第23話・お嬢様と侍女

 枢機卿と入れ替わりに、侍女と思われる女性が入って来た。




「枢機卿閣下のご命令によりお世話をさせて頂きますわ、お嬢様」


「世話なんか結構よ。私を一人にさせて頂戴」


「そうは行きませんわ。エイラインさまのお妃になられるお嬢様と伺っておりますもの。この室内でしたらどのように過ごされてもかまわないとの事ですので、どうぞご用をお申しつけ下さいませ」




 私が監禁されている部屋は、窓がないというだけで別段牢屋ではない。貴族の令嬢が使うような寝台やテーブルなど一通りの調度品も揃えられている。捕虜というよりお客様みたいだ。


 侍女を無視して立ち上がり、引き出しや棚を調べてみる。文具や書物なんかまで揃えられているけれど、でも、刃物はない。


 ――『自害』。枢機卿の台詞が胸に甦る。本当にジーク以外の男のものになるくらいなら、死んでしまったほうがましと思った。




(いや、駄目だ。弱気になっちゃ駄目)




 私は死ぬ訳にはいかない。ジークに一緒に生きようと言ったのだから、その約束を自ら破る事は絶対に出来ない。なんとしてでもエイラインが帰って来る前にここを脱出する。


 私が攫われた事は今頃父やジークにも伝わっている筈。頑張って館を出る事が出来れば、きっと助けは来る。




「お嬢様。お茶をお淹れしましょうか」


「要らないわ。そんな気分じゃないもの」




 エイラインの妃になるお嬢様。世話係件見張りであろうこの女性は、なんでそんな娘が窓のない部屋に閉じ込められていると思っているのだろう。




「あなた……わたくしの身の上をご存知なのかしら?」




 お嬢様と呼ばれたのでお嬢様風に探りを入れてみる。女性は柔らかな物腰で、




「お嬢様はお身体がご丈夫ではなくて最近まで静養地にいらしたと伺ってますわ。でもその銀の御髪は本当のものだそうで、昨年エイラインさまがその地にお立ち寄りの際に、遠縁でいらっしゃるお嬢様をお見初めなされたとか」




 なるほど。別段疑わしい話ではない。




「そうよ、わたくし王都に慣れてないの。エイラインさまは明日までこちらにお戻りでないとか。わたくし、この部屋にいては息が詰まりそうだわ。外に出てもいいでしょう?」


「あの、駄目ですわ。お嬢様はご両親が懐かしくてここを抜け出してお帰りになりたいと思ってらっしゃるのでしょう。エイラインさまにお引き合わせするまで絶対にこちらに居て頂くように、目を離さないようにと言われておりますの」


「……お見通しなのね」




 自分の立ち位置はだいたいわかった。




「この部屋にいて下されば、何でもご不自由のないように致しますから。エイラインさまはお優しいお方ですのよ。無理にでもお連れしてお妃になさりたいなんて、お嬢様はお幸せな方ですわ。ご心配はいりませんわ」




 無理にでもという時点であまり幸せそうではない。それにエイラインが優しい人などという情報は未だかつてどこからも得た事はない。枢機卿が御しやすい跡取りだと思っているような男だし、さっきの枢機卿の口ぶりからも父親似の劣化版ろくでなしだろうとしか思えない。まあろくでなしだろうと世界一素敵と言われる男性だろうと、私はジーク以外のひとの妻になる気などまったくないけれども。私にとっての世界一はジークなのだから。




「わたくし、不安なの。住み慣れた家に帰りたいだけなのに」


「エイラインさまに仰ったらきっとそのうちご両親にも会えますよ。お嬢様はお疲れなのですわ。お休みになりますか?」




 確かに疲れてはいるけれど、横になったりしてそのまま眠ってしまったら大変だ。一刻も早くここから脱出しなければ酷いことになってしまう。


 扉の外には兵士もいるだろう。枢機卿は自分がいなくても小娘の私が逃げ出すのは不可能だと思っている。でも、ここの見張りは本当の事情を知らされていないし、出し抜ける可能性はある筈だ。部下を信用せずに事情を話しもしない(王女を攫って来たとは言えないだろうけれど)枢機卿に思い知らせてやる。




 とにかく、まずはこの比較的お喋りな侍女をなんとかしなければならない。


 私は考えた……私は病弱で世間知らずなお嬢様という設定だ。そういうお嬢様は、こんな状況に陥ったらどうするだろうか。逃げ出したいけど逃げ出せない、そう思ったらめそめそしてしまうのではあるまいか。世間知らずだったらめそめそするのかと言われれば必ずしもそうでないかもとは思うけれど、普通はか弱いお嬢様に対してはそんな印象を持つのではあるまいか。


 でも私は、か弱いお嬢様でもか弱い姫でもない。元小間使いの元王子さまだ。か弱くないし自分で行動出来る。


 か弱いお嬢様と思わせておいて、その思い込みを利用してやろうと考えた。




「ああ、お父さま、お母さまに会いたい。怖い」




 大袈裟に私はそう言って、ソファに顔を埋めてしくしく泣いた。侍女はすっかり同情した様子になって、




「まあ、お気の毒に、まだお気持ちが幼くていらっしゃるのですね。大丈夫ですよ、エイラインさまのお妃になれば何も怖い事など御座いませんよ。このわたくしもお嬢様のお傍に取り立てて頂ければ、ずっとお仕え致しますわ」




 そもそもエイラインは父親と一緒に反逆罪で告発されていて、なんにも大丈夫な事はないのだが、この館に仕えている人々はそんな事は知らされていないのだろう。




「いやよいやよ帰りたい! ここは怖い! 果物食べたい!」




 扉の外の兵士にも聞こえるような声で私は泣き喚いた。途中で、か弱いお嬢様にしては若干やり過ぎであろうかという思いもよぎったけれども。




 そうやって暫く泣いて騒いで侍女を困惑させた後、私は、泣き疲れて眠ってしまった……ふりをする。




「まあ、お嬢様、お疲れでしたのね。お可哀相に」




 そう言った後、侍女は小声で、




「でもこれだけ優しくしておけば、この娘がお妃になったら侍女長に取り立てて貰えるかも知れないわね」




 と本音を洩らしたのを私は聞き逃さなかった。


 ふーんそうなんだ。それを聞いたおかげで、罪の意識も減るというものだ。




「下心は簡単に言葉にしない方がいいよ」


「……えっ」




 私が眠ってしまったと思ってちゃっかりソファに座り込んでいる侍女に、声をかけると共に私は当身を喰らわせた。剣の朝稽古の時に護身術のひとつとしてジークに習っておいてよかった。




「ごめんね」




 侍女は声もなくソファに崩れ落ちて失神した。


 私は音を立てないように気を付けながら侍女の服をさっさと脱がせた。服を取り替えるのだ。この侍女は私と体格は変わらないし、被り物をしている。侍女に私のドレスを着せて寝台に横たえ、扉から覗いても頭が見えないように布団をかける。そして私は侍女の服を着て被り物を被った。




(大丈夫。きっと大丈夫。ジークが、リオンが、私を護ってくれる)




 私は俯き気味に内側から部屋の扉を開けた。




「お嬢様はお休みになりまして。果物を召し上がりたいとの事でしたから、いまのうちに厨房に行って参りますわ」




 侍女の口調を真似て、扉の外に立っている見張りの兵士に言った。




「そうか、大変だったな。あんな子どもみたいに大騒ぎするなんて、余程躾のされてないお嬢様なんだろうな。まあ行って来い、見張っているから」




 同情気味の兵士の言葉にやや複雑な気分になったが、とにかく第一関門はあっさり突破出来た!


 走り出したいのを堪えて、私はしずしずと廊下を歩いた。角を曲がったところでようやく大きく息をつく。その時初めて、膝が震えているのに気が付いた。


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