第24話・その腕へ

 俯いたまま廊下を進む。途中で兵士とすれ違ったけれど、特に怪しまれることもなくて。


 廊下を曲がって突きあたりの階段へ。この階段をずっと下りて行けば厨房の筈。そこから裏門に行ける筈だ。前に来た時に館の中をある程度は記憶していたのは幸いだった。




 けれど、階段を半分も下りないうちに、もう騒ぎが起こってしまった。




「大変だ、お嬢様が逃げた!」


「お嬢様、どちらですか?!」




 ああ、早くもあの侍女が目を覚ましてしまったらしい。女性だしと思ってつい手加減してしまったかも……こんな事なら猿轡でも咬ませておけばよかった。


 どうしようと迷っている内にも、階段の下からも何人かの足音が近づいてくる。




「お嬢様は侍女の恰好をしている。探せ、館の中にいる筈だ!」


「厨房に向かった筈だ」




 上下から追い詰められそうで、どうしようもなくて、厨房に向かいかけたのを引き返し途中の階に逃げ込んだ。向こうからも人の近づく気配がする。右往左往して袋小路の通路に逃げ込んでしまった。誰かいたらおしまいだと思いつつも傍の扉を開けて室内に入り込んだ。




 運はまだ私を見放してはいなかった。薄暗い室内は無人だった。


 但し、一瞬目の前の多くのものを人影と見間違えて声を上げそうになった。




「ああ、びっくりした」




 思わず息を吐き出して小声で呟く。


 私は厨房に向かったと思われているので廊下の足音は素通りして行く。でも勿論いつまでも隠れていられる訳はない。




「この部屋……これって」




 ずらりと並んだ男物の衣装。枢機卿のものではなさそうだ。エイラインの衣装室らしい。




『つまり、工夫すれば、私はエイラインのふりをして、見張りを誤魔化せるかも知れない、という事だ』




 以前に潜入した時は、随分馬鹿な事を考えたものだと猛省したけれど、いま、やるしかないように思った。兵士たちが探しているのはお嬢様だ。それも、侍女の服を着たお嬢様。侍女を気絶させた時点で『か弱い』は外れてしまったかも知れないけれど、咄嗟に男装するとは思わない、かも知れない。


 とにかく、やらなければ捕まってしまうだけだ。




 私は手早く侍女の服を脱いで、手近にかけてあったエイラインの服を着る。いったい短時間のあいだになにをやってるんだろうと我ながら呆れたけれど、この状況は私のせいではない。逃げる為に出来ることをやるだけなのだ。




 隠れていても状況は悪くなるだけと思い、私は思い切って廊下に出た。




「あっ、エイラインさま。いつの間にお戻りで」




 さっそく廊下の向こうに現れた兵士が戸惑い気味に呼びかけてくる。行ける。この館に、『銀髪の若い男性』はエイラインしかいないのだから、俯いて顔を見られず遠目であれば充分誤魔化せる。




「……」


「どうなさいました?」




 迂闊に返事をする事は避けて私は下を向いたまま兵士と逆の方に小走りに向かう。厨房以外にも裏口はある。


 でも、下りようとした階段も、階下から幾人もの兵士が上がって来る。近付けば変装はばれてしまう。もう、上に向かうしかない。




「エイラインさま、どうなさったのです!」




 返事をしない私を訝しんで兵士が後を追って来る。仕方なく私は階段の途中で足を止めた。




「どうもしやしない。おまえたち、娘を探しているんじゃないのか。僕の妃になる娘だ。取り逃がしたりしたら承知しないぞ」




 黙っていては疑われるばかりなので、宴の時に観察したエイラインの口調をなるべく真似て言ってみる。




「は、も、申し訳ありません! 必ずお嬢様をお連れいたします!」




 ほっ。逆光なこともあってか、兵士は私をエイラインだと思ってくれた。




「娘は厨房に向かったんだろう。こんなところで何をしてる。さっさと行け!」


「はっ!」




 兵士は姿勢を正して返事をし、そのまま階段を駆け下りてゆく。よかった、何とか追い払う事が出来た。でも……私はどうやって下まで下りればいいのだろう。




 下の方から兵士たちの声がする。




「おいおまえどこに向かっている?」


「お嬢様は厨房なんだろう?」


「厨房には現れていない。それよりおまえは誰と話していたんだ」


「エイラインさまが厨房を見て来いと」


「エイラインさまはまだお戻りではないぞ。今夜に帰るとたった今知らせがあったばかりだ」


「え? そんな、では今のはいったい?」


「銀の髪ならば、それこそお嬢様ではないのか! 侍女に変装するくらいだからな!」




 ああ、ばれちゃった! もう上しか行く道がない。


 三階に上がって近くの部屋に飛び込んだ。中には誰もいず、バルコニーへの扉が開いている。私は転がるようにバルコニーに出る。


 冷たい風と、山の向こうから射してくる淡い朝陽が頬を撫でた。乗り出して見下ろすと、下は裏手の林になっている。なんとか下りられないかと、遠くから迫って来る足音に心臓をばくばく言わせながら伝って下りられそうなところを探すけれどもまったく見つからない。




「お嬢様! 部屋にお戻りください!!」




 鍵をかけた扉が何人もの兵士に叩かれている。


 ジーク……ごめんなさい。頑張ったけど、やっぱり逃げられないみたい。


 涙が零れた。私はエイラインのものにされてしまうのかな。それくらいならばもうここから飛び降りてしまいたい。いましかその機会はないかも知れない。三階でも頭から落ちればたぶん死ぬだろう。


 でも……私がここで飛び降りて死んでしまったらジークはどうなるの? ジークのせいじゃないのに、きっと自分を責め続けるに決まってる。自分が愛したら相手を不幸にしてしまうかもと言って、ずっと、愛する事を恐れていたジーク。やっとわかってくれたのに、私が命を消してしまったら、もう二度と誰も愛せないかも知れない。だったら、何があっても私は生きなければ。


 なにがあっても、ジークだけを愛しているから……。




「ジーク、ジーク、たすけて……!」




 名まえを呼んだ時。額の聖印にちり、と刺激を感じた気がした。はっとして崩折れかけていた身体を起こしてもう一度下を見る。朝陽を反射して、何かが光った。




「リエラ!!」




 そのとき、もうずっと聞きたかった、声が聞こえた。




 樹々の間で、デュカリバーが光っている。


 そして、朝の光が、銀の髪を煌めかせた。私の大切なひとの髪を。ジークは私を見つけて、私はジークを見つけた。




「ああ、見つけた! リエラ! 無事か!」


「ええ! でも……」




 バルコニーから私は下にいるジークを見下ろす。ああ、最後に会ってからひどく長い時間が経ったように思えてしまう。でも勿論、何も変わってはいない。騎士の服装で聖剣を手にした私の王子さま。


 ジークは開けたところへ進み出て、馬を降りて朝露に濡れる地面に立った。


 私の背後では兵士たちがしつこくお嬢様と叫びながら扉を叩いている。破られるのは時間の問題だ。


 ジークはすぐに状況を悟ったようだった。




「リエラ! 来い!」




 両腕を広げて叫んだ。


 その瞬間に、私は何もかもをその腕に任せようと決めた。




 さっきまで、下は、はるか遠くて絶望しかないように思えたのに、いまは違う。だってジークがそこにいて、私を受け止めてくれる。


 私は躊躇わず、バルコニーの手すりを越えて跳んだ。朝の冷たい空気が頬を叩く。でも、目を瞑らず、真っ直ぐに、私を受け止めてくれる腕に向かって、手を差し伸べて、私は跳んだ。


 前に脱出する時は、ジークは室内で階下のゼクスに向かって私を放り投げた。でも今度はジークが受け止めてくれるのだ。怖くなんかない。




 どんっという衝撃でジークはよろめいたけれど、強い腕でしっかりと私を受け止めてくれた。




「ああ、ジーク! 大丈夫? 怪我しなかった?」


「大丈夫だ。きみは?」


「平気よ」


「きみは、羽根のように軽いな!」




 ジークは笑って私を抱き締めた。




 上を振り返ると、兵士たちがバルコニーになだれ出て、私に向かって何か叫んでいる。




「行こう」




 とジークはさっと馬に乗って私を抱き上げた。見ると周囲には警備兵が幾人かのびていて、誰にも邪魔もされずに私たちは追手を引き離して王宮への道を進む事が出来た。




「ありがとうジーク、助けに来てくれて!」


「礼なんか。あの男が出頭すると言って来たので、なにか仕出かすかも知れないと警備を増やさせようとした矢先だった。済まない、間に合わなくて恐ろしい思いをしただろう。また男の服なんか着て、なにかされなかったか?」


「だいじょうぶ、なにも……」




 でもその言葉に私は、エイラインのものにするとか枢機卿自身が私をとか言われた時の恐ろしさを思い出し、胸が詰まって涙が出た。そのままぎゅっとジークの胸にしがみついて顔を埋めた。




「リエラ」


「いいの……もういいの、ジークが来てくれたから。でも、でも、怖かった……」




 ジークの服を濡らしてしまう程に私は泣いてしまった。




「もう離れたくない。一緒にいないと怖い。お願い、もうどこかにやらないで。離さないで。おねがい……」




 涙声で私は子どもみたいに訴えた。ジークは驚いたようだったけれど、私の頭を引き寄せた。




「わかってる、もう離さないから。わたしが悪かった。気丈なきみにそんな怖い思いをさせたなんて」


「ジーク以外の誰かのものにされるなんて、死ぬより怖いもの……」




 私の言葉で、ジークは私に何が起こりかけたのか気付いたようで、回された腕が強張ったのを感じた。声を詰まらせてごめんと言って更に私をきつく抱き締めた。




「もう二度とどこにもやったりしない。きみはわたしのものだしわたしはきみのものだ。絶対に離しはしない」


「うん。絶対よ」




 頼もしい言葉に私はようやく安心できた。


 ジークは苦しいほどに私を胸に押し付けるけれど、その胸の温かみがとても心地よくて、一晩一睡もしていなかった私は、そんな場合じゃないんだけど眠たくなってきた。


 ぼんやりしながら思った。以前はトゥルースの王さまに寝台に引っ張り込まれそうになった事もあったし、前に枢機卿に捕まった時も同じようにエイラインの妻になれと言われたのに、今回の方がずっとずっと怖かったのは何故なのかな。たぶん、ジークのせいだ。ジークをこんなに好きになってしまったから、他の男の人が、なんて想像しただけで恐ろしくなった。弱い心が生まれちゃった。きっとこの気持ちは一生変わらないんだろう。




「……責任、とってよね……」


「リエラ? 何か言った?」


「……」


「眠ったのか。いいよ、大丈夫だから」




 眠ったふりをして目を閉じているうちに、この腕の中にいるんだという幸福感がこみ上げて来て、そのまま本当に眠ってしまった。

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