第14話・悪魔の取引

「ふん、雌ネズミめ。どうしてくれようかな」




 枢機卿は俯いている私の腕を掴んで隠れ家から引きずり出した。




「……手荒な真似をするなっ!」




 ジークが思わず叫んで枢機卿を肩を引いたけれど枢機卿は余裕の笑いを隠しもせず、




「無駄なことはよしなさい。死ぬのが早まるだけだ」




 と、内容さえ違うものなら息子を諭す父親の情愛を感じそうな穏やかな声で言う。死ぬ……私は死ぬ。この部屋は兵士に取り囲まれている。枢機卿はリオンを殺したくてたまらないのだから、ジークがどう動いたって私が助かる道はない。


 死ぬんだという事はなかなか実感できないけれど、でもとにかくジークを巻き込む事だけは出来ない。枢機卿が両親を攻撃する材料にもなりたくない。




(ごめんなさい、お父さま、お母さま……)




 折角一緒に暮らせるようになったのに、なんの親孝行もしていない。どころか、こんな所で自分のへまで殺されてしまうなんて、とんでもない親不孝だ。




「やめてくれ、ただの小間使いなんだから、放してやってくれ! わたしはなんでも貴様の言う通りにするから!」


「母の死の真相を知っても、そなたは私の為に働けるのか」


「……っ、なんでもする。アーレン陛下ご夫妻とリオンを害する事、無辜の民を苦しめる事以外ならば」


「それでは全く、『なんでも』とは言えんなあ。そうだ、では、そなた、アーレンの元へ戻り、アーレンとアークリオンを暗殺して来い。そうしたら、そなたと女は自由にしてやってもよい」


「出来るか! そんなこと!」


「くっくっくっ、本当にそなたは愚か者だ。この娘を人質に一旦自由にしてやろうと言うておるのに、出来ぬか」


「騙されるか! わたしが出て行ったら、約束など破って娘を嬲り殺す心算だろう。貴様はそういう奴だ」


「ほう、少しは父の心を理解できるようになったと見えるな」


「ふざけるなっ!!」




 火を噴きそうな勢いでジークは言葉を放つ。けれど何にも出来ないと思っている枢機卿は平然としたまま、




「そなたにそうまでさせるこの娘はなんなのだ? 堅物が、小娘の色香に参ったのか?」


「そういう間柄ではない! 貴様を基準に考えるな」


「ふん、さあ顔を見せてみろ」




 枢機卿はまた笑って私の顎を上げさせた。ああ、遂にこの時が来てしまった。私の顔を覗き込み、余裕綽々だった枢機卿の顔が驚きに変わる。私も初めて真正面から枢機卿の顔を見る。これが……私たちの敵。リオンを殺し、そして私を殺す者。ジークともエイラインともそれ程似ていない。父とも似ていない。顔立ちは整ってはいるけれど、銀の瞳に浮かぶ光はぞっとする程冷たくて。ああ、どうして皆はこんな男を枢機卿と崇めることが出来るの?




「アークリオン! 何故そなたが!」




 と枢機卿は叫んだけれど、すぐに私が女だと思い出す。乱暴に私の前髪を鷲掴みにしたので思わず声を上げてしまったけれど、勿論これは額の聖印を確認する為の事で、そして聖印は前髪を下ろして隠していただけなのであっさり見られてしまう。顔が似ているだけの別人ではないと知り、枢機卿は私とジークを交互に睨んだ。




「貴様は何者だ? まさか……アーレンはずっと、娘を王子として育てていたということか!」




 あっ、そっち? なんてぼうっと思ってしまう。途中で入れ替わったなんて考えるより、そっちの方がまだ自然なのかも。もう……どうだっていい。何であっても、枢機卿が父の子である私を見逃す訳はない。




「違う」




 とジークは言った。




「では何だ? この娘は誰だ? 聖印を持つ人間はごく限られた王族だけだ。アークリオンにそっくりなこやつはアーレンの娘なのだろう! そう言えば、アーレンには死んだ娘がいた筈。これがそうなのか?!」


「……そうだ」


「ジーク」




 枢機卿が手を緩めたので、私はその手をすり抜けて泣いてジークにすがりついた。ジークは私を抱きとめて黒く染めた頭を撫でてくれた。ジークの手のぬくもりに、ほんの少しだけほっとする。まだ、私は生きている。




「その娘が何故ここにいるのだ? そなたは何故この娘を連れて来たのか」


「彼女は私の身を案じて独断でここに忍び込んだ。小間使いとして育ち、王族としての自覚もないただの娘だ。先日生存がわかりアーレン陛下が呼び寄せられた……だが、とても王位を継げるような器じゃない。教養も品格もありはしない。リオンとは全く違うんだ。見逃してやってくれないか。わたしのことはどうにでもして構わないから」


「そのように頼まれて、私がすんなり見逃すと思うかね?」


「……リオンを、殺すから」




 私は……枢機卿でさえその言葉に息を呑んだ。でも、私にはすぐ解った。本物のリオンは既に死んでいる……だから、殺した事にして私を助けようと!




「ははははは! これは面白い。女の為に、弟同然のアークリオンをそなたが殺すと言うのか」


「そうだ……その代わり、彼女を先に解放しろ。約束は違えない。貴様と違って」


「私は誰も信用せん。人質を先に解放するなど出来るか。しかし、そうだな、そなたがそこまで言うのならば、この娘の命は助けてやっても良い」




 えっ。


 私はその言葉が信じ難くて却って恐ろしく、ジークにしがみつく。もしも本気の言葉なら、その代わりに、何かジークに恐ろしい要求をするつもりではないだろうか。




「……」




 ジークも私を引き寄せて、父親の真意を探ろうと睨み付けている。何もかもが恐ろしいけれど、この腕に護られている限りは生きていられるのだ。


 枢機卿は、また余裕の笑みを浮かべた。




「アークリオンの暗殺は他の者に命じる。ジークリート、そなたがいなくなればそう難しい事ではないのだ。知っているだろうが、現に、そなたが離れていた時に、もう少しで殺せたのだからな」




 もう少し、ではなくて、殺した。勿論そんな事教える訳ないけれど。でも、枢機卿の言う通りだ。ジークがいなければ、王宮内の警備は緩くなる。いなければ――いなくなれば、ってどういう事。




「いま、ここで決着をつけようではないか。ジークリートよ。その娘を助けたくば、そなたはいまここで死ね」


「――そんな! そんな、なんで?!」




 遂に私はたまりかねて声を上げた。




「ジークは息子でしょ。わた、わたしを殺せばいいじゃない! 親の癖になんてこと言うの!」


「ふん、なるほど、確かに口のききようも知らんようだな。だが、その聖印は役に立つ」


「あんたの役になんか立つもんか!」


「リエラ、きみは黙っていなさい――死ねと言われても、それは構わないが、わたしが死んだあとに彼女を見逃すと言う保証がどこにあるのか?」


「ふっ、安心するがいい」




 死神のような男は口の端を吊り上げる。




「ジークリートよ、私に従わぬそなたは私にとって最も邪魔な存在だ……その小娘なんかよりもずっと。王の直系はそなただ。そなたが頑なに辞退しなければアーレンはそなたを後継に指名する気だったし、アークリオンより年長で評判も手柄もあるそなたを皆が認めるだろう。アークリオンを殺してもそなたがアーレンの嗣子となって私に楯突けば却ってわるい。アークリオンの息の根をあの時止めていられたならば、次はそなたの番だった」


「……」


「アークリオンとそなたがいなくなれば。次の王はエイラインだ。あの子は良い子だ。何も自分で考えたり決めたりせずに、私の言う事を聞くからな。最高の息子だよ」


「アーレン陛下も正しき臣も、エイラインを認めはしない……貴様の傀儡を王とは」


「そうかも知れない。そこで、その娘が役に立つという訳だ」


「なに……?」


「アーレンの娘だが、娘であるというだけで王の器ではない娘。しかしレティシアにそっくりな美しさを持っているし、子を産む事も出来るだろう」


「子を?」


「そうだ。美しいだけのアーレンの娘と私の息子エイラインは、父親同士の悶着を離れて愛し合うのだ。ふたりの婚姻は国に平和をもたらすと皆が信じる。そしてアーレンの娘を娶ったエイラインが王位を継ぐ事に誰も異を唱えないだろう。ジークリート、そなたが亡き者になっていたならな」


「い……いやっ! そんなの、そんなことになるくらいなら、死んだ方がましだわ!」




 なんという事を短い時間で考えるのだろう。やっぱりこの伯父は悪魔だ。ジークが死んで、私がエイラインと結婚?




「リエラというのか。そなたが産む子は、私とアーレンの孫。ふたつに割れたレイアークをまとめるだろう……我が意を汲んで、な」


「いやよ! そんなの、そんなの、エイラインじゃなくってジークでもいいじゃない! ジークを死なせないでよ!」


「はは、本音が出たか。ジークリートを追って飛んで火に入ったくらいだからな。しかし、エイラインで我慢してくれ。ジークリートは父の意のままにならぬ」


「ジークを、ジークを死なせないなら、エイラインと結婚してもいい……」




 私は泣きながらもう自分で何を言っているのかよく分からなくなってきた。枢機卿の悪魔的な提案に我を忘れて、ただただ、大事な人を死なせたくないとばかり。


 だけど、枢機卿は微笑を絶やさないまま、きっぱりと言った。




「駄目だ。ジークリートは必ず後の禍根になる。なあジークリート、この健気な娘の為に、死んでやってくれ」


「駄目よ。ジーク、駄目! そんなくらいなら、一緒に死ぬ……」




 けれど、ジークは私をそっと離した。もう激昂した様子は収めてまた礼儀正しい様子に戻っていた。




「わかりました、父上。確かにそれが父上にとって最上の道である以上、約束を違えはなさらないでしょう」


「リエラは大事な駒だ。殺したりはせぬよ」


「では、仰せに従いましょう。わたしは、どこでどのように死ねばよいですか」


「ジーク!! だめ!! 私のせいでこんな!」




 私はジークが本気だと悟って泣き叫んだ。だけど、ジークは見た事のない優しい顔で私の頬を撫でて。




「きみが生きればわたしはそれでいい。生きて欲しい。ずっと傍で護るという約束を果たせなくて済まない。でも、何も自分のせいだと思わなくていいから。わたしがきみを連れてきたばかりに、辛い目に遭わせて済まない」




 そして、そっと私の耳に近付いて囁いた。




「大丈夫だから。エイラインと結婚しなくていい。きっとゼクスがきみを助けてくれる」




 なんで。そんなの、望んでないし! 私はジークに死んでほしくないのに!

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