第28話・ここから始まる

「リエラ、わたしが贈った耳飾りだね。よかった、とてもよく似合う」


「ありがとう、ジーク」


「何を着ていても美しいけれど、今日の装いもとても綺麗だ。わたしにはドレスの流行などわからないけれど、きみの選ぶデザインはいつも素晴らしいと思うよ」


「ありがとう」


「それから、今日の髪型も」


「ありがとう……」




 ジークはじっと私を見つめて、褒めるところを探しているようだった。




「も、もういいよ、そんなに毎朝褒めてくれなくっても……」


「そうだな、全てが美しいから、どこから褒めれば良いのかいつも迷ってしまうよ」


「……」




 みんながくすくす笑っている。


 朝、皆の前で顔を合わせると、誰が聞いていようとお構いなしにこれが始まるのだ。物凄く嬉しいけれども、物凄く恥ずかしい。




「あ、あの、そういうのは、ふたりの時に言ってくれればいいと、私は思うのだけれど」


「ふたりの時? なぜ? わたしはいつだってきみを讃えたい。なぜ時間を限定するのだ」


「いや、その、時間っていうか、周囲がね」


「周囲になんの関係があるのだ。わたしときみが愛を語るのに、他の人は関係ない、と以前きみは言ったじゃないか」


「うう……」




『あのジークさまが、ほんとうに変わられたわね。リエラさまだけを本当に愛してらっしゃって……こんなに愛される女性って他にいないのではないかしら、羨ましいわ』


『リエラさまだからよ。確かにあんな素敵な姫君なら、ジークさまがのぼせてしまうのもわかるわ』 




 ひそひそ話が聞こえて来る。


 でもジークはお構いなしで、




「きみはどうしてあまり言ってくれないんだ。あの時、何度でも愛してるって言う、って言ってくれた……」




「いい加減にしてくれよ! 蒸し暑くって、のぼせてしまう!!」




 突っ込み役が来てくれた。ゼクスが来ないとどこで止めればいいのかよくわからなくなってしまう。


 まあ勿論ずっとこんな話をしてる程暇ではないのだけれど。朝の会議の時間までの、ほんの短いひとときだ。周囲にいるのも、気心の知れた私の侍女ばかりなのだけれども。




「暑いなら涼しいところへ行けばいいだろう」


「あんたの語りでどこに行っても暑いんだよ!」


「だったら水浴びでもして来たらどうだ?」


「朝からそんなに暇じゃないんだよ……」




 はあ、とゼクスは溜息をひとつ付いた。




「まあ、あの、ごめんね、ゼクス? でもあの、このひとのこういうところは可愛いとか思わない?」


「……おまえもかよーーっ」




―――




「で、ゼクスは何の用なんだ?」


「あ、私が、相談するのに一緒に朝餉を、って言ったの。ゼクスも日中は忙しいでしょ。だからジークと一緒に」




 相談。トゥルースへの旅行についての相談だ。




 枢機卿の死から半年が経った。


 国境付近に潜んでいたエイラインも逮捕され、残党は完全にいなくなった。国の再建は進んでいるけれど、二十年かかって荒れたものは、そう簡単には元に戻らない。私の前ではこんなでも、一旦仕事に切り替えたら、ジークは皆を引っ張って毎日あちこちを飛び回って先頭に立って寂れた村の建て直しや治安が悪くなってしまった地方への派兵など、夜遅くまで休む暇もない程忙しいのだ。


 私たちの結婚式は、もう少し国が安定してから、という話になっている。




 私は私で、王妃教育に忙しい。何しろ、王子さまはこなせるようになっていたけど、王妃さまの勉強はしていない。ジークを支える将来の王妃として、諸外国にも恥ずかしくないよう様々な事を身に付けなければならない。どうも本当は、王子として走り回っていた方が私の性には合っていたのかも、と思う時もあるけれど、私が男みたいに出て行かなくても、ジークの周りには今はもう優秀な人材が集まっている。みんな、枢機卿の事件を経て、何があってももう国を分裂させてはいけない、という思いに溢れている。




 ゼクスは、レイアークに帰化したいと言って来た。これには私もみんなも驚いた。けれど、レイアークの危機とそれを乗り越える場面に立ち会ったことで、居場所のない母国よりもこの国の為に働きたいと思った、というのだ。


 けれど、トゥルースの王子であるゼクスがレイアーク人になるには勿論、ゼクスの父レリウス王の承諾が必要だ。勝手な事をしては国家間の問題に発展してしまう。


 そこで父は、ゼクスの事と一緒に、『娘のアークリエラを立派に育ててくれて感謝している』と書状を送ったのだ。大切にして欲しいと頼んで委ねた私に何をしたか、全て知っているぞと匂わせれば、やましいところのあるレリウス王は大抵の要求は飲まざるを得ない。




『本当は、正式に抗議したいのだがね』




 と父は言ったけれど、もう済んだ事だし、これでゼクスの希望が通るのならばそれでいい、と私は答えた。




『おまえには言うけど、俺、エリスに振られたんだよ』




 枢機卿の死から程なくしてゼクスはこっそり私に打ち明けてくれた。




 私はあの時、黄昏の塔へ向かう枢機卿をどうして扉の向こうでエリスが待っていたのか、ジークから聞いていた。


 知り合った頃、私は、エリスとジークはどこか似ていると感じてた。それに、女性が苦手だったジークが、自分でもよくわからなかったけれどもエリスにだけは普通の気持ちで接する事が出来ていたそうで。


 それは、エリスとジークには、血の繋がりがあったからだった。エリスは、枢機卿が小間使いに手を付けて産ませた娘だったのだ。そういう母子は皆密かに枢機卿の命令で闇に葬られていたらしいのだけれど、何故だかエリスのお母さんは殺されずに遠くの村に捨てられたらしい。お母さんは苦労してエリスを育て、早くに病で亡くなってしまったそうで、エリスはお母さんの遠縁に引き取られたけれど枢機卿を恨みながら成長し、いつか復讐したいと思って騎士団に志願したのだそうだ。


 秀でた能力で下級貴族の養女ながらジークの副官に抜擢され、エリスはお母さんにそっくりの容姿で銀の髪を持っていなかった為に誰にもわからなかったけれど、エリスの方はジークが兄だと知っていた。最初は、枢機卿の正式な息子だから枢機卿に似ているのだろうと憎しみを持っていたけれど、その人柄に触れるうちに気持ちを入れ替えたという事だ。


 そうして、あの裁判の日、エリスはその日を待っていた筈なのに、臨席したら自分の感情を抑えきれなくなりそうでホールに入れなかったそうだ。死ぬ為に黄昏の塔へ連れて行かれる枢機卿は、扉のところにいたエリスを見て、驚いた事に、初対面なのに自分の娘だとわかったらしい。あの悪魔のような男が、エリスのお母さんにだけは特別な感情を持っていて、それで殺さなかったらしいのだ。エリスがジークの許可を得て黄昏の塔へ付き添うと、あの男はエリスの前では見苦しく足掻かずに、黙って毒を飲んだそうだ。




 こんな事があったのを知らずに、ゼクスはエリスに求婚したそうだ。


 レイアークに来て、会いたかった私は死んだと思い込んで失意のうちにあったところをエリスは気の毒に思ってずっとゼクスに対して親身になっていた。初恋に破れたゼクスは次第に、エリスを大切に想う気持ちに気付いて求婚した。でもエリスは、一生結婚する気はない、とお断りした。




『最初は凹んで、もう国に帰ろうかと思った。けど、あいつはあの父親の血をひいている事で苦しんでいるんだよな。ジークが、自分は女を愛しちゃ駄目だって思い込んでたみたいにさ。枢機卿に尽くして捨てられた母親に似た自分の事が嫌いらしい。だから、俺は待つよ。何年でも待って、何回も求婚する。たとえ俺じゃなくっても、あいつが誰かを選べるようになるまでさ』




 この事も、ゼクスがレイアークに残りたい理由の大きな部分みたい。


 私は、ゼクスの幼馴染である事を誇らしく思う。ゼクスと友達になっていなかったら、きっと私は、ジークに釣り合う私にはなれていなかった。




―――




 一旦、家族に会って残して来たものの整理をする為に帰国するというゼクスに、私とジークは同行する事にしていた。ジークは国を離れる事を躊躇ったけれど、あまりに多忙なかれに、父が、大丈夫だから休養と思って行って来なさいと強く勧めてくれたのだ。




 そうして、今度はちゃんとした国道を、騎士団に護られて私たちは旅をし、私が育ったトゥルースに辿り着いた。追われて離れて、あれから二年が経った。


 友好国の王太子とその婚約者の王女として、ゼクスの父王に正式な場で対面したら、王さまは始終冷や汗をかいて目を白黒させていた。ジークは私の為に未だ怒っていたけれど、私は、ちゃんとこの国で生きて育って今があるのだから、もういい、と思っている。




 そして――。




「母さん!」




 私は、懐かしい小間使いの住まいに飛び込んだ。


 少し老けた母さんは、驚きで口もきけない、という風で私を見ている。




「リ……リエラ、なのかい?」


「そうよ。ずっと会いに来れなくってごめんね」


「あんた……あんた、その姿は。まあ……なにかあんたは偉い生まれだったらしいとは聞いていたけれど」


「レイアークの王女だけれど、母さんの娘でもあるよ。母さん、一緒にレイアークに住まない?」


「そ、そういきなり言われても……」




 すぐには決められないよね。母王妃が友人になりたいって言ってたって言ったら腰を抜かすかな。


 でも、母さんはおずおずと手を伸ばして私の頬に触れた。




「ああ……リエラだ。もう帰ってこないのかと、ずっと諦めようとしてたけど、でも、帰って来てくれたなんて……」




 母さんは涙ぐんでいる。喜んでくれてるんだ。




 それで私は、私には懐かしい場所ではあっても、ここにはまるで不似合いな、私の王子さまの腕を引っ張った。




「紹介するね。これが、私の、いいひと、なの!」




 ぽかんとしている母さんの前に、狭い戸口から正装しているジークを押し込んだ。




「母上殿。ジークリートと申します。リエラを大切に育てて下さった事に感謝しております。わたしは、これからリエラを一生大切にし、幸せにします」




 いつになく緊張した声でジークが言うと、母さんは卒倒しそうだった。




―――




「ああ! これで本当に心配事もなくなった。こんなに幸せでいいのかな、私」




 小間使いの宿舎の中庭の井戸の傍に私は座った。子どもの頃、何度もここにしゃがみ込んで泣いたっけ。


 いま、空は清々しく晴れて雲一つない。




「いいに決まってる」




 と言ってジークが後ろから私を抱き締めた。




「もっともっと、わたしが幸せにするから。きみが一緒ならば、なにひとつ恐ろしいものはない。この世でいちばん愛している――」




 だれかが見ていても気にしない。私たちは幸福な気持ちで唇を重ねた。


 ここで私たちは出会い、色々な経験をして、成長して、今またここにいる。もう絶対離れる事はない。私の、この世でいちばん大事な、王子さま――。

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秘密の姫は男装王子になりたくない 青峰輝楽 @kira2016

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