第15話・目覚める心
「そうだな……ただ何もなくここで死なれては、私が息子を殺したという疑いをかけられてしまうな」
そう言えば、最初のジークの案は、ここでジークが殺されて子殺しの罪で枢機卿を捕えることだっけ……数日前の話なのに、何だか随分前に話した事のような気がしてしまう。
「そうよ! あんたに会いに来てジークが死んだりしたら、疑われるのはあんたなんだから! 諦めなさいよ!」
「はは、元気が良いな、結構なことだ。そうだな、ではこうしよう。ジークリートは私を憎み、暗殺する為にやって来た。だが試みは失敗し、己の罪を恥じて、隠し持っていた毒で自害をした、と」
「そ、そんなの、誰も信じないよ! ジークがそんなことするなんて……」
ああ、でも、暗殺計画は本当にあったんだった。エリスが気づいていたのだから、他の騎士たちももしかしたらジークがそういう覚悟を持っている事を薄々感づいていたかも。枢機卿は、本当に屑な悪党だ。生真面目なジークが命と名誉を捨てても暗殺を実行しようとしたと聞いて、枢機卿の悪を知る者は納得してしまうかも知れない。
「遺書を用意すればよい。何もかも覚悟の上、と。私や側近の証言と自身の遺書、それが揃えば疑いを口に出来る者はいない」
「私がいるわ。私が全部みんなにほんとの事を言うんだから」
「おお、リエラ、我が娘となる者よ。そなたはジークリートの覚悟を無にする気かね? そなたがあくまで逆らうのならば、死ぬのが一人から二人になるだけだ。だが今は私もそなたに生きていて欲しいと思っておるよ。そなたは生かしてここに留め置きエイラインの妻となるまで誰にも会わせはせぬ。その後でいくら喚こうとその頃にはアーレンを追い込みエイラインの即位は決まっている。余計な事を言えば今度は両親が死ぬだけだ」
「リエラ、悔しいのはわかるが、どうかこれからは命を大事にして欲しい……頼むから、わたしの遺言だと思って。どんな遺書を書かされようと、どんな恥辱に塗れた死を与えられようと、わたしが絶望しないでいられるのは、きみがわたしの代わりに生きてくれるのだと思えるからだ。わたしの秘密の姫、わたしの全てを、きみにあげよう。だから、生きて、わたしが出来なかった事をやり遂げて欲しい」
『きみに遺せるものは全部あげる。僕が出来なかった事を、きっとやり遂げてくれると信じている』
ああ。氷室で聞いたリオンの声。ジークもリオンのように……なってしまう? そんなの……耐えられっこない。
でも、私がジークと一緒に殺される事にはなんの意味もない。私は生きて、いつか枢機卿を倒さないと……それが、こんな状況を招いてしまった私の義務なんだ。
「やだ。やだよ、こんなの。なんにも要らないから、一緒にいてよ」
ジークの顔を見ていたいのに、涙が溢れて視界がかすむ。でも、ジークは私の為に笑ってた。どうして笑えるの? 私のせいで死ななきゃならなくなったのに。
「自分を責めないで。きみの勇気には感服している。ただ、過ぎた勇気は無謀につながるという事をこれからは忘れないでくれればいいから」
私の心を見透かしたように、ジークはそんな事を言った。
「だって、あんなに怒っていたのに」
「怒ったのは、きみが自分を大事にしなかったからだ。きみを愛しているご両親の気持ちをきちんと考えていなかったから。でも、きみを死なせずに済みそうでほっとしている。どうか、父上と母上に伝えて欲しい。ジークはお二人を息子として愛していたと」
「……ジーク」
「なに?」
見返す銀の瞳はどこまでも優しい。もし私が初めからジークの従妹として育っていたら、ずっとこんな風に接して貰えていたのかな。でも、態度は堅苦しくても、ジークの私に対する気持ちは最初から保護者のようなものだったような気もする。
(――保護者)
それは、従兄として? それとも――。
いま、そんなことを言ってる場合じゃないのは解ってる。言ったってもうどうにもならない。私はもっと早く……気が付くべきだったのに。
トゥルースの館で。路地裏の追手の前で。馬車屋のお婆さんのところで。急流で。夜中にジュードの小屋で。そして、いま――私はいつもジークに助けられていた。
「ジーク……わたし……ジークが好きなの。ごめんなさい……こんなこと言える立場じゃないのに」
私のせいでジークは死のうとしているのに、私は何を言っているのだろう。でも、涙と言葉はとまらない。
「好きなの。あ、愛してる……と思うの。ごめんなさい、ごめんなさい!」
「どうして謝るの」
「だって私のせいで。なのに図々しくこんなこと」
「自分を責める必要はないと言っているだろう。ありがとう、リエラ。わたしもきみが大好きだよ」
ジークは私を強く抱きしめてくれた。本当なの? ずっと、ずっとこうしていられたら、どんなにか――。
―――
「気が済んだかね?」
私が涙にくれてジークにとりすがっているさまを、枢機卿はただ腕を組んで眺めていた。気なんて一生済む訳ない。でも、もうこれ以上時間をくれるつもりはないらしい。
いつの間にか、テーブルの上には紙とペン、そして――液体の入った小瓶が用意されている。
ジークは私の額の聖印に軽く口づけして私を離した。
「では、私の言う通りに書きなさい」
「はい」
ジークがペンをとろうとした時。
扉が、強く叩かれた。
「なんだ! 今誰も近づけるなと言っておいただろう!」
枢機卿が怒声を放つ。扉の外の人間はやや怯えた声で、
「も、申し訳ございません! しかし、今すぐにお目にかかりたいというお客人がありまして。お伝えせねばと思いましたもので」
「客だと。誰だ、どこの貴族だ。そんなものは待たせておけ! この私の邪魔は許さんぞ」
「そ、それが、我が国の方ではございませんので、枢機卿閣下のご判断をお伺いせねばという事になりまして」
「なに? 誰だ」
「トゥルース王国王子殿下エルーゼクスさまと仰っています」
(ゼクスが)
ゼクスが何故ここに? ああ、でも、ゼクスがここで何かを見聞きしたら、この国内で力に物を言わせて何でも揉み消せる枢機卿でも、ゼクスに対して口封じは出来ない――!
私はジークを見た。ジークは驚いていない。その瞳には、強い意志の輝きが宿っている。
「エルーゼクスだと。アーレンの所に身を寄せているとかいうトゥルースのはみ出し者か。そんな者が私にいったい何の用が……」
言いかけて、枢機卿ははっとしてジークの方を振り返る。その瞬間。
ジークは、渾身の力を込めて枢機卿を殴り飛ばした!
「わああっ!!」
「枢機卿閣下!!」
兵士の叫びが廊下に響き渡り、それを合図に何人もの兵士たちがあちこちから現れる。
「行こう!」
ジークは力強く私の腕を引きながら戸口にいた兵士に体当たりをくらわし、そのまま剣を奪い取る。
「ジーク! これって……!」
「説明している暇はない。離れるな!」
剣を手にしたジークは、集まってきた兵士をなぎ倒してゆく。狭い廊下で兵士たちはひしめき合っているけれど、ジークの剣捌きを目にしてやや退き気味になっている。
「絶対にそやつを逃がすな! 私を殺そうとしたのだぞ。生かして帰すな!」
枢機卿の声が後ろに聞こえる。ジークは強いけれど、何しろ多勢に無勢だし、ここは枢機卿の本拠地だ。状況は悪いけれど、でもさっきまでに比べればずっといい。私たちは生きて帰れるかも知れない!
「娘を奪え! 奴を降参させろ」
そんな声がして、急に背後から兵士が私の腕を掴もうとする。だけど、ジークはその瞬間に振り向き兵士の鼻っ柱を剣の束でしたたかに殴って昏倒させた。
腕や背にいくつかのかすり傷は負ったものの、ジークは足を緩めずにしっかりと私を左腕に護ったまま、広間へ向かってゆく。このまま、外へ出られる?
でも。
広間へ続く両サイドの緩やかな下り階段は、どちらも枢機卿の兵士で溢れかえっている。蟻の這い出る隙間もないとはこのことだ。
「ジーク……」
「大丈夫だ」
その時。
「リエラ! ジーク!」
馴染みのある声が階下から響いた。
「ゼクス!!」
「いけません、エルーゼクス殿下。賊が侵入したのです。どうかこちらでお待ちを……」
「うるさいっ!!」
吹き抜けのホールを見下ろす二階の手すりから私は身を乗り出した。ゼクスが駆け寄って来る。
「ゼクス、どうして」
「リエラ、助けてやるからな!」
突然ジークが私を抱え上げた。
「わっ、なに?!」
「ゼクス、頼んだ!」
「ジーク、あんたはどうするんだよ?!」
「おい、逃がすなぁっ!」
剣を捨てて両腕で私を持ち上げたジークは、手すりを越え、私を宙に放り投げた!
「ジーク!」
「リエラ。さよなら。さっき言った事を忘れないで欲しい」
「いやだあああっ!! ジーク! ジーク!!」
私は次の瞬間、ゼクスの腕に受け止められた。
「リエラ、無事で」
「ジーク!」
私は上を見た。
「殺せっ!」
剣を捨てたジークに幾つもの白刃が襲いかかり……そのとき……。
「たいへんだぁぁ!! 枢機卿閣下!!」
外から、大声がした。
誰もが動きを止めて思わずそちらを見る。
息を切らせながらひとりの兵士が駆け込んで来た。
「み、南の国境が破られた! 南のソマンド王国が攻めてくるぞ! いくさ、になる!!」
はっとゼクスが息を呑む。広間には兵士たち以外にも少数の貴族たちが残っていたようで、あちこちから悲鳴があがる。
ふたつの勢力に分かれて疲弊していたレイアークは、周辺国から注視されていた。こんな時に攻め込まれたら、レイアークは……。
自分自身の命も危ういのに、国の危機。私はジークを見上げた。喉元に剣を突き付けられたまま、ジークは注進の兵士に、
「戦況は?! どうなっている?!」
と叫んだ。
「おまえは死ぬんだ、関係ないだろう!」
と剣を突き付けている兵士が我に返ったように喚いたけれど、
「黙れ!!」
とジークは更に大声を出し、今にでも殺されそうな危地にあっても国の事を考えるその気迫に、兵士は思わず怯んだようだった。
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