密議

 扉を全て閉めきっているにもかかわらず、どこからともなく部屋に風が入ってきている。そのたびに揺れる燭台の炎。光と影の動く様は、まるで手を取り合って舞い踊っているかのようだった。


 朋読神社の一角にある、光魔殿と呼ばれる建物。その一室に、五人が一枚の大きな地図を挟んで座っていた。各々、板間に円座を敷いて座っている。上座には簡易式の神棚が設置されており、その前には二人の男が座っている。その正面、地図を挟んだ反対側に、優一ゆういち無二むに正吾しょうごが並んで座っていた。地図の両端には円座が置いてあるものの、誰の姿も見えてはいない。


 神妙な面持ちで、誰も言葉を発しない。だが、それでも無言が飛び交うこの部屋の中は、微妙な空気で満ちていた。部屋に入った当初は周囲を警戒していた少年。彼も、今はおとなしくしている。その雰囲気が窮屈に思えたのだろう。深くため息をついた優一ゆういちが、ちらりと上座を窺っていた。だが、それに応える気配はない。仕方ない様子を見せる彼は、この雰囲気を取り除くように話しはじめていた。


「少年、こちらは朋読神社神主である松島清春まつしまきよはる様だ。その隣は薬師元締めの新井黒海あらいこっかい殿。察することはできるだろうが、清楓きよかお嬢と白菊しらぎく嬢ちゃんの父君だ。オマエの事はおおよその事をご存じだが、もう一度ここにいる方々に、オマエの口から話してみろ」

 座る位置を少しずらし、優一ゆういち無二むにに説明する。その意図をくんだのだろう。無二むにが一度頭を下げた後、ゆっくりと地図の周囲を見回し始める。そこにいる人たちを順番に見つめ、静かに自分の事を話しはじめた。



 目覚めた時には、あの草原に横たわっていた事。

 今身に着けているものは、自分の周囲に散らばっていた事。

 何が出来るか、どんなものを使用するのか。戦いに関する技術については、刀を手に取った瞬間に理解したこと。


 そして、自分に関する事は、何一つわからない事を。


 まるで他人事のように、淡々と話す無二むに。その間も、揺れる炎が無二むにの顔に影を落とす。しかも、その紺碧の瞳には、強い光は感じられない。


「それが俺の知る全て……だと思う。俺には、それしか言えない……。怪しまれても仕方がないと思う……。でも、俺も俺自身が分からない。俺が知っているのは、俺が目覚めた後のことだけ。襲ってきた狼……、魔狼まろうと呼ばれていると聞いた……、それも知らなかった……。それを仕留めた時に、清楓きよかの声が聞こえた。だが、正直言えば、最初は戦うつもりはなかった。少し離れていたが、観察している人の気配がかなりあった。ただ、『敵を倒せ』という清楓きよかの声を聞いた瞬間、体が勝手に動いていた」

 その話を真剣に聞く松島清春まつしまきよはる。隣にいる新井黒海あらいこっかいもまた、見定めるように聞いていた。

 無二むにが語り終えてもなお、二人は無二むにを見つめている。その視線を静かに受け止める無二むに


 物言わぬ時間が、この部屋の中で居座り始める。だが、それも長くは続かなかった。


「どうやら、真実のようだ。彼が虚言きょげんろうしていることはない。物見ものみの報告で聞いてはいたが、あの魔狼まろうの群れを一撃で屠るとは……。さぞかし名のある御仁に違いない。我が娘が失礼な名で呼んでいるようで申し訳ない。そして、あらためてお礼を申しあげる」

 その沈黙を破り、深々と頭を下げた松島清春まつしまきよはる。やや遅れて新井黒海あらいこっかいも同様に頭を下げていた。


「私も礼が遅れて申し訳ない。この新井黒海あらいこっかい、心より感謝する。此度の件では、娘たちが世話になった。そなたは命の恩人と言えよう。当面行く当てがないのであれば、我らの方で住むところなどを用意させてもらいたい」

屈託のない笑顔を見せた後、新井黒海あらいこっかいがもう一度頭を下げる。その様子を見た正吾しょうごは、微妙な顔で見つめていた。


「いや、俺は無二むにという名でいい。あの時は話の流れでひどい名だと言ってしまったが、俺自身はひどい名だとは思っていない。何も無い俺には、ちょうどいい名だと思う。それに……」

 少し目を伏せ、急に口ごもる無二むに。ただ、それを告げた方がいいと思ったのだろう。再び顔をあげると、堂々とした口調で告げていた。


「行く当てもない俺が今持っているのは、この『無二むに』という名前だけだ。なら、俺も思い出すまでは、この名前を大事にしたいと思う。しかも、住む場所を用意してもらえるなら、なおさらありがたいと思う」

 まっすぐ見つめた松島清春まつしまきよはるの顔に、小さな笑みが浮かんでいた。


 ――とその時。騒がしい足音が聞こえたかと思うと、無二むにが座る後ろの扉が乱暴に開かれる。開け放たれた扉の悲鳴が、衆目の的となっている。その雰囲気に怯んだのだろう。扉を開けた本人も、次の行動を見失っていた。


 だが、それも長くはない。一拍の静けさを打ち消すように、ずかずかと部屋に押し入る少女。だが、その歩みも途中で止まる。そして次の瞬間、感情を隠しきれない少女の声が部屋いっぱいに広がっていた。

 

 その目を、部屋に置かれた地図から、上座の二人に移しながら。


「やっぱり! こんな事だと思ったわ! お父様! 黒海こっかいおじ様も! ひどいではありませんか! 約束が違います! このアタシを抜きにして、四神封じのお話をするなんて!」


 ここに至り、ゆっくりと振り向いた無二むにの目に飛び込んできたのは、顔を真っ赤に染めて怒る清楓きよかの姿だった。

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