊しらぎく。それに応じながらも優一ゆういちは、正吾しょうごに酒の追加をすすめていた。

 それを丁重に断る正吾しょうご。そのまま自分の手の届く範囲にある食器を集め、片付けやすいようにしていた。

 残念そうに肩をすくめた優一ゆういちは、自分の所にある酒を集めて飲み干していく。そして無二むには、相変わらず黙ってその場に座っていた。


 白菊しらぎくの姿が店の中から見えなくなるまで、残った三人はそうして過ごしていた。


「さて、酒もなくなったことだし――」

 不敵な笑みを浮かべ立ち上がった優一ゆういち。それに呼応するように、正吾しょうごもまた立ち上がる。


 そんな二人の姿を、無二むには顔をあげて見つめる。そこには、かつてない真剣さを持った顔が二つあった。


「場所を変えるぜ、少年。オマエさんに会いたいという人がいる」


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