第25話・裁判へ

 微睡みから覚めると王宮のすぐ近くまで来ていた。ああ、私の家に帰って来たんだ、という感じがして嬉しくなる。


 追手がかかる事もなかった。聞けば、ジークの部下たちが周辺に待機していたそうで、ジークと私が無事に脱出したのを見て喰いとめてくれた筈だという。ジークが一人でまた無茶をしたのではと内心気にかかっていたのだけれど、ちゃんと立場を考えて行動してくれたのだとわかってほっとする。




「私の居場所をたまたますぐに見つけて貰えて良かった」




 と私が言うと、ジークはちょっと複雑な顔で、




「たまたま……ではない、と思う。いま詳しく話す暇はないが、この聖剣が私をきみのところに導いてくれた、そんな気がしている」


「デュカリバーが。でも、あの戦いの後はなにも起こらなかったのに?」




 そう言いながらも、私も、あのバルコニーで、絶望してジークの名を呼んだ時に、聖印に呼応したみたいにデュカリバーが光ったんだった、と思い出す。




「まあ、それは後でゆっくり話そう。それよりあの男はきみに何を言ったんだ?」




 私はジークに枢機卿が喋っていた事や逃げ惑っていた時の事を話した。ジークは黙って聞いていた。




 ジークは裏門から馬を乗り入れた。枢機卿の裁判が始まるという事で表の方はごった返しているようだけどこちらは普段通りで、




「王太子殿下! お帰りで! 陛下がお待ちかねです」




 と騎士が駆け寄ってくる。思わず反応しそうになり、すぐに、今はもうジークが王太子だったんだと思い出す。


 ジークは手綱を預けながら、




「わかっている。すぐに行くが、取りあえず急いで『取り戻した』とお伝えしてくれ」




 と指示した。 


 私は髪と顔を隠す為にジークのマントを被っていたけれど、男の恰好をしているので、どうも騎士は、ジークが少年を抱き締めていると思ったようだった。なにか言いたげな様子だったけれど、ジークが早く行ってくれと言ったので慌てて走って行った。変な誤解をされたかも知れない事などジークはまったく気にしない。


 騎士たちの使う、表につながる小さな通路に入ると、ジークは私の手をぎゅっと握る。




「ほんとうに、無事でよかった……」


「ジークが助けてくれたから」


「もう少し遅れていたらと思うとぞっとする。話したい事はたくさんあるが、今はまず、あの男に報いを受けさせなくては」




 そう言った時に、向こうからゼクスが駆け寄って来た。




「リエラ! 無事だったか、よかった!」


「ゼクス」


「俺も助けに行こうとしてたんだけど、ジークがさっさと俺を置いていっちまって」


「心配かけてごめんね。大丈夫だよ、私」




 私の顔を見て安心してくれたようでゼクスはもう一度、よかった、と言って私の手を握る。ジークが嫌そうな顔をする。




「な、なんだよ、いいじゃんか、手くらい」


「そうだよ、私とゼクスは幼馴染で心配してくれたんだから」


「……べつに社交として問題ないことくらい弁えているが、他の男がリエラに気安く触るのを不愉快に感じるくらいの事は、はっきり文句を言っている訳でもないのだからわたしの自由だろう」


「いや、不愉快だ、ってはっきり文句言ってんじゃねーか!」




 久しぶりの他愛ない会話に、色んな不安が一瞬吹き飛んで私は笑ってしまう。




「さあ行こうぜ。もうすぐ裁判が始まるぞ」




 とゼクスが言った。




「ゼクスはこんな奥でなにしてたの?」


「ん? んっと……ちょっと人を探してて」


「人って?」


「……エリスだよ。あいつ、今朝から姿が見えなくて。ジーク、あんたが何か仕事をさせてんのか?」


「いや、わたしは何も。妙だな?」




 でも、ゼクスが探し回って見つからなかったのなら、気になるけれど今は仕方ない。裁判が行われるホールへ急がなければ。




「リエラは人前に出る訳にはいかないから、ゼクスとホールの二階の隅から見ていて欲しい。誰もいない筈だ」


「うん。わかった」




 人前に出る訳にはいかない。でも、この裁判で全ての罪を枢機卿に認めさせれば、私は皆の前に再び立てるのだろうか。当時、双子の不吉を言い立てていたのは、枢機卿だけではないと聞いたけれど……。




「やつが切り札にしているきみを、やつの知らぬ間に救い出したのだから、やつに勝ち目はない。遂にリオンの仇を討つ時が来たんだよ」


「そうだよね」


「きみを攫ったとて罪がひとつ増えるだけで今更情勢を覆せる訳もないのに、まだ勝利する気でいるのだろうか。ここまで愚かな男だったとはな……」


「あいつ、自暴自棄になってるんだと思う。王族を皆殺しにするなんて妄想に囚われて」


「まあ、自暴自棄になった人間は却って恐ろしい時もあるからな。きみを無事に助け出せて本当に良かった」




 そう言ってジークは拳をぎゅっと握った。




「奴を絶対に許せない。今までだってそう思っていたが、わたしのリエラに劣情をなど地獄へ送る前に殴り倒してやらねば気が済まない」




―――




 ホールに近付くと、ジークは急いで父の元へ向かい、私とゼクスはホールの二階の誰もいない隅にこっそり入った。




 普段は他国の使者を受け入れたり通常とは異なる大きな議案を扱う会議の時しか使われないホールだけれど、長年国を圧迫して来た貴人の裁判という事で王都に住まう中流以上の貴族や有力者が傍聴席にひしめき合っている。




 かつて枢機卿側にいた人々も多くいる筈だ。見回して私は幾人か、枢機卿の館の宴席で見かけた顔を見つけた。いまは皆、神妙な面持ちで父の方へ頭を垂れている。そもそも枢機卿に荷担してたような者たちは罪に問うてもいいのだけれど、枢機卿の反逆罪が明らかになった後で自ら恭順の意を示して来た貴族の大半を父は許して受け入れた。これは、父の甘さというより、全てに厳罰を下していたら、また反逆の芽となりかねない、という現実ゆえの判断だ。聖職者を信じ込んだだけだとしたけれど、本当は、そうではなく枢機卿の与える富や権力という餌に飼われていた者たちも少なくないとわかっている。そうした者たちを取りあえず許したあと、どのように別の形で償いをさせて今後国の為に使ってゆくかは、父とジークの政治の手腕にかかっている。父の、やや脇の甘いところは、ジークがしっかり補佐していく筈だし、私も私に出来る事があれば手伝っていきたい。


 一方、直接的に民に大きな危害を加えた者たちや、その所業を詳しく知りつつ是認して金品を巻き上げていた幾人かの貴族は既に極刑としていた。民にとってはっきりとした悪人を王家の名で裁いた事で、王家を悪く思い込まされていた人々の多くもいまは帰順していると聞く。


 枢機卿に勝ち目はないのに、兵士に付き添われてホールに入廷して来た枢機卿の薄笑いにとても嫌な気がした。さっさと罪を白状して裁かれてしまえばいいのに、私をエイラインの妻にして父やジークを殺して、なんて事をまだ本気で考えているのだろうか。




 正面に父が立ち、その背後にジークが、そして父の隣に父から権限を受けた司法長官が立っている。


 人々のざわめきが完全に静まらない中で、司法長官は枢機卿の罪状をひとつひとつ読み上げる。反逆罪、王太子暗殺、法に反する税や取り決めを民に強いた罪、その他小さなものも合わせると数十件にものぼる罪が並べられてゆく。




「枢機卿閣下、以上の国家に対する罪状で貴方は告発を受けておられます。罪を、お認めになりますか」




 司法長官の静かな声に、枢機卿は憎らしい程落ち着き払って、ふん、と答えた。そして言った。 




「国家に対する罪とは何か。私は国家を憂いて行動しただけだ。間違った王を戴く祖国を滅びの道から救いたいという心に偽りはない。そもそも、国が荒れ、民衆が貧困に喘ぐ元凶はなんだ。王たるアーレンに王の資格がないからだ。王の資格がない者が、玉座に座っているからだ。これは国家に対する罪だ」




 びっくりな事に、被告席にいる枢機卿は自分のやってきた事を棚に上げて父を責めたてている。けれど勿論父は落ち着き払って、




「国を導き護る立場の私に力が不足していた点はあるかも知れぬ。だが、私の力が民の救済に及ばぬのは、枢機卿たるあなたがそれを阻むからではないか。我々は兄弟、共に国の為に手を携えて尽くす道もあった筈だし、亡き先王もそれを望まれていた。にも関わらず、あなたが私腹を肥やす為に、畏れ多くも神の名を騙り法になき税を取り立て、従わぬ者に苛酷な刑罰を科したことが民の疲弊した原因だ! 私は、あなたが兄であり聖職者であるが故に表立って批判はしなかった。だが、外敵を討った王家の騎士団に対し攻撃をしかけるとは、まさに国を二分し滅亡に導く所業。今こそ私はあなたを国家反逆罪で告発する!」




 この言葉に多くの賛同の声、国王を讃える声があがる。けれど枢機卿は虚勢を張り続け、




「力なき王家の罪を、神の導きにしたがって罰そうとしたまでだ」




 なんて言い放った。


 父は枢機卿を睨み付けた。




「ならば、我が息子アークリオンのいのちも、神がご所望になったとでも言うつもりか?」




 ざわついていたホールは父の言葉に、静まり返った。父は、枢機卿を裁くにあたって私情を交えていると思われない為、これまでリオンの死を招いた咎について自分からはなにも言わずに来たのだった。


 皆が枢機卿の返答を固唾を飲んで待つ。けれど、枢機卿は平然と言い放った。




「そうだ。アークリオンは惰弱で王太子の器ではなかった。もしも神の御心にかなう器であれば、生き延びていた筈だ」




 と。


 あまりの酷い言い様に、場内には怒声がとんだ。




「貴様……!」




 父の背後に控えていたジークは死者に対する侮辱に顔色を変え、我を忘れた様子で詰め寄ろうとする。けれど枢機卿は慌てる様子も見せずに、




「私に手出しをすれば、そなたは全ての子を失うことになるぞ、アーレン」




 と脅迫した。


 あいつは私が脱出した事を知らないのだ。


 いっぽう、人々は、リオン以外の子とは、後継のジークの事だと思うだろう。ジークはそこにいるのに、そんな脅迫に屈して誰の目にも明らかな枢機卿の罪を免除したなら、人々は父に呆れるだろう。それがあいつの最後の手段なのだろう。


 でも、父には私の無事はもう伝わっている。ただ父は枢機卿に掴みかからんばかりに憤っているジークを制して、




「神は私の全ての子どもに祝福を下さっている。アークリオンもいまは神の国で安らいでいるだろう。兄上、あなたもそこへ行き、アークリオンやその他多くの直接間接に手をかけた人々に詫び、神の裁きを受けなさい」




 と静かに言った。




 私は思わず二階から見ていて身を乗り出した。その時、私の肘が手すりに乗っていたなにかの箱にぶつかって、それが階下へ落ちた。人に当たりはしなかったけれど、突然上から何かが落ちて来たので、緊張に息を詰めていた人々が一斉に私の方を見た。




「ああ! リオンさま!!」




 誰かが私を見て叫んだ。

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