第19話・こころの氷が融けるとき

 あの時とは違ってジークの意識ははっきりしている。怪我で死んでしまう心配はないようだけれど、あの時とは別な気持ちで心配だ。なにがどうであってもいつもジークの事が心配だ。




(人を好きになると、心は弱くなってしまうんだろうか。こんなに心配がとまらないなんて)




 ――いいや、違う。心配するのは、弱いことじゃない。一緒に生きていきたい、という強い思いがあるから、愛する人のことが心配になってしまうんだ。


 私は、ジークの整った貌をじっと見つめる。ふらついたのは貧血のせいらしく、顔色がよくない。このひとは私よりずっと強いのに、私はこのひとが心配でならない。なんでもひとりで抱え込んでひとりで解決しようとしてばかり。私も一緒になって抱えて、少しでも楽になって欲しい。




「……どうしたんです、リオンさま。わたしの顔に何かついてますか?」


「あ、いや、その」




『まあ――状況が緊迫してたから確かめようもなかったし。時間が出来たら、もう一度確かめてみればいいじゃないか』




 怖い。剣戟のなかに飛び込んだ時よりも怖い、かも知れない。でも、こんなふうに二人で話す時間を次にいつとれるのかわからない。曖昧なままにしておきたくない。




「あの――話したいんだけど」


「なんでしょうか」


「あのね、お願いだから、今は普通に話してくれないかな……リエラって言って」


「……」




 ジークは少し考えていた。また、駄目ですって言われたら話しづらい……って思ってたら、私のお願いが真剣なのが伝わったのか、




「わかった」




 って言ってくれた。




「ありがとう……」


「いいよ。どうしたの」




 どきどきしてくる。やっぱりあれはまぼろしではなかったんだ、なんて。


 虚勢を張っていたけどやっぱり身体が辛いようで、起き上がろうとはせずにただ優しい目で私を見上げてくる。




「あのね。枢機卿の館で、私が言ったこと……覚えてるよね」


「言ったこと……どのこと?」




 そういえば、ごめんなさいとか死なないでとか一緒にいてとか色々言ったけど……「どのこと?」って。察してよ。でも察せないのがこのひとなんだよね。




「……ジークが好きだと。愛してると」




 なんで私から二度も告白しなければならないのかと若干もやついたけれど、もう後にも引けないので勢いで言ってみる。




「ああ」




 とジークは言った。




 「ああ」? なにその、そう言えば言ってたっけ、みたいな反応。


 ――やっぱり、ちがうんだろうか。あの時は私を慰めようと思っただけ、とか……。悉く反応が鈍いので、後ろ向きになってしまう。




 でも、ようやくジークは言葉にしてくれた。




「ありがとう。そうだな……以前は、きみに嫌われているのではないかと気になったこともあった。何しろこんな大変な目に遭わせてしまっている元凶なのだから」


「元凶だなんて。私は自分でここに居たくて居るんだって、何回も言ったじゃない。助けてもらって、両親に引き合わせてくれて、感謝しかないよ」


「ああ。今は、嫌われてるとは思ってない。だってきみは言ったじゃないか。あんな危険な事をしたのは、わたしの為だと。わたしの為にあんな事は二度としないで欲しいが、わたしを気遣ってくれた気持ちは、嬉しい」


「うん……」




 ?


 なにか、思っていたのと話の方向が違う気もする。




「あの……嫌うどころか、愛してるって、そのぅ、言ってるでしょ……ジークも、私を、好きだって、言ってくれたよね」


「ああ。もちろん。なんだ、話ってそんなこと? わたしがきみを好きかって? 大好きだと言ったじゃないか」


「ほんと? ほんとに、私を……」


「きみは、わたしにとって自分の命より大切な存在だ。愛している。わたしの――」


「ジーク! ああ、私――」


「大切な、たったひとりの、妹」




 目の前が突然真っ暗になる、とはこういう気分をいうのだろうか、と茫然となりながら私は思った。




「妹……わたし、妹なの?」




 絞り出した声が自分の声じゃないみたい。我慢しようと思ったのに、涙が零れた。もう、走って逃げ出したいけれど、動いている馬車から飛び降りて逃げ出す訳にもいかない。まるで牢屋みたいだ。どうして、逃げ出せる場所で話をしなかったのだろう。




 一方、ジークは私が泣きだしたのでかなりびっくりしているよう。




「どうして泣いている? わたしが兄だなんて、おこがましかっただろうか。そうか……きみの兄はリオンひとりだから。すまない」




 もう、鈍感とかそういう言葉で済ませていいのだろうか。好きなの愛してるのという告白がなんでこういう結論に結びつくのか。妹として愛していると言われて私が喜ぶと思ったのか。思っていたようなので腹立たしい。好きじゃないと言われた方がまだ清々しいのではあるまいか。




「ジーク。私はね」




 これからも私はジークと一緒にいるのだから、そしてジークははっきりと妹だと言っているのだから、もうそのままにしておいた方がいいのかも知れない、とも思った。でも、私の気持ちをジークは受け取ってくれていない。わかった上で妹だと言っているならばしかたない。けど、このひとはわかっていない。だったら、わかるまで言わなければ気が済まない。命より大事とまで言ってくださるのだから、嫌われるまではいくまい。


 涙に濡れた目で私はジークを睨んだ。




「兄としてじゃなく、ジークを男の人として好きだと言ってるの。リオンの事も大事だけど、それとは、違うの。そして、ジークは、兄としてじゃなく、男の人として私をどう思っているのか聞いてるの。わかる?」




 子どもに言い聞かせるように私は言った。




「男……として」




 その言葉を聞いて、どうしてだか、ジークの表情は一気に強張った。その銀の瞳に浮かんだものは、これまで私がジークに一度も見た事のないものだった。


 それは、恐怖、だったのだ。


 そして、はっきりと言った。




「よしてくれ。わたしは女性を愛することなど出来ない」




 もう、清々しいまでの拒絶。まさかジークは男性が好きとか?


 でも、私は傷つくより先に心配になった。だって、そう言ったジークの顔色は真っ青で、ひどく苦しそうだったから。




「ど、どうしたの、ジーク。ごめん、もういいよ。私、勝手なこと言ってごめん。もう、妹でいいから! 私を嫌いになったの?!」


「嫌いな訳ないじゃないか。好きだと言っている」


「じゃあどうしたの?」


「リエラ。わたしはきみがいとおしい。誰よりも、幸せになって欲しいと思っている」


「だったらなんで。どうしてそんなに気分悪そうなの」


「わたしは。わたしはきみを女性として愛する資格なんかない。きみにはゼクスがいるじゃないか」


「ゼクスは友達だよ! 関係ないでしょ、他の人は!」




 いったい何が起こっているのかわからない。ジークはまったく冷静さを失ってしまったようだった。それは、前のように、怒りとか私に危険が迫っているからとかではなく、自分のなかの感情の嵐と闘っているみたいだった。闘ってる――というより、逃げてる?




「資格ってなに。そんなの、誰が決めるの。ジークは強くって、いつだって私を護ってくれるじゃない!」


「駄目なんだ。わたしは――父の息子だから」


「なんでよっ! またあいつの罪を被ろうとか思ってる訳?! 幸せになる資格ないとか? 馬鹿じゃないの、そんなの――」


「そうじゃない。恐ろしいんだ。わたしは……わたしはあの男の血を引いているから、女性を愛したりしたら、不幸にしてしまう」


「どういうこと」




 ジークは私から目を逸らす。




「幼い頃、わたしは見た――あの男が、母に乱暴するのを。あの男は、笑っていた。ジークリート、女はこのように扱うのだぞと笑って言った」


「……そんな」


「あの男が言わなくても、わたしは察していたんだ。母がどうして亡くなったのか。だけど、子どもでどうしていいかわからず、記憶に蓋をしたんだ。母を殺したのは、わたしも同然なんだ」


「そんな、そんな訳ないよ! あいつは屑野郎だけど、ジークは違うじゃない!」


「父と母は、わたしが生まれた頃までは仲が良かったと聞いた。王位継承の問題で、父は変わった、歪んでしまったんだ。自分が王位を継げなかった事を母のせいにして。人間は変わるんだ。いまはそんなつもりはなくても、わたしは愛したひとを傷つけるかも知れない。だから、恐ろしいんだ。女性を愛するという気持ちもわからない。わかりたくない。きみを、母のように、なんて、恐ろしくて」


「ジーク」




 ジークは泣いてた。私も泣いてた。


 そうだったの。ジークにも、恐ろしいものがあるんだね。誰よりも強くて賢くて、怖いものなんかないんだろうと思っていたのに。死ぬのさえ怖くないように見えた。でも、本当は、子どもの頃の恐ろしい記憶のせいで、誰も愛さずに生きていく事が怖いと思っていたのかも知れない――。




「ジーク。泣かないで。私は、大丈夫だから」


「――」


「私は不幸になんかならないよ。だって、ジークにいっぱい幸せを貰ったもの。だからこんどは、私がジークを幸せにしたい。一緒に生きて、一緒に幸せになろうよ」


「駄目だ。わたしの望みは、ただきみが幸せになってくれればと」


「私の望みは、ジークが幸せになる事なの。ね、同じでしょ? ジークが不幸なら私幸せになれない。それに、愛する気持ちがわからない、だなんておかしいよ。もう、ジークは知っているじゃない」


「わたしが」


「そうだよ。妹だとか女性だとか、拘っちゃってごめん。そんなの、いいんだよ。ジークは、私をいとおしくて、幸せになって欲しいと言ってくれるじゃない。私はジークの妹じゃないし、一緒に育った訳でもない。そんな私をそうまで思ってくれているのは、もう、ジークが知っているからだと、私は思う」




 ジークは私を愛しているんだよ、と言いたい訳じゃない。妹でもなんでも、ジークを幸せに出来るならそれでかまわない。ただ、知って欲しいだけ――。ジークは強いんだもの。もう、子どもの頃にかけられた呪縛から解き放たれていいのだと、知るべきなんだ。


 鈍感だったのは、そういう話から無意識に逃げていたからなんだね。おかしいと思った。ひとの気持ちをいつだってわかる人なのに、そんなことだけまるきりわからないなんて。




 ジークは、暫く、初めて会う人を見るみたいな顔で私をじっと見てた。私は、ただ、ジークの言葉を待っていた。




『わからせてやればいいじゃないか』




 無理かもしれないと思ったけれど、でも、きっとわかってくれたよね。だって、話すより前から、ジークは愛してくれていた。




 ジークは、半ば呻くように言った。




「リエラ。きみは、わたしがきみを愛してもいい、と」


「むしろ愛して欲しいと言っているのだけど」


「きみは、わたしを愛していると」


「もうっ、何度言わせるのよ。でも、何度だって言うよ。私は、ジークが好き。ジークだけを愛してる。ずっと、ずうっとだよ。私は変わらないし、ジークを変えさせもしない」




 変わらない、なんて本当は誰にも言えないのかも知れない。でも、この気持ちが変わるとしたら、それは私が私じゃなくなる時だ。時と共に変わるものはあるだろうけれど、私は永遠に私だし、変わるかもなんて思っていたら誰も前に進めないし幸せにもなれない。




「リエラ」




 突然、ジークの腕に抱き締められた。




「きみは……わたしを救ってくれる……」


「私は私の言いたい事を言ってるだけだよ」


「わたしも、わたしの言いたい事を言っていいか」


「もちろん」


「リエラ。愛している……」




 唇が、自然に重なった。




「母が、亡くなる前に言った。ジーク、幸せになりなさい、と」


「なろうよ。ジーク。いっしょに……」

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