第20話・束の間の憩い

 王都に帰還してみると、懸念していたように枢機卿の手勢が攻めてくるなんて状況ではなかった。もしもそんな事になったら、勝っても負けても都の民を苦しめる事になっていたので取りあえずはほっとする。


 枢機卿は軍備を固めて館に籠っているとの事。けれど今回の事で王家と枢機卿の関係は大きく動く。枢機卿の傭兵は裏切って王家の騎士団を攻撃して来た。はっきりとした反逆だ。


 ただ、枢機卿は、あくまで今回の事は国を乱した王家に恨みを持つ傭兵たちが暴発しただけだと言っているらしい。こちらに投降して来た兵たちは枢機卿の命令だったと言っているのに図々しい。だけど枢機卿がそう言っている以上は投降した兵の話だけで裁く事は出来ない。枢機卿をこちらに出向かせて事情聴取した上でのことになるのだけど、大人しくこちらの言うことを聞く筈はない……。


 一歩間違えば、あの場で私もジークも殺されて騎士団は全滅し、父は殺されるか退位に追い込まれるかの状況になっていただろう。私がみんなを見捨てて逃げ出していたら結果的にはそうなったに違いない。怖かったけれど少しは役に立てたかと思うとほっとする。




 父王に報告を済ませた後、ジークは三日間の絶対安静を医師に言い渡されて、それでもなにかしようとするのを私とエリスが叱って部屋に閉じ込めた。枢機卿を告発する準備を整えているところだけれど、ジークが出て行かないと出来ないという事は今はないのだから、後々に備えてしっかり身体を治して欲しいと言ったら、以前よりは素直に聞き入れてくれた。




 そして三日後の夕暮れ、私とジークはふたりで、奥の宮の私室で休んでいる両親の所に行った。




「もう傷の具合はいいのかね? ありがとう、ジーク。そなたのおかげでレイアークは外国に蹂躙される憂き目に遭わずに済んだ」


「いいえ。わたしなどより、リエラが……驚くべき勇気を見せて皆を鼓舞してくれたおかげです」




 両親は軽く目を見開いた。ここは奥まった私室なので、私の名を口にした事に驚いたのではない。家族なのだからと言う両親や私に対して常に距離を置き続けて来たジークが私を呼び捨てにした事に驚いたのだ。


 その気持ちを感じている様子ながらも、ジークは話し続けた。いつもの堅苦しさは脱ぎ捨てて、すこし、気恥ずかしそうに。




「叔父上、叔母上……。実母亡きあと、実父に見捨てられていたわたしを、大切なリオンと隔てなく慈しんで下さった事に、感謝しています。枢機卿の館で死ぬのだと思った時、リエラに伝言を頼みました。おふたりを、息子として愛していると。ですが、こうして生き延びたので、己の口で言わせて頂きたいと思ったのです」


「ジーク!」




 母は涙を零してジークを抱き締めた。ちょっと戸惑った顔でジークは身じろぎした後、ぎこちなく母の肩に手を回した。




「リエラ、きみはいったいどんな魔法を使ったのかね? 五年間絶対に陛下としか呼んでくれなかったこの頑固な息子はいったい?」


「けっこう大変だったけど、頑張ったんです、私」




 私は父に笑って言った。ジークは父に神妙に頭を下げた。




「ずっと、差し伸べられている手を見て見ぬふりをしていたこと……お詫び致します」


「詫びなどいらない。息子よ。父と呼んでくれればもっと嬉しいのだが」


「それは……」




 ジークは息を呑み込んだ。




「ありがとうございます。実は、これから……枢機卿に打ち勝ち、リエラが王女として皆の前に立てる日が来たら、その時、義父上と呼ばせて頂きたいのです」


「うん?」




 父の視線は、私の手をぎゅっと握っているジークの手に注がれた。どきどきしたけれど、父は破顔した。




「そうか。私の息子が私の娘と。ああ、きっとその時は来る。私も兄に引導を渡す覚悟は決めた」


「お父さま! ありがとう!」


「ありがとうと言いたいのはこちらの方だよ。私に息子を取り戻してくれてありがとう」




 枢機卿を絶たない限り、私たちはいつどうなるかわからない。だから、一緒に生きて行きたいと決めた事を両親に話しておこう――そう話し合ってきたのだけど、なんの反対もなく喜んで貰えて本当に嬉しかった。




 奥の宮の廊下を私たちは並んで歩いた。




「ふしぎな感じだな。こんなことを言う日が来るなんて。思えば、きみに会うまで、一番愛していたのは『弟』のリオンだった。そのリオンを護りきれなくて……あの頃から、わたしは死に惹かれていたような気がする。わたしを愛してくれた叔父上と叔母上の為にリオンを護ることが出来ないようなわたしに、生きる価値などないと。ゼクスにわたしを殺せと言った時も、別に殺されてもかまわないという気持ちもあった。ゼクスがわたしの代わりにきみを護ってくれるなら、きみがわたしの代わりにご両親を護ってくれるなら、と。わたしの役目は他にもたくさんあるのに、そんな事ばかり考えていた……」


「ジーク……」




 ジークの言葉に胸が苦しくなる。そんな思いを抱えていたのに、私は気付いてあげられなくて。気付き始めたのは、ジークが枢機卿を殺して死のうと考えてると知った時。思えばあの時までは、私もジークを『兄』だと思っていた気がする。




「きみを護る為にこの価値なき命を差し出せるなら本望だと。あの男の所に戻って死のうと言った時には、それで安全が保証されるのならそれでいいと本気で考えていた。きみはわたしを強いと言ってくれるが、わたしは弱くて愚か者だった」


「誰かの為に死んでもいいだなんて、弱い人には考えられないよ」


「いいや、わたしはただ大切な事から逃げていただけだ。己が生きて今度こそ己の手で全てを護らなければならない事。それを、きみが気づかせてくれた」


「ジーク」




 ここには限られた人しか立ち入らない。ジークは私を引き寄せて、私は目を閉じた。


 その時――。




「おい」




 突然傍の扉が開いて声がかかったので、飛び上がりそうに驚いた。




「おまえたち……男同士に見えるんだって、知ってる?」




 呆れ顔でゼクスが言った。でもジークは平然として、




「しかし実際は男同士ではないのだから別にいいだろう」




 なんてしれっと言っちゃった! 別にいいの?! いい訳ないと思うのだけど。


 騎士団長と王子が廊下でキスしようとしていたのを、他国の王子が見てた……どこからでも突っ込める状況だと思うし、それ以前にたいへん恥ずかしい。




「あのっあのっ、ゼクス、えっとねっ」




 私は必死で誤魔化そうとしたけれど、どう誤魔化せばいいのかわからない。そんな私を見てゼクスは可笑しそうに笑って、




「よかったな」




 って言ってくれた。




「うん……ゼクスのおかげだよ。確かめればいい、わからせればいいって言ってくれたから」


「俺は別になにもしてないよ。おまえがきちんと話をしたからさ。しかしまあよくこの朴念仁に話が通じたもんだ」


「朴念仁とは失敬な」


「あんたみたいなのをそう言うんだよっ」


「今は違う。わたしはもうわかる。リエラとわたしは愛……」


「ジークっ!! いいから、もういいから!!」




 やはりなにかがずれている。まあ別にいいんだけど。そういうところも可愛いとか思ってしまう。


 台詞を全部言わせなかったのでジークはやや不満そうだったけれど、私は強引に話題を転換させた。




「ゼクス、こんなとこで何してるの?」




 今やゼクスも秘密の共有者であり命を賭けて私を護ってくれた人だ。この、奥の宮へも出入り自由になっている。でも、もう日も暮れようという頃にいったい何をしているのだろう。


 すると扉の向こうからエリスが姿を現した。




「わたくしが、こちらで極秘の書類を扱う仕事をしていましたら、わざわざ届け物をして下さったのですわ」


「届け物?」


「あー、いや、以前すごくよく効いた薬を知ってるから、取り寄せたんだよ」


「薬って?」


「傷痕が目立たなくなる膏薬だそうですの」




 ゼクスはエリスの頬の傷を気にしていてくれてるらしい。私が感謝を含んだ視線を投げるとゼクスは、




「エリスには結構世話になってるしな」




 とだけ言った。




「わたくしは戦う為の騎士なのですから、顔などどうなっても構わないのですが、ゼクスさまのご厚意には本当に感謝致しております」


「男の顔なら戦いで負った傷痕も勲章になるのかも知れないけど、女は駄目だろ、いくら騎士でも」


「わたくしは、自分の顔が好きではありませんもの」


「なんでだよ、綺麗な……」




 言いかけてはっと赤くなってゼクスは口をつぐむ。




「にやにやすんなよリエラ! 別にそういう意味じゃない! 俺はそんなに切り替えの早い男じゃないぞ」


「私、なにも言ってないけど」


「何故リエラがにやにやするのだ? エリスは自分の顔が好きではないが、ゼクスは好きだと? そうだな、わたしもゼクスに賛成だ。エリスの顔に傷痕が残らない方がいいと思うのは自然な考えだ。個人的な意見になってしまうが、リエラ程美しい女性はいないがエリスも美しいほうだろう。しかし何故リエラはにやにや……」


「あんたは黙っててくれぇっ!」




 信頼し合える同士で笑顔になれる緩やかな時間。でも、いまはまだこれは長くは続かない。早く、これが日常になって欲しいと、そんな日常を勝ち取るんだと、改めて心の中で誓った。

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