第一章 覚醒

目覚め

 心地よい風が草原を駆け抜けていく。


 遠くのからの喧騒が響く中、目を開けた少年は、草むらでその体を横たえていた。その目に映るのは青い空。だが、少年はその空を見ていない。どこか虚ろに見えるその姿は、まるで魂のない抜け殻のようだった。


 人と獣が争う音がますます少年の近くにやってくる。だが、少年はそれからも身動ぎみじろぎひとつしていない。その姿はまるで彫像。しかも捨てられ、流れる時間の中で忘れ去られたもののように、どこか寂しげな気配を漂わせている。


 だが、草の匂いと共に風に運ばれたその臭いが、少年の鼻腔に届けられる。それが刺激となったのだろう。それまでまったく生気がなかった少年の目に、うっすらとした光が宿っていた。


「血…………。血の……、臭い……」


 それは無意識の呟きだったのだろう。だが、自らの呟きにより、少年の目には意識の光が灯っていた。


 少年がもつ紺碧の瞳に映るのは、同じく青く広がる大きな空。所々に見える雲が、ゆったり漂うその姿を主張している。ただ、それだけが見えていた。


 そのまま周囲を見ようとする少年の目には、おそらく顔の高さまである草しか見えなかったに違いない。その事が、彼を次の行動に導いていた。


 ゆっくりと体を起こす少年。

 周囲を見渡した後、ゆっくりと自らの姿を確認していた。


「どこだ? ここは? 俺は……、いったい……?」

 そう呟いた少年の目には、漆黒の忍び装束に身を包んだ己の姿が見えたことだろう。周囲には少年の物と思われる様々なものが整然と置かれている。だが、そのどれも少年の見覚えがない物のようだった。一つ一つ手にとっても、少年の目には理解の色は浮かんでこない。だが、そこにあるべきことがわかっているかのように、少年はそれらを身に着けていく。


「何なんだ? 俺はここで何を……」

 周囲の争う音も気にもせず、少年は荷物を集め始めていた。そして最後に少年が手に触れたもの。それは紛れもなく日本刀だった。しかも相当に業物わざものなのだろう。その刀から出る雰囲気が、そう感じさせる何かを放っている。


「げん……む……。幻夢の妖刀……」

 無意識に浮かんだ言葉を口にした少年。だが、何故そんなことを言ったのかわからない少年は、自分の言葉に驚いていた。ただ、それが真実であることも理解している。落ち着きを取り戻した少年の態度がそう告げる。

 

 立ち上がり、刀を抜き放った少年。まるで、そうしなければならないと、彼は知っているかのように。


 その瞬間、蝶の形をした紅の光が、紅に輝く刀身から次々と解き放たれる。だが、その幻想的な光景もすぐに消える。後に残った刀身からは、血のような輝きが一切消え失せていた。


 だが、少年の瞳から光を吸い取るように、やがてやいばは青白い光を帯びていた。それに続くように、少年の瞳が真紅の輝きを増していく。あたかもそれは、妖刀と少年が入れ替わったかのように。


 その刃を見つめ、呆然とたたずむ少年。だが、何かを察した少年は、とっさに身をひるがえしてそのやいばをふるっていた。


 少年を襲ってきた、巨大な影をあやまたず。


 やいばの軌跡は、青白い光の弧を描く。飛び散る鮮血と短い断末魔の叫び。それが、ここで起きた出来事を雄弁に物語る。


 さらに一歩飛び退いた少年は、そこでやいばを鞘に戻して一息ついていた。それはほんの一拍の出来事。しかし、少年の目はすでに違う色を見せていた。


 まるで自らの行為に驚いているかのように。


 そう、さっきまで少年がいた所に、首と胴が切り離された巨大な狼の死体が転がっている。


「ありがとう。助かるわ」

 いきなり少年の耳に届いた涼やかな少女の声。軽い驚きの色を浮かべた少女は、彼が見ていた狼の死体の向こうから声をかけていた。


 続けてその声は少年に告げる。しかも、さっきとは調子を変えて。


「ついでだから、そのまま手伝ってくれないかな?」


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