出会いの草原

 その声に導かれるように、少年は顔を上げていた。その瞬間、彼の顔に緊張の糸が張り巡らされる。しかも戦いの気配を感じたのだろう。彼の目の色が変わっていた。


 彼が見た光景。それは、少女の言葉が持つ意味とは程遠いものだった。


 そこにいる一人の大男。簡素な鎧と巨大な鎚を持ちながら、周囲に罵声を浴びせている。だが、その相手は人間ではない。十匹ほどの巨大な狼が、大男を今にも食らい尽くそうと取り囲んでいる。しかも、その目は皆赤い光を帯びていた。


 尋常ならざるその体の大きさと気配は、狼たちが魔物化した証だろう。だが、魔物化して知能を失ったわけではない。むしろその戦闘能力と共に、さらに活性化しているようだった。


 一瞬、仲間の仇を討ちに、少年の方に来る気配を見せた狼たち。だが、何かを感じたのか、その動きを見せることはなかった。


「さあ、どうした! こいよ! 魔狼まろうども!」

大男があげた罵声につられるように、その顔を大男の方に向ける狼たち。だが、少年と共に、周囲も気にかかるのだろう。狼たちの顔は、実に様々な場所を見回している。その様子は、群れの統制がとれていない証。それは狼たちにとっては珍しい事なのだといえる。


「こっちだって言ってんだろ!」

 再び上がる大男の叫び声。それに応えるように、どこかで低いうなり声があがっていた。それに導かれるように、全ての狼たちが牙をむき出しにしながら低くうなっていた。


 再び統一した意識で、群れは大男に狙いを定める。


 だが、その唸り声も不意に消え去り、一瞬の静寂が草原を支配する。だが、それは単なる合図にすぎなかった。


 次の瞬間、続々と飛び掛かる狼たち。


 それを打ち払う大男。だが、打ち払われた狼は、また大男に向けて牙をむく。傷ついているものの、襲い掛かってくる狼たちの数は全く減っていなかった。そして、大男の鎚が届かなかった狼たちは、確実に彼を傷つけていく。


 大男がいかに強かろうとも、あれだけの数の狼たちに立ち向かわれては危ないだろう。しかも、そこにいる狼たちは少年を襲ったものよりも、さらに大きな体つきをしていた。


 だが、大男はかまわず声を上げて、自分に注意を向けている。


 それは、彼の後ろにいる者たちを守るための魂の咆哮。だから狼たちも、その声を無視することはできない。


 狼たちにとって、他に倒しやすそうな人間がいたとしても。


 そう、大男の近くには二人の少女がいる。しかも、二人は大男に比べればまったくの軽装と言えるだろう。巫女と行商人を思わせる姿は、狼の牙や爪を防ぐ手段を持っているとは思えない。だが、二人からはそれを心配している雰囲気は見られない。それぞれ己の役割を理解している顔で、自ら行動している。


 ただ、巫女姿をしている少女の顔は、まだ少年の方を向いていた。おそらく彼女が、少年に声をかけた少女だろう。そして行商人風の少女は、大男に手を突き出しながら何かを唱え続けていた。


「お待たせしました。完全回復です」

「ありがてぇ!」

 行商人風の少女が唱えた言葉を受け、大男の体が淡く光る。それは紛れもなく回復の光。体力が回復した大男は、ちょうど飛び掛かってきた一匹の狼に、大振りの鉄槌を叩きこむ。


 おそらく傷が癒えたことによる油断もあったのかもしれない。大男はその一匹の狼を討ち取る好機と考えたのかもしれない。


 力のこもった一撃が、その狼を狙って放たれた。


 だが、その瞬間。大男の死角から飛び込んできた体の小さな狼が、その腕に食らいつく。予期せぬ痛みは、大男の動きを鈍らす。


 それを飛び掛かってきた狼は見逃さない。易々と男の攻撃をかわした上に、再び攻撃する意思を見せつけていた。


 自信を持った自らの攻撃が躱される事態。そして、まるで予想しなかった出来事。


 それは、軽い混乱を大男にもたらす。しかも、包み込まれた混乱は、容易に引きはがすことができなかった。


 そして、その隙を逃す狼たちではない。

 

 次々と飛び掛かる狼たち。だが、大男も只者ではなかった。

 危機感を混乱に上書きし、見事に自分を立て直す。


 噛まれたまま鎚をふるい、群がる狼を蹴散らし始める。腕に噛みついている狼には、自らの拳をたたき込んで撃退していた。


 だが、それでも狼たちの戦意を削ぐまでには至っていない。


 何より、狼たちは大男に傷を負わしている事を感じている。大男の流す血の臭いが、風に運ばれてくるのだから。


 ゆっくりと、再び大男を取り囲む狼たち。追いこんで、徐々に相手を弱らせる。そして、戦意を失い弱ったところを一気に襲う。それが、狼たちの戦い方だというように。


 おそらく、そんな攻防がずっと続いていたのだろう。そして、形勢は大男にとって不利なものだった違いない。だが、大男の攻撃が全く効いていないという訳ではなかった。


 その証拠に、大男の周囲には何体かの小さな狼の死体が転がっている。


 しかし、多勢に無勢は否めない。何よりも、狼たちの士気は高かった。いや、狼たちは自らの勝利を確信しているから、決して引くことはないだろう。


 だが、一方の人間達も逃げるという選択肢を持っていないようだった。


 だが、大男を回復させた少女には、明らかに疲労の色が濃くしている。もし、この少女の回復が無くなれば、大男の死は確実だろう。そして、大男が倒されれば、二人の少女の命運も尽きる。今の状況が続けば、それは時間の問題と言える。


 少なくとも、少年の目にはそう映ったに違いない。


 少女がまた回復させても、大男の傷は、完全には癒えていない。しかも、そこから流れ出る血が、状況がますます悪くなっている事を知らしている。


 そんな緊迫した状況にもかかわらず、巫女風の少女の目は決してあきらめてはいなかった。しかも驚いたことに、そんな状況でも凛とした姿で少年に告げる。


「聞こえなかった? その刀は見せかけ? いいから敵を倒すのよ! あとでお礼はするから!」

 その言葉に反応したのだろう。少年は黙って刀を背負い始める。それはまるで、一方的な言い方をする少女に対して、不戦の意思を示しているかのように。

 少女の顔に一抹の後悔が浮かび上がる。


 だが、次の瞬間。少年は瞬時に取り出した苦無くないを両手に走り出していた。


「手裏剣乱舞」

 狼たちの群れに飛び込むように走る少年。その最中さなか、少年の手から次々と苦無くないが狼に向けて放たれていく。思わぬ攻撃とその苦痛に、狼たちから苦悶の声が上がっていく。


 だが、少年は止まらない。狼たちが苦無くないに怯んだ隙を見逃さない。


 その背から抜き放った妖刀を手に、さっきよりも早く狼たちの間を駆け抜ける。まるで光のレールを引くように、青白い光が少年のあとに続いていく。しかも、少年の駆け抜けた後には、あの光の蝶が舞っていた。


 一体何が起きたのか?

 

 おそらく狼たちは、その疑問すら抱けなかったことだろう。それほどまでに素早く、少年は狼たちの群れを駆けていた。


 そして、全ての者の時が止まる。


 不意に訪れた静寂が、立ち止まった少年に追いついてくる。まるでそれを待っていたかのように、刃についた狼の血を振り払う少年。


 飛び散る血と鞘に戻る刃。そして、時が動き出す。


 まるで、それが合図だったかのように、狼たちは一斉に地面に倒れ込んでいた。


 首と胴を切り離されて。

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